夢解析器38


「こんにちは、ご無沙汰です」A氏は照れくさそうに入って来た。
「こんにちは、Aさん。本当にお久しぶりですね。どうされてました。元気ですか」案内嬢も久々なので当惑気だった。
「はあ、元気は元気でした。最近、夢を見る機会がめっきり減ったので来るタイミングがなかったのです」
「それでは久々に夢を見られたってことですね」
「そうなんです。夢に下の息子が登場して来たんです」
「息子さんに気掛かりなことがあるのでしょうね。Aさん、良いパパをしてますね。では奥へどうぞ」
受付嬢はA氏を廊下奥の緑の扉へと導いて行った。
「しばらくお待ち下さい」
少しすると扉にノックの音がし、心理士が入って来た。
「お待たせしました。Aさん、しばらくぶりですねえ。もう忘れられてしまったと思ってましたわ」
「いや、決して忘れていた訳ではありません。何故か、ここのところ夢を見ることがなかったのです。毎日、様々な出来事はあったのですが、不思議と夢は見ませんでした」
「夢を見られたかも知れませんが、記憶に残ってないと言うことは、現実が潜在意識の思う儘に動いていた証拠と見ることができます」
「はあ、そうですか。じゃあ、僕は現在、いたって満足な日々を送っていると言うことになりますね」
「そうだと思いますわ。夢は普通、現実と潜在意識が描く理想とのギャップが生み出す軋轢によって生じるものと考えられます。満たされない思いを強く持つ者は、夢の中でその思いを発散しようとするのです。夢でも思いが満たされない場合は病的には、精神疾患に陥ることもあるので注意が必要です。結果的に身体の不調や、環境との不適応に至るケースも多いのです」
「『病は気から』と言われますけど、人の思いは生きる上で大事なんですねえ。確かな指針を持たない限り、人生を踏み外す危険も多分にある訳ですね」
「そうです。心の問題、魂の問題は究極的には宗教の範疇に入るのです。この研究所自体、アメリカのジョゼフ・マーフィー博士の理論を取り入れて設立されたので、根底にはキリスト教の思想が流れているのです」
「ほう、キリスト教がこの研究所に係わりを持っているとは初めて知りました。夢と潜在意識に宗教が結び付くとは全く意外でした」
「そのあたりの詳しいお話はまた機会があったらお話しますわ。ところで昨日の夢はどの様な夢でしたか」心理士は機器の準備を整えていた。
「昨日の夢は下の息子に関する夢でした。息子を遊園地へ連れて行く場面が出て来たかと思えば、僕が声楽のレッスンを受けているような場面もありました」モニターにはA氏が楽譜を見ながら歌の指導を受けている場面が映し出された。
「この画面では息子さんの姿はありませんが、どうしてこの夢が息子さんと関係しているのですか」心理士はA氏が勘違いしていると考えた。
「この映像には確かに息子は出て来てませんが息子と関係しているのです。僕は彼が音楽の道を目指していることに対して一抹の危惧を覚えているからです。彼に一流の先生をつけなくてはいけないという僕の思いが夢で、替わりに僕が音楽のレッスンを受けている場面をもたらしたみたいなのです」
「はあ、そういう経緯だったのですか。この音楽の先生は何やら威張っている感じですねえ。Aさんは責め立てられていて可哀そうですね」心理士は同情を禁じ得なかった。
「そうなんですよ。僕がいくら一所懸命、楽譜通りに歌っても外すばかりなんです。他の子供達が誉められているのを見ると僕は怒りより悲しみが湧き上がって来たんです」
「それであなたは怒らず、ただじっと先生の言うことを聞いておられたのですね。Aさんは忍耐力がおありになるのですね」彼女は感心して彼を見やった。
「いや、普段は怒りっぽいのですが、今回の夢の中では不思議と従順だったのです。音楽の指導に関しては従う以外にはないと観念していたのかも知れません。僕は音楽にとって、師とはどういう存在か、未だに明確な結論が得られないのです」
「お子さんだけの問題ではなく、Aさんご自身も音楽における指導について悩んでおられた訳ですね」
「そうかも知れません。自慢じゃないのですが、僕はギターでもドラムでも先生についたことはないんです。すべて独学だったんです。それが一つのコンプレックスになってるのかも知れません。音楽も極めるには師につく以外にないと言われてますからね。特にクラシックにおいては、いかに良い師につくかでその後の音楽人生が変わるとまで言われていますからね」
「私は音楽が専門ではないので詳しいことは知りませんが、確かに演奏家はどんな先生に師事したかが重要なポイントになるとは聞いておりますわ。そのために留学して良い先生に習う方が今でもいらっしゃるんですね」
「僕は下の息子にそうした機会を与えるべきかどうか、未だに迷っている訳ですよ。たとえ高い金をはたいて最良の師についたとして、陽の目を見ない演奏家だって山ほどいる訳ですから、良い師につく是非は考えものだと思うのですよ」
「そうですね。音楽のプロとして生活して行くのは大変だと聞きますわね。先生に師事するだけで演奏者を上達させると考えるのは短絡的過ぎるかも知れませんね。要は演奏者本人がいかに天分を遺憾なく発揮できるかどうかにかかっていると思います。先生はきっかけではあってもすべてではありませんわ。人の演奏から学ぶこともあるでしょうし、音楽に必要な感性は感動体験の積み重ねで育まれて行くものですものね。何よりも肝心なのは演奏者本人が天から与えられた才能を自然体で発現できるかどうかにかかっているのです」
「全く同感です。僕は独学で音楽を学びました。だから師についてギターを習ったことさえないのです。人前で演奏できる腕はないのですが、自分を満足させることはできています。今まで何度かは人前でも演奏し感動を与えられたと自負もしています。音楽はクラシックがすべてではありません。必要なのは心意気だとおもうのです」
「音楽に限らず何事においても心意気が人を動かし、感動を呼び起こすと思います。単に師弟だけの関係で凝り固まったクラシック音楽の世界に埋没するならば、決して大きな世界は拓けて来ないでしょう。人や組織に縛られている者は決してそこから脱皮はできないのです。自由な世界に羽ばたこうとする者は周りからの訓練より自分自身に課す訓練を重視すべきなのです」
「先生のお話を伺って自信が蘇りました。僕は今まで紆余曲折しながらも魂の声に聞き従って来れたことに感謝しています。外なる神に反抗的になることはあっても自己の内なる神としての魂に忠実であったことが救いであったと思います」
「Aさん、これからも魂の声には忠実であって下さいね」心理士は優しく微笑みかけた。ビルを茜色に染め尽した夕陽は明日への希望を約束していた。





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