自己改変

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良太の転機22

その22)
キリスト教教育
僕は日曜学校にあまり熱心じゃない。また小中学生へのキリスト教教育にもあまり熱心じゃない。何故だか分かるかい。自我が育ってない男の子に{キリスト教の愛}を吹き込むことは下手すればその子の自我さえ消滅させる危険があるからなんだ。男の子としての自我がまともに育ってない状態で、それを押し潰すことはいかにもフェアーじゃないと思う。
僕は二人の息子をキリスト教の幼稚園に入れ、なおかつ日曜礼拝を欠かさず、彼らをキリスト教の鋳型にはめ込もうとしてたことを多少、後悔の念で捉えてるんだ。もう少し男の子らしい休日の過ごし方を身につけさせるべきだったと思うこともある。親はたとえキリスト教に熱心であってもそれを子供、特に男の子に押し付けるのは断じて許されるべきではないんだ」良太は温子に対する警告としての意味も含めて強い口調で訴えた。

子育ての責任
「何よ、あたしに責任があるって言うの」彼女は彼の強い視線にひるんだ。
「責任がどうのと言ってる訳じゃない。子育ては所詮、試行錯誤の繰り返しだ。信仰も同じく試行錯誤だ。だから誰の責任という話にはならない。僕らはとかく自分を正当化したくなるものなんだ。それが争いの元凶だと言っても間違いない。ある行為を振り返って、それが正しかったと納得したいものなんだ。そこで初めて行為に費やした時間と労力が報われる。労力が報われないと初めから決まっている行為なんて誰も好き好んでしたくはないからね。
僕らは失敗が起こると責任のなすり合いをすることが多い。それは責任を他に転嫁して自分の行為を正当化し、自己防衛をしているんだよ。子供の間でも『僕は悪くないからね。誰ちゃんが先にやったんだ』という言い合いが多い。自分の過ちは決して認めようとしないんだ。その傾向もやはり男の子に多い。男の子ほど自我を守ることに必死なんだ。裏返せば自我が脆いってことかな」良太は男の立場を弁護するように見えた。
23に続く

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