夢解析器32 前篇

前編
「こんにちは、先日は二人でお騒がせしました」
「こんにちは、いえ奥様もいつでもお待ちしておりますわ」
「今日は秋晴れですね。朝晩も涼しくなりましたよね」
「そうですね。気持ちの良い、過ごしやすい季節に入りましたね」
「夏が終わると物悲しいですよね」
「あら、Aさん、秋に特別な思いでもあるのですか」
「いえね、秋には人を恋する思いが高まるんですよ。不思議ですねえ」
「そうですねえ。寒さに向かうと人のぬくもりが恋しくなるのですかねえ。私も暗い中、一人暮らしのアパートに帰ると急に淋しさを感じますよ。誰かいてくれたら良いのにと思うものです」
「そんな時は僕を呼んで下さい。すっ飛んで行きますよ」
「え、Aさんがですか」
「いや、冗談、冗談ですよ。心配しないで下さい。僕は夢で良い思いを味わったから良いのです」
「本当ですか。羨ましいですね。彼女ができたとかですか」
「まあ、それに近いですね、ハハハ」A氏は適当にごまかした。
「それでは奥にどうぞ」
受付嬢はA氏を廊下奥の緑の扉へと導いた。
A氏は受付嬢の背後にそっと忍び寄ると彼女の両肩に手をかけた。
「きゃー、Aさん、ちょ、ちょっと止して下さいよ」彼女は振り向きざま彼の手を払い除けようとした。
「あ、失敬、失敬。夢の中のようには上手く行かないものですね」A氏は全く悪びれる様子もなかった。
「Aさん、奥様がいないと急に大胆なことをされますね。女はいきなり背後から迫られると恐怖だけで満たされるのです。それに心積もりもないのに触られるのは不快だけを感じます」彼女はいまだにプリプリしていた。
「それでは前もって心積もりができていれば話は別ということになりますね」
「それは相手次第ですけどね。女の側にも触れられたい男性を選ぶ権利が当然あるのです。それとタイミングです。幾つかの条件が完璧に揃わない限り、女は男性に無闇に触られたいとは思わないものです。男の方は私たちを大分、誤解しているようですわ」
「男はいつでも準備が整ってますけど女性は違うのですね。良く勉強になりました」
「Aさんも女性には正面から正々堂々と近寄って行って下さいね。そして何より相手の気持ちを大事にして上げて下さい。では中で少しお待ち下さい」
A氏は検査室で待ちながらも手の平に残ったふくよかな案内嬢の肩肉の感触に暫し浸っていた。手の平は皮が厚いようでいて、神経は細やかに張り巡らせてあるのに驚くばかりであった。手の平や指先からの刺激は常に快く、瞬時にA氏の脳に到達するのであった。
そんな感触に酔いしれているとドアにノックの音がし、心理士が入って来た。
「こんにちは、Aさん。今日はお一人なのね」
A氏はノックの音に敏感に反応し、既に立ち上がって彼女の前に立ち塞がっていた。
「こんにちは、先生。今日は全く一人ですよ」言うなり、彼は彼女の両肩に手をかけた。
心理士は多少びっくりした様子だったが、特に彼の手を振りほどくでもなく、次第に平静にその行為を受け止めていた。
暫くお互いの気持ちを探るような二人であったが、心理士は静かにゆっくりと両手をA氏の腰の辺りに休ませた。彼は腰の感触を感じると途端にそわそわし出した。
「それでは解析を始めて頂きましょう」不均衡な状況を拭い去るように彼はその場を離れ席に着いた。
「そうね、始めましょうか」今度は呆然としたように心理士が彼に従って、A氏の向かいの席に着いた。彼女は先までの余韻を噛みしめているようだった。
「さっきは失礼しました」A氏は心理士が席に着くとポツリと言った。
「いえ、失礼でも何でもないわ。失礼と言えば、その気になりかけた私の期待に付き合って下さらなかった後半のAさんの方かしらね」彼女は無念さを秘めた微笑を返して来た。彼女はそんな思いを振り切るようにいつもより更に手早く機器のセッティングと済ませ、A氏の頭部にセンサーを貼り付けた。
二人が沈黙する中でモニターには一人の女性が肩を抱かれる様子が映し出されていた。
「あっ」とだけ心理士は声を上げ、映像に見入っていた。
「この方はどなたですか」彼女はやっと次の言葉を絞り出していた。
「この女性は同じ職場にいるM科長です。外来を担当しています」
「お顔が良く分かりませんが、あなたと同い年ぐらいですか」
「いや、少し上だと思います。正確な年齢は分かりません」
「あなたは夢でも先ほどと同じ事をされていたのですね。この様子だと夢の中での行為はもっとずっと積極的だったようですね」
モニターには陰の部分でA氏の手が彼女の胸をまさぐろうとしている仕草が見て取れた。
「この女性も目をつぶって、うっとりしてあなたのなす事に身を委ねていますね」心理士はいかにも悔しそうにモニター同期ダイヤルをつまんでいる右指に力を込めた。いきなりモニターはピピーという音と共に映像が中断した。

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夢解析器31 後篇

後編
「それでは奥様に取り付けさせて頂きます。痛くないですから、ご心配なく。Aさんからはがしたのをそのまま貼られるのは気持ち悪い、いやですねえ、ご夫婦なのですからそんな事はおっしゃらないで下さいね」
「頭に電気が流れるなんてことはないでしょうか」
「お前、大丈夫だって。電気椅子じゃないんだから、そんなこと心配するなって」A氏は横から口を挟んだ。
「奥様、Aさんの言われる通り、電気が流れるなんてことはありませんからご安心なさって下さい。センサーは奥様の脳波を検知して、その電気信号を解析器に送っているだけですから、ごく微弱な電流しか流れておりません」
「それを聞いて安心しましたわ。主人の頭では問題なくともデリケートな私の頭では問題が発生するかも知れないと心配してたんですの」
「何でお前の頭がデリケートで俺の頭が鈍感なんだよ」A氏はムキになり始めた。
「まあAさん、抑えて下さい。今は奥様の診断の番なんですからね。それで奥様の夢はどんなだったのですか」
「はい、起きる寸前に見た夢で私はうなされてしまいましたの。主人が約束通り7時に起こしてくれなかったものですから、私は寝過ごして余計な、見なくて良い夢まで見てしまいましたの」
「どうしてお前はそう、人のせいばっかりにするのだ」A氏は我慢し切れず、再び口を挟んだ。
「Aさん、少し静かにしていて下さい。今は奥様と私が話しているのですから、Aさんは黙っていて下さい。必要ならお声を掛けますからね。奥様、その悪夢をお話し下さいますか」
「はい、私は寝ながら喉にナイフを突きつけられていたのです。そして起き上がろうにも起き上がることができませんでした。トイレにも行きたかったのにどうしようもなかったのです」
「それは物騒な夢ですね。世の中には凶暴な事件が起こってますからね。個人の夢も世間の動きに影響されることもあるのです」
モニターにははっきりした凶器は映っていなかった。彼女が目覚めた直後の映像にはボンヤリした中で、子供の足らしき物が彼女の首の辺りに伸びていた。
「奥様、あなたは息子さんと寝てられますか」
「はい、下の子と寝ております」
「彼の寝相はどうですか」
「夜中じゅう動き回っているようです」
「それが夢の原因かも知れませんね。お子さんの足がたまたま奥様の首に乗った時に圧迫感を感じられたのでしょう。それが夢で凶器となっていたのです。最近、精神的な脅威は感じてられませんか」
「上の息子に私は馬鹿にされているのです。それが脅威と呼べるかどうかは分かりませんが、彼に口で対抗することはできません。言いくるめられてしまうのです」
「口で太刀打ちできないというのも一種の脅威かも知れませんねえ。母親は息子の脅威に対して無防備ですからね。息子がそんなことするはずがない、言うはずがないと信じ切っているだけに、予想外の言動をされた時はショックが隠せないのです」
「全くその通りですわ。息子の変化に私はついて行けないのです。私の中には息子たちの幼少の時のイメージが強く残っているので、現実の彼らの成長をそのままで受け入れられないのです」
「それはどの親御さんにも共通する悩みでしょう。母親は特に自分の息子には肉体的にも精神的にも余り変化して欲しくないというのが本音みたいですね。昔のままの可愛いさを保っていてくれるのが願いらしいです」
「そうなんです。保守的かも知れませんが、時間に止まってほしいと思うことさえあるほどです」
二人の女性の会話は延々と続くようであった。A氏はあきれて今では口を挟む意欲さえ失くしたみたいで、二人の会話を聞くでもなくただ呆然としていたが、そろそろ暇に耐え切れない時間となっていた。
「もう、そろそろ結論に持ってった方が良いんじゃないですかねえ」
「そうですね。特に問題はございませんが、出来るだけ早く息子さんと別々に寝られた方が良いように思われます。どうかお互いに子離れ、親離れなさってみて下さい」
「はい、分かりました。どうも有難うございました」
「今日は二人でお邪魔して、お手数をお掛けしました」


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夢解析器31 前篇

前編
「こんにちは、今日は天候が怪しいですね」
「こんにちは、朝から小雨が降ってますね。9月に入った途端に涼しくなった感じですね。今日はお二人ですね。奥様でいらっしゃいますか」
「はあ、今日は初めて家内を連れて来ました。二人でも大丈夫ですか」
「勿論、大丈夫ですよ。奥様でしたら家族割引が適用されます。今日はお二人とも受診されますか」
「はい、二人で受けようかと思っています」
「それでは先生にその旨、お伝えしておきますね」
「宜しくお願いします」A氏の妻は深々とお辞儀をした。
「では奥へおいで下さい」
受付嬢は二人を廊下奥の緑の扉へと導いた。
「しばらく中でお待ち下さい。あ、奥様は初めてでいらっしゃいましたね。それでは検査室の中までご案内致します。どうぞお入り下さい」
「僕一人の時とぐっと待遇が違うんですねえ」A氏は不満そうであった。
「あなた、こんな所でひがまないで下さいね」妻は彼をたしなめた。
「いえ、この研究所は女性の方を大事にしておりますので申し訳ありません。こちらの椅子にお掛けになって暫くお待ち下さい」
二人は並んで解析器が置かれたテーブルの前に座った。
「あなた、立派な所ね。受付の方も親切ね。それにこんなにも見晴らしが良いのね」
「今日は曇りだから視界が悪いんだ。晴れていれば右前方に富士山も見えるんだよ」
「そうなの、雲を下に見るっていうのも気分が良いものね」
そうこうする内にドアにノックがあり、心理士が入って来た。
「こんにちは、お待たせしました。今日はお揃いで良くおいで下さいました」
「はあ、主人がいつもお世話になっております。主人から良く先生のことは聞いております」
「そうですか。Aさん、奥様にどんなことをお話しになったのですか」心理士は別に心にやましい思いがある訳ではないが、多少どぎまぎした。
「はい、僕は先生に夢を理論的に解析して頂いた結果を家内に報告しているだけですよ」A氏は落ち着き払って答えた。普段から妻の突っ込みには慣れていたからである。
「あ、そういうことですね」心理士は一安心して息を継ぎ、そして続けた、「どちらから解析されますか」
「僕の方が簡単に済むと思いますので、僕から始めて下さい」
心理士は自分を取り戻し、いつものように慣れた手つきで機器をセッティングし、端子センサーをA氏の頭部数ヶ所に貼り付けた。
「昨日はどの様な夢を見られたのですか」
「目覚めた早々に憶えていたのは一つだけです。その後、朝食を食べている最中にもう一つの夢を急に思い出しました」A氏は薄れかけた記憶をしきりに呼び覚ましている様子だった。
「では忘れかけている方の夢から探ってみましょうか。通りに面した店内が映し出されているようですね」
確かにモニターにはどこかの店内が映し出され、幼児が左手に立ち老婆が右手、土間口に立っていた。そしてガラス戸外の左手すぐ近くには大きなトラックが停まっていた。それは工事現場に出入りするトラックのようであった。
「ここに映っている子供は僕の下の息子です。多分、2,3才の時の様子でしょう。そして右手土間に立っているのは僕の母親で未だ元気な時の様子です。この子が小さい時に母は病に倒れましたので、二人が一緒に過ごす時間はかけがえのない時間だったのです」A氏が横を見ると妻は眼を潤ませ、しゃくり上げているのが分かった。
「Aさんはここで何をされてたのですか」
「僕は宅急便の到着を待っていたのです。実はこの情景自体は20年以上前のものです。今の家が建てられる以前の古い店なのです。そこに下の息子が出て来たのは全く不思議なことです」
「もしかしたらお母様の霊がお孫さんに会いたがっているのではないでしょうか。それをAさんの潜在意識が感知されたのでしょう」
「そうですか。僕もこのところ母のことが気になって、今月中にも墓参りに行こうと予定していたとこだったんですよ。思いが通じましたかな」
「きっと、お母様も待っておられますよ。ところでモニターに映ったお店は未だあるのですか」
「いえ、お店は20年ぐらい前に閉めてしまいました。建て替えた後、ミシンだけは残して細々と洋服直しだけは10年ほど続けていましたが、今は全く何も商売していません」
「それでは古いお店にAさんの思い入れが強く残っておられるのですね」
「その通りです。夢に必ず出て来るお店はこの当時のものだけです。僕が10代、20代と多感な時期を共にしたお店なのです」
「この夢は結末がはっきりしない内に消滅してしまったようですね。それでは2番目の夢に移りたいと思いますが、ここはビデオ屋さんでしょうか」
モニターにはレンタルビデオ屋のカウンターらしき所が映し出されていた。A氏はそこでスタンプ帳を店員に差し出しているようだった。
「僕はスタンプが3つ溜まったので店員に見せた所、その店員が隣の客にスタンプシステムの説明をし始めたのです。それで僕は必要以上に待たされました」「そのことを抗議でもされましたか」A氏の普段の性格を知り抜いている心理士はすかさず質問した。
「いえ特に抗議してはいません」
「どうしてですか」彼女は納得できなかった。
「それは店員の人が僕の知り合いだったからです。同じ教会の仲間だったのです」
「そうですか、分かりました。それでAさん、大人しく聞き従っていたわけですね。仲間といってもこちらの方はAさんより大分、年配のようですね」
「5才ほど離れています。コンピューター関連の機器扱いについては皆から一目置かれています。夢の中でも僕は彼にフロッピーディスクを渡してデータの書き込みを依頼していたのです」
「はあ、それでAさんが待たされても抗議をされなかった理由が分かりました。でも何故、教会の方が店員として夢に出て来られたのでしょうねえ」彼女は納得できなかった。
「それはですねえ、最近、僕は何回か教会を休みました。さらに彼が主宰する聖書研究会にも半年以上出席していません」
「それですよ。あなたは彼に言い知れぬ負い目を感じているのです。その精神的プレッシャーが彼をあなたの夢に登場させたのでしょう」
「へえ、そんな精神的プレッシャーの感じ方があるのですねえ。心とは全く不思議なものですなあ。僕のことばかりで家内の時間がなくなりそうなので、彼女とそろそろ交替しても宜しいでしょうか」
「はい、勿論、結構ですよ。ではモニターを外させて頂きますね」
心理士は手早くA氏からモニターを外して行った。

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夢解析器30 後篇

後編
「Aさん、いきなり根本的な質問をされますねえ」心理士はあまりの唐突な質問に一瞬、色を失った感じだった。
「僕はほぼ毎日、先生に夢を語って解析して頂いて、もう1ヶ月経ったわけです。僕は夢の解析自体に意味があるのか今、一度考えてみたいと思ってるんです」A氏は深く思いを巡らしている様子だった。
「私はこの研究所を開設した当初から、夢解析は意味あるものだと信じて来ましたから、今更その効果を疑うつもりはありません」彼女はA氏の言い分を良く理解できていなかった。
「僕が言いたいのはですね、確かに夢の解き明かしは深層心理を知る上では意味があると思います。また学術的な面でも意味があるでしょう。でも僕のような一般人にとって、夢を解析して頂くことが実利につながるかどうかと言うことが知りたいのです。金をかけて何かしてもらうには普通、見返りを期待しますからね」
「Aさんの言わんとすることが少し分かりかけて来ました。夢を解析することでどんな具体的メリットがもたらされることになるか、それを知りたいとおっしゃるのですね」
「正にその通りです。何かメリットはあるのですか」A氏は身を乗り出していた。
「具体的メリットという面から言えば、立証は難しいかも知れません。夢を解析したからと言って、すぐさま経済的に豊かになるという性質のものでもありません。また夢の解き明かしに従ったお陰で幸運が舞い込んで来るという単純な状況ではないのです。現代社会は様々な事象が複雑に入り組んでいるからです。夢自体も複雑に入り組んだ夢が多いのです。解き明かしも一筋縄では行かないのです」
「はあ、それで僕も訳の分からない夢を多く見るのですね」
「そうです、夢には過去や実際に体験した出来事だけでなく、全く架空の出来事も入り混じって現われて来るから複雑なのです。その中で夢解析の具体的メリットは簡単に指し示すことはできません。出来ることと言えば、夢に隠された心の本心を知ることです」
「心の本心とは本音のことですか」
「そう言っても良いでしょう。あなたは夢の中でのみ、あなた自身の本心を見ることができるのです。日常生活では本心は建前に上手く隠されているのです。特に社会では誰もが本心を見せずに建前で生活しています。従って遂に欲求不満になるのです。ストレスが溜まるのです」
「確かに僕も以前は欲求不満やストレスに悩まされましたが、今は全く精神的負担を感じていません」
「当時は空を飛んだりプールで泳いだりした夢を見られたようですね。どちらも全身を使ってどこかへ移動するという点から、現状打破を望んだ潜在意識があなたを夢で泳がせたのです。空を泳いで飛ぶのは現状の仕事に満足していないことを表わしています。また水の中で手足を動かすのは性的欲望がはけ口を求めているのです。いずれにしろ欲求不満には変わりないのです。あなたは少なくとも根本的な欲求不満からは開放されて来ているようですねえ」
「僕も最近は先生に空を飛んだり、泳いだりする夢で相談に来たことはありません。これは良いことなのでしょうか」
「少なくともあなたは現状の生活に根本的な不満はないと言えるでしょう」
「と言うことは夢を確認することで、現状の生活が満足の行くものかどうかの判定も出来るってことですね」
「全くその通りです。夢にはあなたの目指した方向が示されているのです。あなたは船が羅針盤に基づいて針路を決めるように夢の指示に基づいて進む道を決めれば間違いはないのです。そのために私があなたをサポートして差し上げているわけです」
「そうですか。良く分かりました。今後とも宜しくお願い致します」
「こちらこそ、宜しくお願い致します」
窓の外からはオレンジ色の夕陽が差し込み、二人の深まった絆を祝していた。燃え尽きようとする夕陽の輝きが二人に明日への希望を約束しているようだった。




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夢解析器30 前篇

前編

「こんにちは、今日も暑くなりそうですね」A氏は元気に登場した。
「こんにちは、Aさん今日は元気そうですね。Aさんの好きな8月も今日で終わりですね」
「はあ、これから秋が来ると思うと何だか無性に淋しいんですよ」
「Aさんも感傷的なのですねえ。私は食欲の秋は大歓迎なのです。体重が少し気掛かりなのですが、食べる誘惑には勝てませんわ」
「あなたは今ぐらいふくよかな方が魅力的ですよ」A氏はすかさず受付嬢のボディーラインをチェックした。
「まあAさん、あまり見つめないで下さいね。ところで今日はどうされましたか」
「はい、久々にまとまった夢をみましたので解析をお願いに来ました。ここに初めて伺ってからもう30回目だとは驚きですねえ」
「そうなのです。アッと言う間に30回のスタンプが溜まりましたねえ。50回、100回では記念品がありますのでお楽しみにしていて下さいね。では、どうぞ奥へいらして下さい」
受付嬢はA氏を廊下奥にある緑の扉まで案内した。
「では、しばらく中でお待ち下さい」
A氏が部屋の中で待っているとやがてノックの音と共に心理士が受付嬢の豊満な身体とは対照的なスリムな身体で入って来た。ピンクの診療衣の上からはスリムに見える体型だが、A氏はその腕の感触に残る彼女の弾力ある肢体を思い返していた。
「お待たせしました。Aさん何、見てるのですか。診察衣の奥を見透かすように目で見ないで下さいね。殺気が感じられますよ。男の方は妄想を抱きやすいので注意が必要ですねえ」
「いや済みません、先生につい見とれてしまいました。診察衣に限らず看護衣や制服なんかは男の妄想を刺激するものですねえ」
「男の方が妄想を抱くのは勝手なのですけれど、それを相手の女性にまで拡大解釈されるのが大いに問題なのです」
「とおっしゃいますと」A氏には少し言葉遣いが難し過ぎた。
「男の方が女性の艶姿に刺激されて抱きたいと考えても、相手の女性は全く抱かれたいとは考えていないことを知るべきです。男の方は自分の思い込みを勝手に相手に転嫁してはいけないのです」
「それじゃあ、僕が先生を見てムラムラしても先生は僕に対して全くムラムラしないと言うことですね」
「当たり前でしょ。私をそんなに好色な女として見ないで下さい」心理士は憤然としていた。
「冗談ですよ、先生。例えを言ったまでですよ。怒らないで下さい」A氏は必死で言い訳をした。
「まあ、それは分かりますが、あなたはたまに冗談が本気になるのが恐いのですよ。男の性欲は常に本気なので、女にとっては脅威なのです」彼女は言葉を噛みしめていた。
「ははあ、先生にも人に言えない過去があるんですね」
「ほとんどの女性は男の恐さを体験しているのです。特に性的魅力を漂わせている女性は細心の注意が必要なのです。男は彼女たちから目を離しはしないからです。チャンスがあればいつでも襲いかかる準備をしているのです」
「僕も先生からそんな風に見られてると考えるとちょっと心外だなあ」
「Aさんは正直なのですぐ分かります。あなたが私に反応する時は精密機器でなくとも空気で読み取れるのです。ですから私はAさんにあまり脅威は感じていないのです。こうして二人きりでいても安心なのです」
「それは誉められてるんだか、けなされてるんだか良くわかりませんね」
「私はAさんの自制心を誉めているつもりですけどねえ。ところで昨夜のゆめは何だったのですか」
心理士は機器から伸びたセンサー端子をA氏の額にセッティングしながら話を切り出した。
「昨夜は寝入りばなに夢うつつの状態で腹痛を起こしました。夜に食べた冷やし中華が良くなかったようです。前日も昼、中華つけ麺をたべて腹痛を起こしました。中華めんは消化に良くないのです。夢うつつの中で腹痛が僕を現実に引き戻しました。トイレに行きスッキリしたので、そのまますぐ眠りに就くことができたのです」
「夜中のトイレはきついですよね」彼女は同情した。
「夢は2部か3部に分かれていたのですが、全ては思い出せません。1部で僕は合唱隊に加わっていたのです。僕以外にはほとんどが女性で皆を引き連れ、海岸で練習したのです。僕は最後に独唱しました」
「恰好良いですねえ」心理士はA氏の特技に感心した。
モニターには白い砂浜が映り、波の音にかき消されながらもA氏の歌声が響いていた。すると突然、そこへ一人の年配の男が近づいて来た。そして何やらこちらに向かって抗議し始めた。
「この方は一体どなたですか」心理士は突然の展開に目を細めた。
「僕もあまり見覚えがないのです。恐らく音楽関係で僕が知っている誰かだとは思うのですが、良く憶えていません。バイオリンの津田先生か或いは鈴木先生あたりではないかと思うのです」
「お二人ともご存知ですか」
「津田先生は以前、上の息子の先生でした。鈴木先生には会ったことはありません。今は亡くなり、鈴木メソッドの創始者です」
「その方が近づいて来られ、Aさんに何と言われたのですか」彼女はその内容が気掛かりだった。
「僕は彼が言った内容を良く聞いていないのです。何故なら彼がこちらに近づいて来た時に、言われる内容を既に察知していて僕はすぐにその場を離れたのです」
「つまり逃げられたわけですか」彼女は少しがっかりした様子だった。
確かにモニターには、その場を離れたA氏の視線が捉えた海の家のロッカー室内部が映し出されていた。
「僕はロッカー室に入り遠くから事の成り行きを見守っていたのです。先ほど近づいて来た男の言葉が頭の中に響いていました。『もっと大きな声で歌わないと誰にも聞こえないですよ』僕は自分の声が小さいことを確信していたのです。それを今さら指摘されることが堪らなく嫌だったのです。『そんなこと分かってるよ』と叫び返したかったのです」
「Aさんの喋る声は大きいようですけどねえ」心理士は納得できかねた。
「大きな声で喋れても歌は別なのです。歌には特別な発声が要求されるのです。歌は呼吸器官と腹が丈夫でないと歌えないのです」
「Aさんは丈夫そうに見えますけどねえ」彼女は尚も納得しかねる様子だった。
「確かに普通のレベルでは丈夫なのかも知れません。でも発声する時に最大限の声が出せないのです。一つには恥ずかしさも影響していますが、根本的には胃の欠陥なのだと思います。胃を空気で満タンにまで膨らませられないのです。胃袋が部分的に硬直しているのかも知れません」
「え、胃袋が硬直するなんてことがあるのですか」心理士は医学界の新事実を聞いたような驚き方だった。
「胃は伸び縮みするのです。ところが精神の緊張状態が続くと胃袋の伸縮が自在にできなくなるのです。僕は胃袋の欠陥により精一杯の声量で歌が歌えないのです」
「それは思い込みのような気がしますがねえ」
「いえ思い込みなんかではありません。何度も試した事実なのです」A氏はいつになく断定的な物言いをした。
「分かりました。あなたがそんなにも断固とした言い方をされるとは思ってもいませんでした。見直してしまいましたわ。ところでロッカールームで隠れられた後どうされたのですか」
「その後、その場所に中学校時代の男友達が入って来たので、彼と一緒に中学校の校舎に戻りました」
モニターには学校のプロムナードでA氏に絡んでいる数人の男子生徒が映っていた。
「この方たちは何であなたに絡んでいるのですか」心理士は心配そうに問いかけた。A氏は彼女の食い入るような視線に釘付けになってしまった。彼女の大きな黒い瞳の奥には悲しみの影が湛えられていたからである。
「僕は少し前にクラスの女の子が落としたペンケースを拾って上げたんです。それには特に下心があった訳ではないのです。ただ、それを見ていた同級生の男たち数人にイチャモンをつけられたのです。間が悪かったのです。僕は女の子たちの気を引こうとして、親切をしたと見咎められたのです」
「それは何とうがった考えなのでしょう。親切を変に曲解するなんて精神が歪んでいる証拠ですわ」彼女はモニターに映っている数人の男たちを見ながらも異様に憤慨していた。
「まあ僕の方も誤解を招きそうな行動をしたから仕方ありません。ここまでが2部なんです。3部は午前中までは憶えていたんですが、昼食を食べたら殆ど忘れてしまいました」
「それも仕方ありませんねえ。夢の記憶は薄れる速度が速いですからねえ。このモニターによれば、あなたはどこかの倉庫に入り込んでいますねえ」
「僕は何らかの理由で倉庫に身を隠していたのです」
「Aさん、あなたは良くどこかに身を隠しますねえ。逃げたり隠れたりすることが今まで多かったようですが、これから一つ一つに立ち向かわれたら如何ですか」心理士はA氏を鼓舞しようとした。
「そうできれば良いのですが、僕は心底臆病なのかも知れません。いざとなると自分の身を引いてしまうのでしょうか」
「それはそれでAさんの特質として素晴しいとは思いますわ。私もその特質は好きです」
「え、また先生、喜ばせないで下さいよ。僕はすぐ本気になりますよ。それはそれとして今回で相談に伺ったのは30回目になるんですが、夢解析に何か意味があるんですかねえ」

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夢解析器29 後篇

後編
その時、久々に性興奮ランプがモニター下で点滅した。
「あなたの意識が目覚めた途端に変な想像をされましたね」心理士は顔を赤らめながらモニターに映った年若い女性の艶姿を見つめていた。
「この方はどなたですか」
「彼女は職場のクラークです。最近、結婚したばかりなのです。特に可愛いというでもなく、魅力的というでもないのです。何故、僕の意識が彼女を夢に呼び出したかは不明です」
「この時は半覚醒状態ですから夢というわけではありません。夢と現実を行き来している状態なので、映像としては非常に捉えにくいのです。この時の記憶は後から辿ろうにも不明瞭なことが多いのです」
「おっしゃる通りです。僕はこの時、目を開けたり閉じたり、2,3度、繰り返していました。その間には目覚まし時計を聞きましたし、それを止めもしました。深く眠り過ぎて遅刻しないようにしようとする意識も働いていたようです」
「話は戻りますが、興味のあまりない女性が意識に上った時、あなたは多少なりとも興奮されましたね、何故ですか」心理士は女性特有の勘で鋭く質問を浴びせて来た。
「はあ、その時、何故か僕の理性のたがは外れていました。夢の中で僕はこんな理屈をこねていたのです。結婚したての彼女なら交渉してもバレはしないだろう」
「んまあ、何て破廉恥なことを考えたのでしょう。私はAさんに幻滅してしまいましたわ」
心理士は急に怒り出し、A氏からもモニターからも目をそらした。
「先生、僕もその時、何故そんなことを考えたのか、自分でも分からないんですから余り責めないで下さいよ」A氏は心理士が何故こうも急に怒り出したのが、全く訳が分からなかった。
「そうね、ごめんなさいね。私も少し興奮し過ぎたようですわ。あなたがその女性にそんなにも興味を抱いているのを聞いて、少しカッとしてしまいましたの。でもモニターから彼女の姿が忽然と消えるのを見て、あなたは全く彼女に執着していないことが分かって安心しましたわ」心理士は照れ隠しをするように下を向いた。
「そう言って頂いて安心しました」鈍感なA氏は心理士の心の動きを良く把握してはいなかった。彼女のA氏に対する思いを幾分なりとも知っていたならば、彼はその場で落ち着いて話などしてはいられなかったことだろう。自意識過剰も考えものだが、A氏のように女性の気持ちに鈍感なのも、これまた考えものなのであった。
「Aさんは何度かまどろまれた後、定刻の時間に起きることはできたのですか」しばらくして心理士は言った。
「はい、遅れずに起きることができました」A氏は彼女の言葉の奥に潜む深い思いには一向に気づいていないようであった。
「そうですか、良かったですね」この時には彼女も平静に戻り、冷静な口調で言った。
窓の外は時折、雨が混じる曇り空であった。台風が近づいているらしくA氏の夢のように先行きの見えない空模様であった。

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夢解析器29 前篇

前編
「こんにちは、今日は曇りで過ごしやすいですね」A氏は何かしら吹っ切れた様子で入って来た。
「こんにちはAさん、昨日は来られませんでしたね。昨日は暑かったですが今日は割合、涼しいですね。今日はすっきりされてますね」受付嬢は饒舌だった。
「はい、昨日は休みだったので、雑用をしていました。休みだったのですが、あちこち出歩いていたのでこちらには伺えませんでした」
「何か良いことはありましたか」詮索好きの彼女はついA氏の行動が気になるのだった。
「良いこともあり、がっかりすることもありました。良いことは息子のパソコンの電気が入らなくなったというのでコジマに持って行ったところ、電源をリセットしただけで直りました。何の異常もありませんでした」
「それは良かったですね」
「悪いことは面接で職が得られなかったことです。アルバイトをしようと運送会社の早朝仕分けの職探しで面接に行ったのですが、現在募集してないと断られました」
「それは残念でしたね。Aさん、本業の他にどうしてアルバイトまでされるのですか」
「今の収入では家計が成り立たないからです。今は懸賞小説に応募したりして賞金を目当てにしてるのですが、手っ取り早く現金が欲しくなったのです。息子たちの教育費が賄い切れなくなって来たのです。そこで当座、アルバイトで資金稼ぎしようと考えたわけです」
「子供さんが大きくなると大変なんですね」受付嬢は他人事のようにつぶやいた。
「昨日は取り立ててはっきりした夢は見なかったのですが、寝起きの状態についてお聞きしたいことがあったのです」A氏はやっと本題を切り出した。
「分かりました。それでは奥へいらして下さい」
受付嬢は廊下奥の緑の扉へと彼を導いた。
A氏が部屋で待っているとドアにノックがあり、心理士が入って来た。
「こんにちはAさん、お忙しいですか」
「いえ昨日、休みだったのですが仕事が溜まっているわけではありませんでした」
「良い職場ですね。ご自分のペースで仕事ができそうですねえ」
「全くその通りです。精神的プレシャーを余り受けなくて済みます。これで給料がもう少し高ければ言うことはないのですがねえ」
「それはAさん、贅沢と言うものです。バチが当たります。収入は他の手立てを考えるか、支出を削るしかありませんね」心理士は金に関してはキッパリとした言い方をした。
「それは分かりますが、支出に見合う収入を得るのはなかなか難しいことなんですよ」
「金にまつわる夢なども見られますか」
「いや、不思議と金に関係した夢は見ないのですよ。銀行預金はいつもマイナスで借金も2-300万円あるんですが、夢の中で金に困ることはないのです。起きている間も悩むのは一時だけで普段、あまり金の心配はしないのです」
「Aさんはお金に対して無頓着なのでしょうねえ」心理士は微笑んでA氏を見た。
「そうかも知れません。昨日も収入の道が閉ざされて一時はどうなるかと考えましたが、『何とかなる』と思い直したら心が落ち着きました。そしてほとんど夢も見なかったのです」
「夢を見られなかったら相談事もないと言うことですか」心理士は機器をセッティングする手を休めてA氏に向き合った。
「それがですねえ、確かな夢は見なかったのですが、朝のまどろみの瞬間、良く分からない心の動きがあったものですから、先生に解析をお願いしようかと思いました」A氏は心理士に対し言い訳をするように理由を話した。
「そうですか、分かりました。では今朝の夢の様子を見てみましょう」彼女は機器のボタンを操作してA氏の起床前の夢をモニターに映し出した。
するとモニターには彼が覚醒する前に見ていた夢が薄ぼんやりと映し出された。
「映像が余りにも薄くて本当に何の夢か分かりませんねえ」心理士も映像を全く判別できない様子だった。
「僕もこの時に見ていた夢はどう思い起こしても思い出せないのです。ところごあ4時過ぎに目覚めた時、意識が働き出し夢の世界とオーバーラップしてしまったのです」

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夢解析器28 後篇

後編
「これで昨夜の夢は終わった訳ですが、猫の話といいコーヒー間の話といい、何ともまとまりがなく意味不明で済みません。僕は今回の夢こそ、何のメッセージも読み取ることができないんです。どうでしょうか」A氏は哀願するように心理士を見つめていた。
「Aさん、あまり気になさらないで結構です。夢とは本来、論理的なつながりはないものですからね。あなたの記憶の内で特に印象に残った断片が単につなぎ合わされて出て来ただけなのですよ」
「先生のおっしゃる通りです。舞台は40年前の家の台所で登場人物は亡き母と猫。そして僕は猫に襲われながらも朝食の仕度をしていた。そこには何の関連性も見出されません」
「Aさん今、猫と言われましたね。それは『モモ』ちゃんではないのですか」心理士はA氏の一言が気がかりだった。
「はあ僕が猫と言ったのは今、突然、行方不明になった我が家の飼い猫『マル』のことを思い出したからです」
「え、『マル』という猫も飼われてたのですか」
「はい、オス猫で僕らが2階で飼ってました。1年程前に突然、家出してそれ以来、行方知れずです。その猫は野良で捨て猫だったのです。前から家を出たがっていたようです」
「そうですか。元気に暮らしていると良いですね」
「僕はさっきモニターで猫の姿を見た時、モモにはないジャンプ力だと言いましたよね。もしかしたらマルだったら、あの程度のジャンプ力はあったかも知れません。彼はスリムですばしこい猫でしたからね」
「そうですか。遠くにいるマルちゃんがあなたに会いたくなって夢の中に出て来たのかもしれませんねえ」
A氏はマルのいた頃のことを思い、胸が熱くなった。行方不明になる直前、A氏はやたらとマルを叱りつけていたことを思い出し、彼に済まなかったと思っていた。当時、マルは廊下や壁の至る所に尻からマーキングの液を振りかけていたからである。成人して早々に手術をしたので、しばらくマーキングはなかった。
ところが家内が入院して構ってくれる者がいなくなったためか、淋しく、しかも外に出られない欲求不満からか、いつしかマーキングに明け暮れるようになっていた。A氏と息子二人は彼のマーキングを見かける度に頭や尻を叩いたりした。そのため彼は彼らを見る度に尻尾を巻いて逃げ出したものだった。
「Aさん、どうされました。何か考え込まれてましたね」気になった心理士は尋ねた。
「はあ、今『マル』のことを思い出してた所です。僕は彼のマーキングを叱って、厳しくし過ぎたことを考えてました」
「彼をかつて無碍に扱ったことがAさんの胸にわだかまっていたのかも知れませんねえ。そのわだかまりが『マル』ちゃんからのあなたへの攻撃となって夢に現われたのでしょう」
「そうですか。そう考えると僕は夢で彼から攻撃されたことも当然のこととして受け止めることができます。ホッとしました」
A氏は尚も『マル』のことを思い続けている様子だった。

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夢解析器28前篇

第28日
前編
「こんにちは」A氏の挨拶は元気がなかった。
「こんにちはAさん、お疲れのようですね」受付嬢は彼の様子が気にかかった。
「ええ、少し疲れています。昨日、田舎から帰ったばかりです」
「Aさん、先週も帰られましたよね、二週間続けてですか。さぞお疲れでしょうね」
「はあ当分、車は運転したくないです」
「そうでしょうねえ。昨夜はゆっくりお休みになれましたか」
「はい、ぐっすり眠りました。でもまた変な夢を見たのです」
「運転の夢でも見られたのですか」
「いや全く違います。猫の夢です」
「え、猫ですか。詳しいことは奥でお聞きしましょう。さあどうぞ」
受付嬢はA氏を廊下奥の緑の扉へと導いた。
A氏は検査室の中でしばらく待つとドアにノックがあり、心理士が入って来た。
「こんにちはAさん、お待たせしました」
「こんにちは、先生はいつもお元気そうですね」
「挨拶で自分を元気づけているようなものですよ」
「いつもその元気さを分けてもらって有難うございます。僕も少し元気が湧いて来ました」
「Aさん、お疲れですか。どんな夢を見られたのですか」
心理士は手際良く機器をセットし終わった。
「一泊で田舎へ行ったもので少し疲れが溜まってました。昨夜は久々に夢に動物が出て来ました」
モニターにはやがて、やたら飛び跳ねる動物が映し出された。
「何ですか、この元気過ぎる動物は」心理士もその跳躍力に唖然としていた。
「これは猫ですよ。僕の姉が飼っている『モモ』という名の猫です」
「モモちゃんはそんなにも跳躍力があるのですか」心理士は事実を確認した。
「とんでもないです。メス猫で栄養がつき過ぎて、とてもジャンプなんかはできないのです」
「このモニターでは1-2mもジャンプしてますわ」
「それが不思議なのです。僕は椅子の上に乗って、彼女が飛びかかって来るのをよけようと必死なのですが、どうやっても飛びつかれて噛むは引っかかれるはしてしまうのです。現実では全くあり得ないことです」
「その猫とは普段から接触しているのですか」
「昨夜は姉が旅行中だったのでモモは一匹で部屋にいたのですが、淋しかったらしく僕らの部屋にまで入って来ようとしていました。そこで僕は彼女を抱き上げて猫缶を食べさせてあげたのです」
「それではモモちゃんと普段から係わりはあるのですね」
「そうですね。一週間に二度ぐらいは頭を撫ぜたり抱いたりしています」
「その猫が何故、Aさんを襲うようなことをしたのか不思議ですねえ」
「そうなんです。僕は彼女を一度もいじめた憶えはないんですがねえ。何故、夢ではいきなり凶暴になったんですかねえ」二人は頭を抱え込んでしまった。
しばらくすると台所のコンロが映し出された。
「あ、これは先の猫事件とはあまり関係がないのですが、建て替える前の僕の家です。一階に台所があり、僕は朝食の準備をしていたのです」
「この部屋はあなたがさっきモモちゃんに飛びつかれていた部屋に似ていますね」
「はあ、もしかしたら同じ部屋かも知れません。僕の夢には昔の家の台所が良く出て来るのです。そこで炊事したことなど殆どないのですが、夢ではお湯を沸かしてコーヒーをいれていました。それも空缶を容器にして作っていたのです」
「空缶に熱湯を入れたらさぞや熱かったことでしょうねえ」心理士は現実的な問い掛けをした。
「そう、その通りなんです。熱湯を注いだ空缶は熱過ぎて触れることもできない状態だったのです」
モニターには湯気が立ち上るコーヒー缶を左手で熱そうに押えながらも、右手のスプーンで中味をかき混ぜている様子が映し出されていた。

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夢解析器27 後篇

(後編)
モニターには古そうな電池が映り、それを選り分けているA氏が急にコピー機の部屋に呼び戻された。そこには既にメーカーの修理担当者らしき人がいた。
「僕はそこで彼らにコピー機の保証書があるかどうか聞かれたのです。僕はとっさにそれは病院の事務所に保管されていると判断し、病院に取って返そうとしたのです」
「Aさんが勤務されている病院はお隣りなのですよねえ」
「そうです。目と鼻の先です。普通なら歩いて5分もかからないのです。ところが夢の中では病院とグレイスは遥か遠くに隔たっていたのです」
モニターにはグレイスを出ると駅に向かって走る場面が映し出された。
「僕は初め駅から電車に乗って病院へ戻ろうとしたのです。ところが乗ってみると病院方向の路線ではなかったのです。時間は迫っているし僕は慌てました。最後の手段として空へ飛んだのです」
「ははあ、それで一番初めの場面につながるのですね」
モニターには地面が徐々に遠ざかり空高くから下界を見下ろす場面が映し出された。海岸沿いに線路が続いているので、線路に沿って飛んで行くには左方向に大海原が視界に入って来るのだった。
「Aさん、気持ち良さそうに線路に沿って飛んでられますね。それで上手く病院へは戻れたのですか」
「実は飛んだ方向が間違ってたみたいなのです。駅が近づいたのでそこに下りてみると、全く見知らぬ駅名でした」
モニターに映し出された駅名は全く未知のものだった。駅構内は作業場になっていて、そこでは機械の調整作業が行なわれていた。その場に向かうA氏の横にはうら若い女性が連れ添っていた。暫く作業場を巡回する内に彼女はくず折れるようにA氏の首に両腕をかけ、縋りつくように寄り添って来た。その様子を間近に見た作業員の何人かは不快な表情を顕わにしていた。
「Aさん、どなたですか、この女性は。そして何故、彼女はあなたに縋りついているのですか」心理士は驚きながらもA氏を若干、責めているようにも聞こえた。
「いや、僕も良く分からないんですよ。その作業者は僕が以前、勤めていたG工業の現場で働いていた人達のようです。Hさんの顔は思い出せます。僕に倒れかかって来た女性は当時、同じ職場にいたTさんに似ています。華奢な体つきがそっくりです。彼女は一時、僕に気があったらしいのです」
「それはAさんの思い込みではなかったのですか」心理士は疑いを差し挟んだ。
「そうじゃないですよ。僕だって若い時にはモテたんですって。彼女が僕に興味を示した素振りを見せたこともあったんですよ。そんな思いが残っていたのかも知れません。僕は彼女が夢で寄り添って来るのを快く感じていました」
「嫌ですねえ。鼻の下を長くして」
「僕らの様子を見ていた仲間の何人かは良い顔をしてませんでした。その中の一人は早く外へ出てけとまで言ってたのです」
「職場でそんなことをされたら誰だって不快になるでしょうねえ」
「僕は外に出て途方に暮れました。その駅は何と伊豆半島の先端近くにあったのです。僕はそんな所まで空を飛んでいたのです」
「それから病院へは戻れたのですか」
「いえ、戻ろうとしたところが夢から覚めました。不思議なことに夢を見た時間は10分程なのです。夢の中ではもっと時間が経ったように感じました。一旦6時に目覚めて寝直した結果、こんな夢を見てしまったのです」
「二度寝して夢を見ることは多いようですね。あなたの心の不安は仕事に関連していることが多いようですね」
「それでは空を飛んだのはどうしてですか」
「それはAさんが自力では解決できない局面に遭遇してすべてを天に任せたってことではないでしょうか」窓の外は夕焼けに染まっていた。

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