夢解析器33 後篇

後編
そこには黒のベッコウ眼鏡をかけ、左肘を不自然なくの字に曲げたO次長の横顔が見えた。その途端、A氏はモニターから顔を背けた。
「Aさん、あなた、よほど彼のことが苦手なのですね。以前も何度か夢に出て来られた話は聞いておりましたが、未だに悩まされているのですね」心理士は同情を込めた魂を打つ言葉遣いだった。
「そうなんです。僕はO次長が夢に出て来ると、まるで蛇に睨まれた蛙同様なんです。全く身動きができず、カチカチになってしまうんです。20年経って未だこの影響力なんで、彼の毒素がいかに強かったか分かってもらえるでしょう」A氏は眼を細めた。
「分かります。モニターを通しても彼独特の陰湿さが伝わって来ますもの。面と向かったらどんな脅威かお察し致します。眼鏡の奥によどんだ彼の眼は落ち窪んで一体、どんな策略を秘めているのか全く予想もできませんわ」心理士は思わず身震いした。
「僕は入社二年目から彼の元で七年間仕事をしたことになります。その当時のことを思うと今でも身の毛がよだちます」
「あなたもそんな上司の元で良く辛抱されましたね」
「当時は不思議と辛抱しているという気がしなかったのです。人間とは良く出来たもので、嫌な苦手な相手ともいざとなれば、無難に立ち居振る舞いができるもんなのですね」
「あなたは当時、自分を相当、押し殺していたのだと思います。もしかすると嫌な相手さえも無理に好きになるように、心が心に嘘をついていたのかも知れません。その操作は時として無意識で行われることが多いので本人は全く気付かないのです。そこでAさんのように20年以上、経過した後に本当はO次長が嫌いだったという真実が潜在意識によって明らかにされたのです」
「全くその通りです。僕は当時から彼を嫌っていたと思います。でもそれを認めたら彼の部下として仕事ができないことも知っていたのです。僕が採った手段は先生がおっしゃられたように、自己の思いを抹殺しO次長を好きだと思い込むことでした」
「思い込みによって確かに仕事上はその場を切り抜けられたことでしょう。ところがあなたは自分の心に嘘をついたことで心に大いなる歪みを生じさせる結果となったのです。その歪みが20年経った今、やっと補正されようとしているのです」彼女は感慨深げに言葉を結んだ。
モニターには食堂の中での食事風景が映し出されていた。その中でO次長はA氏の左隣に座っていたのだ。
「こういう時に限って嫌だと思う相手が隣に座るのですよ。僕は夢の中でさえも偽善的発想をしてるんですかねえ。自分が嫌になりますよ。僕は隣に座られた彼が目障りで仕方なく、早く食事を終わらせたいとの気持ちで一杯でした」
「そのお気持ちは私も良く分かります。嫌な相手と同席して食事するのは本当に苦痛ですからねえ。潜在意識は決してあなたを苦しめようとしてO次長を隣に座らせたのではないのです。あなたが既に彼に対する耐性を得られたことを知った上で、彼のイメージを根こそぎ抹消させる目的であなたに対峙させたのです。その結果、あなたは勝ちました。とうとう本音でO次長を嫌っていることを夢の中で白状できたのです」
心理士は独特の論理でA氏の心の成長を結論付けた。
「そう言って頂けて僕も嬉しいです。これで僕はまた一つ真実の心に迫ることができました。有難うございます。これでO次長の亡霊に悩まされることもなくなった気がします」
窓の外、遥か遠方には高層ビルに隠れるようにして山々の峰が連なっていた。今、正に山の端に沈もうとしている夕陽は最後の輝きを振り絞って山々に掛かる綿のような雲を茜色に染めていた。
「Aさん、何を見てられるのですか」
「先生、後ろをご覧なさい。遠くの雲が茜色に染まって山々を覆っていますでしょ。僕はO次長が出て来た悪夢も、夕陽の輝きが包み込んで、その中で昇華してくれてるように感じるんですよ。だから日の出より日の入りの方が好きなんですねえ」
「ほんとうに綺麗な夕焼けですねえ。昔はもっと夕焼けが日常に溶け込んでいた気がしますねえ。夕焼けが心を癒す力をもっと評価しなくてはいけませんねえ」
二人は雲が茜色を失う迄ずっと色の移り変わりを楽しんでいた。いつしか二人は肩を寄せ合うようにして気持ちも一つに溶け合って行くのであった。



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