潜在意識10

その10)
(潜在意識に耳を傾ける)
それでは一体どの様にして、あなたの潜在能力を導き出す「潜在意識」の声を聞き分けたら良いのでしょうか。先ず、あなたは初心に立ち返る必要があります。自分に正直になり、あなたがやりたい事を探す旅に出ることです。やりたい事や目標が、既に心の中で明確にイメージされていれば、何ら悩む必要はありません。目指す事が他人に迷惑をかけないことでありさえすれば、大手を振ってその目標を目指し、突き進めば良いのです。
今はやりやりたい事や目標がはっきりしない若者が多いので、本人だけでなく周りの人々も苦慮するのです。やりたい事を見つけるには、自分が子供の頃に抱いていた夢に立ち戻るしかありません。子供時代に立ち戻るのが困難であれば、少なくとも青春時代の夢にまでは立ち戻る必要があります。実社会に出る前に抱いていた夢に、あなたの本音が隠されているのです。
実社会では自分を押し殺す傾向があります。つまり潜在意識の声に聞き従わずに、世の中の価値観に振り回されやすいのです。就職を決める際にも、自分の好みで会社・職種を選ばずに、その時代の花形企業を目指したり、給料が高い職種を選んだりしがちです。
その選択により、当初は一時的な満足を得られるかも知れませんが、十年二十年先には不満が噴出することになるのです。潜在意識がお仕着せの価値観に対して、反旗を翻すことになるからです。
こうして潜在意識の声に耳を傾けず、この世の価値観に翻弄された結果、自我は方向性を失います。移ろいやすい、世の価値観に対する強い思い込みが、潜在意識の存在をもないがしろにしてしまうことになったのです。本当は潜在意識から眼をそらしては、絶対まずいのです。
失った時間は金銭では決して、買い戻せないからです。潜在意識を無視した付けは後々、必ず回って来るものです。過ぎ去った人生を振り返って、後悔をしない秘訣は、真実の心の声に常に聞き従うことなのです。常に変わることのない真実の潜在意識を大事にしたいものです。
11に続く

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潜在意識9

その9)
(親の価値観から自立する)
子供の価値観は、親の価値観の影響をまともに受けます。しかし、親の価値観と子供の価値観とは完全には適合しないのです。何故なら、両者が生きた時代は全く違うからです。三、四十年経過する中で、社会での価値観は劇的に変化してしまうのです。親の価値観をそのまま踏襲した子供が、うまく新しい社会を乗り切れるかどうかは全く分からないのです。親の価値観は否定すべき場合もあるのです。その場合、親の価値観を完全に否定し切った上で、あなた独自の新しい価値観を構築すべきなのです。
私たちが親から踏襲した古い価値観を否定し去る時、頼りになるのは自分自身の経験と勘なのです。あなたが自分の足で歩こうとする時、耳を傾けなくてはいけないのが魂の叫びです。心の声に耳を傾けてみましょう。きっと何かが聞える筈です。生きようとする意欲と自由に羽ばたこうとする潜在意識の高まりが感じられるでしょう。あなたを救うのはあなた自身しかいないのです。しかもその鍵はあなたの心と頭に埋もれています。その鍵を閉ざされた闇の中から解放してあげれば良いのです。
自立するにはそれなりの覚悟が必要です。親と断絶したが最後、経済的援助が受けられなくなる可能性もあります。親からの精神的支えも失うかも知れません。精神的・経済的に自立するとは、すべての責任を自分一人で背負うことを意味します。それでも何ら心配することはないのです。あなたの潜在能力は、予想を遥かに超えたポテンシャルを持っているからです。小さい頃から、ずっとインプットされて来た、凝り固まった思い込みから解放されることで、潜在能力は活躍の場を得ることになるのです。
10に続く

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潜在意識8

その8)
私たちは学校での点数が、実社会に出たら何の意味もなかった事を実感しています。それにも拘らず、我が子の点数に対して高望みをするのは何故なのでしょうか。子供の優劣は決して数字では表せない性質を持つものです。それなのに数字が多大な影響力を持つのは、上位校への進学に際しては、学校成績と入試試験成績がすべてを決する入試システムが有力だからです。
点数だけで評価された子供が大人になり、親になると、やはり我が子をも点数のみで評価することになります。悪循環なのです。悪循環を断ち切るのはあなたしかいません。点数至上主義の弊害に気づいた、あなた自身が悪循環を断ち切るしかないのです。
今の格差社会を生み出した根本原因に、点数至上主義があります。高い点数を取った者だけが、社会で勝ち残り、経済的繁栄を享受するという幻想にも似た思い込みが、社会に充満しています。この思い込みに既に満たされてしまった私たちは、自分自身でその思い込みを打破するしかありません。
もしあなたが過去、誰からも正当な評価を受けなかったと感じるのなら、この際、あなたは自分の実力を自分自身で評価するしかないではありませんか。本来なら親が子を正当に評価して上げるのが筋ですが、例外もあるのです。
偶々、その例外に当たった子供は不幸だと思って嘆いてばかりはいられないのです。自分自身で問題を解決するしかありません。何故なら、親はあなたを正しい軌道に乗せる役割を果たしはしますが、その軌道を走り続けるのは、あなた自身だからです。そして、大事な事は、親が敷いた軌道はどうにでも修正できるということです。親の軌道は早く修正し、自分の軌道を走らねばなりません。
9に続く

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潜在意識7

その7)
(子供を評価する)
点数だけで子供を評価してはいけません。高い点数を取って来た時は、単に褒めれば良いから楽です。悪い点数を取って来た時に、どの様に対処するかが重要なのです。決して子供を責めてはいけません。人間は完全ではないのです。点数が悪い時だって、当然あります。
点数が悪かった時は、どうして点数が悪かったかの原因を、子供と一緒に思い返すことが大事なのです。単に結果の点数だけを捉えて、さらに他の子供との比較だけで、子供を評価してはいけないのです。子供は悪い点数の時、他の子供と比較されることを最も嫌うからです。
子供は自分勝手であり、良い点数の時は他の子供と自ら、比較して喜びます。ところが逆は成り立たないのです。ですから点数が悪い時、親は子供を責めずに、ただ子供の言い訳を聞いて上げれば良いのです。言い訳は子供の反省なのです。その失敗を次回に生かせば良いのであって、悪い結果をとやかく言っても始まらないのです。
仮に悪い点数しか取れなくても、子供が努力した結果であれば、その努力を褒めることはできます。単に怠けていたのか、或いは努力したにも拘らず、良い点数を取れなかったのかは、子供自身が一番良く分かっているのです。親は子供の努力に気づいて、褒めて上げればそれで良いのです。
8に続く

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潜在意識6

その6)
(閑話休題)
創造主である神の存在を知り、かつ和解しなければ神に祈ることはできない。2000年前に神と人間を和解させる架け橋となった人物がいる。イエス・キリストだ。
イエス・キリストは聖霊によって誕生したと聖書には書かれている。この記載がほとんどの人々を躓かせる。生物の原則に反するからだ。しかし生物の原則も人間が構築した体系である以上、例外はある。卵子が精子の介在なしに受精するという可能性もなきにしもあらずだ。
それでなければイエス・キリストの女性性を説明できない節もある。彼は男のような攻撃性に欠ける。また女性特有の感受性と優しさを備えている。その意味で無性生殖して生まれた可能性も否定できない。
7に続く
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潜在意識4

その4)
(思い込みを消す方法)
潜在能力を押え付けている思い込みを消す方法はあるのでしょうか。すべての思い込みを消すことは不可能でもあるし、無意味なことでもあります。ですが、少なくとも潜在能力にとって、有害な思い込みだけでもなくしたいものです。
思い込みの中でも劣等感と言われる思い込みは、強く私たちの心を支配しています。劣等感により行動・思考・意欲すべてが阻害されているのです。劣等感さえなければ、どれだけ積極的に活躍できることだろうかと考えた事のない者はいないでしょう。
劣等感が心にはびこる原因は何なのでしょうか。自信を失い、劣等感の中で人生を過ごす、多くの若者を生み出したのは誰なのでしょうか。私は親の責任が大だと思う者の一人です。子供の人生観は親が決定すると言っても過言ではありません。親の育て方次第で、子供は自信を持つし、劣等感を持ちます。劣等感とは、点数万能社会が生み出した弊害の一つなのです。試験の点数で子供の優劣を決める社会、そしてその社会悪に振り回される親を見るにつけ、私は腹立ちを覚えずにはおられません。
5に続く

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潜在意識3

その3)
私たちは何故か過去にこだわります。特に過去の過ちにこだわります。過ぎた今となっては取り返しがつかないにも拘わらず時に思い悩みます。
心が過去に縛られると潜在能力の活躍の場が狭まります。潜在能力は自由な心の中でのみ活躍できるからです。過去に縛られない自由な心はどうすれば手に入れられるのでしょうか。
先ず犯した過ちを赦してもらわなくてはいけません。一体誰に赦してもらうのでしょうか。自分で自分を赦すわけにもいきません。また自分の過ちで被害を蒙った相手に赦してもらうのも容易ではありません。
実は赦してくれる存在は一般に神と呼ばれる存在です。神を信じない人たちも多いでしょうが、人間を造った何かに思いを馳せる時どうしても神という存在は欠かせません。
その神に赦される特権を私たちは持っているのです。その特権を使えば私たちは過ちを恐れる必要はなくなります。そして心は自由で満たされます。
4に続く
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潜在意識2

その2)
このように予測が外れたことにより、不運な結果が生じた時には、そのまま悔やむしかないのでしょうか。いえ、その過程をつぶさに検証しさえすれば、失敗の原因がつかめるのです。そして、失敗さえも生きた知恵として活用することができるのです。
この様に思い込みを、予測する手段として有効活用すれば、何ら問題はないのです。ところが、思い込みや先入観は普通、悪い意味で使われることが多いのです。別の表現を使えば、固定観念とも呼ばれるように、一度思い込みが心に醸成されたら、簡単にぬぐい去ることはできないほどの影響力を持つものなのです。
私たちの行動や思考、そのものを根底から支えてくれている潜在能力さえも、思い込みが塗りつぶしてしまうのです。自由に活動すれば、縦横無尽な働きをする潜在能力さえも、有限な殻に閉じ込めてしまう張本人が思い込みなのです。
私たちが生まれた時は、無限の可能性を持って生まれて来ました。その頃は思い込みがなく、潜在能力が自由に活動していたからです。ところが社会との交渉を続ける内に、私たちは自分の無力さに直面する場面に数多く遭遇します。自分の無力さを何度も体験して行く内に、「私にはできない」という思い込みが、強く心を支配する結果となるのです。
青春時代は「何でもできる」という思い込みが強まる時期です。ところが、成人し、社会に出た途端に「私にはできない」という思い込みが優勢となります。社会の壁にぶつかり、自信を失うことが多くなるからです。
従って、私たちの心に巣食う「私にはできない」という思い込みを、いかにして撃破して行くかが、個人の潜在能力をフル稼働させるポイントとなるのです。
3に続く

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潜在意識1

(序章)
人間ほど当てにならないものはない。私も散々裏切られて来た。かといって復讐しようなどと考えたら自分の負けだ。復讐の心は潜在能力を閉ざすからである。
心は常に自由であるべきだ。自由であるべきはずの心は自我と言う膜で覆われて身動きが取れなくなっている。私たちは自由を得るために自我の膜をすぐさま取り除く必要がある。

〔潜在意識の謎〕
その1)
(思い込み)
同じ職場にいるH氏が探し物をしていました。IDカードを紛失したのです。それがないとタイムレコーダーが押せません。帰り間際、職場の総勢三人で探し方が始まりました。15分、20分と事務所から倉庫、辺りを隈なく探しましたが、結局見つかりませんでした。
次の日にH氏本人に見つかったかどうか確認したところ、ロッカーの中に置き忘れていたとのことで、結局、帰り際に見つかったそうです。彼は昼間、外出し、カードをロッカーに入れたことをすっかり忘れていたのです。そしてカードを紛失したと思い込んでいたのです。
これは良くある思い込みの一例ですが、私たちの行動は思いこみによって成り立っていると見て、先ず間違いなさそうです。私たちは思い込みなしには、生きて行けない宿命なのでしょうか。
人間とは予測に基づいて行動する生き物です。一つの行動を起こす前に、必ずその結果を頭の中で予測します。その結果が良好と見込まれれば、行動を起こします。もし悪い結果が予測されるようであれば、行動を差し控えたりもするのです。悪い結果が見込まれるのに、敢えて行動を起こす者は無謀と呼ばれます。
相手と言葉を交わす時でも、相手の顔色や反応を見ながらしゃべります。相手がどう反応するかが気掛かりなのです。相手を傷つけないようにしようとか、相手から反感を買われないようにしようとか、私たちは常に気を遣いながらしゃべっているのです。
相手の反応を見ながらしゃべることも、予測の一つの形です。相手がどう反応するか、予測しながら言葉を選んでいるのです。もし予測が何度も当たれば、予測は思い込みに変わるのです。もし予測が一度でも外れれば、予測した根拠の見直しを検討します。相手に良かれと思ってかけた言葉でも、時には相手から怒りをかうことさえあるのです。
2に続く

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生きにくい48

その48)
(今を生かす)
人生を最も効率的に悔いなく過ごすには、今の時を最大限に有効活用するしかないのです。今を生かすのに、あなたが自分自身や周りの人の眼に遠慮して、躊躇していては時間だけが無為に流れ去るだけです。流れ去った時間は二度と再び手にすることはできません。
一瞬一瞬が真剣勝負なのです。真剣勝負で、あなたが自分自身を見失っていたら、勝負にはなりません。負けは初めから決まっているようなものです。自分自身を見失ってはいけないのです。今あなたが自分の欲することを叫び続けなくては、その欲求は近いうちに消滅してしまうでしょう。
その欲求が親の指し示す道と違っていても先ずは自分の欲求を優先すべきです。親の考えも当然、考慮には入れますが、最終的に優先されるのは自分の欲求なのです。
49に続く
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