サラ金の親分4

その4)
「ほう、そう言われれば身体を作ることはできんし、怪我を治すこともできんの。すべて自然のなせる業じゃからのう。自然の恵みと言えば、空気・水さえも神から無償で与えられたものじゃな」親分は納得した様子だった。
「親分はさすがに飲み込みが早いですねえ。そうなのです。私たち自身を含め、周りのものはすべて神様からの授かり物なのです。それを先ず感謝しなくてはいけません。神の恵みを当たり前と思うことが、そもそも罪なのです」
「はあ、わしが罪を犯しておると言うのか。冗談じゃない。罪と言やあ、法定金利を上回った貸し付けをしてる時にゃ多少、罪の意識は持つわな。何せ下手をすりゃあ刑罰を受けるからのう。でもわしゃ罰を受けないことにゃ、罪など感じたことなどありはせん」親分は口角泡を飛ばした。
「それが親分のそもそもの間違いですよ」Qも後へは引かなかった。
「黙って聞いてりゃあ良い気になって。親分のことを罪人呼ばわりしたり、親分の間違いを指摘したり、お前は何様なんだ。タダじゃおかねえぞ」子分たちは急に騒ぎ出した。
「まあ、お前たち静かにせんかい。わしも神に対しては今まで間違いを仕出かしたことに少し気づき始めた所じゃ。心が溶けて来た感じがしてたのじゃ」
「神の存在を実感しておられるのなら、後は神と正常な関係を取り結び神との対話を復活させれば良いのです」
「それはどの様にすれば良いのじゃ」
「イエス・キリストを仲介者として立てるしかないのです」
「おお、ここでイエスとやらが出て来る訳か」親分は急に浮かぬ顔になった。
「そうです。私たち人間は神に借りがある上に今まで裏切ってばかりいました。その罪をあがなってもらうにはキリストと言う仲保者がいないと無理なのです」Qは決然としていた。
「わしが一人で神の前で懺悔しても許してもらえんということじゃな」親分は尚も問題を自力で解決したいようだった。
「その通りです。もしあなたに100万円借金している者がいて20年間、借り続け利息を含め500万円になったとします。その内50万円だけ返して、許してくれと言われてあなたは彼を許しますか」
「いや許さんよ」断固とした答えだった。
「神も同じです。私たちには命という金銭には替えられない授かり物があります。命に対して感謝の意を表わし、それを贖うには死んで命を捧げても不可能なのです。私たちが生きた年間の利息は支払うことができないからです」
「するとわしはどうすれば良いんじゃ」親分は少し弱気になった。
「あなたのためにイエス・キリストが身替わりとなって十字架上で死んだのです。その死によって私たちは神から魂を抜き去られずに済んだのです。神に最も近いイエス・キリストが自分の身体を張って執り成してくれたおかげで、私たちは身体を神に返さずに済むばかりか、永遠の魂まで手に入れられるようになったのです」
「イエス・キリストがわしのために身体を張ってくれたのか」親分は暫し感慨に耽っていた。
「そうです。イエス・キリストは人類のために、そしてあなたのために身体を張って犠牲となったのです」
親分は人のために身体を張る意味が良く分かっていたので、その時、心が熱く燃え上がるのを感じた。そこでイエスに個人的な興味を覚え始めた。
5に続く

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サラ金の親分3

その3)
「わしは今のところ何の悩みもないがな。あ、でも一つだけ気にかかってることがあるんじゃよ。わしが死んだらどこへ行くかということじゃ。わしの身体は燃やされて灰になるんじゃが、財産は惜しい、家族、中でも孫と離れるのは辛い。死んだら旨い物は食われへん。女遊びはできん。旅にも行けない。わしは死ぬのは一向に恐くないが、その時点ですべての快楽が奪い取られるのが我慢できんのじゃ」親分は悔しそうに歯噛みした。
「それはあなたが神様を認めないからです。人を人とも思わない親分さんでも悩みがあったのですねえ」Qは同情の目を向けた。
「いや、こんな事を人前で言ったのは初めてじゃ。子分達の前で弱音を吐くのは禁物だからの。あんたの前では不思議と白状させられてしもうた」
「私たちは人前でも弱音を出すことが大事なのです。自分をさらけ出す機会が現代は益々、少なくなっているからです。誰もが建前ばかりで話しています。友人や家族に対しても建前しか話せなくなったら、大勢の中にいても孤独なだけです。都会は孤独な者達の集まりなんです」Qは寂しく一点を見つめていた。
「わしがこれだけの財をなしたのも死に物狂いで仕事に打ち込んで来たからなんじゃ。わしは若い頃、身体が弱く肺炎で死にかけたんじゃ。一命を取り留めてから、わしは自分に運気があるのを知ったんじゃ。それからはわき目も振らず仕事に打ち込んだ。多少、無理をしたが、不思議と健康は保たれておった。財をなすのにわしは人を信じなかった。自分だけを信じておった。人は信用できん。相手が金持ちになると態度が変わる奴が多過ぎるんじゃ」親分は暗い過去を噛みしめていた。
「そうなんです。人は金を持ってる者だけを高く評価するものです。彼らは人を見ないで、金だけを見てるんですよ」
「わしは金持ちになり周りに群がる人間も多くなったが、誰も信用せんかった。だから、わしはいつも孤独じゃった。家族でさえも金目当てにわしを慕っていると考える程じゃった。大病をした後でわしは神の存在だけは信じるようになった。わしに命を与え、肺炎をくぐり抜けても生かして下さった神は本物だと確信するようになっていた。証明はできなんだが、実感しておったのじゃよ」親分は遠い過去を懐かしんでいた。
「そうなんです。目に見えない存在を証明する必要はありません。神との出会いはあくまでも個人的体験なので、人に自慢することではないのです。個人的に体験した思いを心の土台として生きれば、それでじゅうぶんなのです」Qも辛い過去を振り返っているようだった。
「何かあんたと話す内に、身分の違い、財産の違いはあるものの、共通点が見えて来たのは不思議じゃのう」
「見えない神の存在を確信し、神の前にへり下ることが宗教の第一歩なんです」
「わしは神の前でへり下るという態度が分からんなあ」親分は困った表情をした。
「神の前にへり下るとは、神からの借金を念頭に置き、生きている内に少しずつ返そうと努力する気持ちなのです。神に恩を返す気持ちがあれば、自ずと高ぶった心は消滅するのです」Qは言葉に力を込めた。
「わしが神に借金をしているとでも言うのかね」親分は驚きを隠せなかった。
「そうです。私たち人間は誰もが神に対して借金をしているのです。生まれてから借金は増え続けますが、死ぬ時には全額返さねばなりません」Qの口調は厳しかった。
「わしは人に金貸しはしとるが、神と金銭のやり取りをした事なぞ一切ないぞ」親分は不本意そうにQを見据えた。
「確かに金銭のやり取りはないかも知れません。でも、あなたはその身体を神から授かったではありませんか。そして一度、死にそうになったのに助けられたではありませんか。それが金銭には換えられない借金なのです。金では買えない程の貴重な身体をあなたは備えられているのです」Qはしみじみとして語った。
4に続く
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サラ金の親分2

その2)
「だから金を儲けることを第一目標としているのですね」
「当たり前だ。金がありさえすれば何でも買えるんじゃ。土地・建物・女・権力、金で買えんものは何もない」親分は自信あり気だった。
「そうでしょうか。永遠の命は金では買えませんよ」
「永遠の命など、そもそもないんじゃ。人間、死ねばお終いじゃ。死ぬまでいかに楽しむかが勝負なんじゃよ」
「私にとっては生きることも、死ぬことも同じように大事ですね。良い死に方をするのが良い生き方をした証しとなりますからね」
「武士道みたいな事をぬかしよるな。今は刀で殺される世の中じゃないんだ。死ぬのは年取ってから考えれば良いことじゃ。おぬしは若いくせに辛気臭いことを考えとるんやな」親分は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「常に死ぬことを念頭に置かなければ充実した生は生きられないと思いますがね。これも価値観の違いなんでしょうかね」Qも強情だった。
「全く、おぬしとはソリが合わんの。できれば会わずにいたかったものじゃが、最後にイエスという人間がおぬしに何をしてくれたか教えてくれんかの」親分もQと議論するのは諦めたようだった。
「イエス様は私のために十字架にかかって下さいました。その死により、私は一切の罪から解放され自由になったのです。そして神様と直接に話すことができるようになりました」Qは満足げな様子であった。
「あんたは何のきっかけでそうした確信を得るようになったんだね」親分はQの様子に興味を持ったようだった。
「私も初めは疑っていました。今でさえも疑いの誘惑に襲われることはあります」
「いや、わしが聞きたいのはおぬしの確信の根拠じゃよ」親分はせっかちそうに口を挟んだ。
「確信は日々の生活の中で実証されています。困難に襲われた時にもじっと耐えれば神様から助けが得られます。そして常に感謝の気持ちを伝えれば神様は必ず良い結果をもたらしてくれます。そうした日々の積み重ねにより神様が私の助け主であることを確信できるのです」
「そうか、日々の積み重ねか。とすると一挙に神との結び付きが確立した訳ではないのだな」
「はい、違います。神様との間のバリアーが消えたのは一瞬の出来事でしたが、神様がいつもそばにいるとの確信は徐々に強まるものです。ですから私は自分が完成したクリスチャンとは思ってもいません。発展途上のクリスチャンに過ぎないのです。神様の存在は確実に信じられますが、イエス様の教えについては100%受け入れているかどうかの自信はないのです」Qは謙虚に自分の不完全さを認めていた。
「そうか、おぬしも悩みながら耶蘇の道を歩いておるんじゃなあ。ところでイエスの教えは何に書かれておるんじゃ」親分は少し興味を覚えて来たようだった。
「イエス様の言動はすべて聖書という書物に書かれています」
「あの分厚い本か」親分も店頭で見かけたことは憶えていた。
「ええ、でもイエス様の言動が書かれているのは後半の福音書というところだけです。4人の弟子たちによって書かれたものなので、それぞれ書き方に特徴があります。私はそれが人間の言葉によって書かれた書物である以上、必ずそこには誤解や曲解はあると思うのです。従って私は聖書に対してさえも100%の信頼を寄せる訳ではないのです」
「その点ではわしもあんたの考えに同調するよ。でもあんたの信仰も軟弱に見えるの。普通、信仰とは熱い心でイワシの頭まで信ずるものじゃないのかい」親分にはQの限界が見えたようだった。
「ですから私の信仰は発展途上なのです。100%の信仰を目指して毎日、悩み苦しんでいるのです」Qにも翳りが見えた。
3に続く

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サラ金の親分1

サラ金の親分
平成24年12月5日
その1)
「親分、あっしはこうしてPの身代わりにQという奴をしょっ引いて部屋に監禁してるんすが、これがまた奇妙な奴なんでさあ。常識じゃ考えられないことを言うんでさあ。初めて監禁室に入れた時もこんなやり取りがありやした」

T金融ビルの地下には立派な監禁室がいくつか用意してあった。そこへ連れて来られたQはいきなり悦びの声を発した。
「いや、こんな落ち着いた部屋に住まわせて頂き有難うございます。感激です」
「おい、勘違いしてもらっちゃ困るんだよ。あんたをそこへ監禁するだけで何も住まいを提供した訳じゃないんだぜ」
「それでも結構です。住む場所もなかった私にとって雨・風がしのげる場所はどこででも天国なのです」

「親分、あっしには奴みたいなタイプの人間は初めてなんで、どう対処して良いかさっぱり分かんないでさあ」
「お前も未だ修業が足らんなあ。どんなタイプの者からも取り立てができるようにならんと一人前とは言えんのだぞ」
「へい、それは充分、分かってるつもりだったんすが、こんなにも自分というものがない奴と話したのは初めてなんで、あっしの手には負えんのですよ。一度、親分、会って下せえ」
「よし、じゃあ会ってみることにしよう。ここに連れて来い」
こうしてQは監禁室から連れ出されて親分の前に引き連れて来られた」
「お前がQか、大変変わっておるそうではないか」
「私としては変わっているつもりはありません」
「親分に口答えするつもりか、少し身分をわきまえろよ」子分Aが横から怒鳴った。
「まあ良い。お前は口を挟まんで良い」親分は全く動じていなかった。
「おぬしはPの身代わりで連れて来られたようだな。お前はPに何か借りでもあるのか」
「いえ、ありません。Pさんとは単なる知り合いです」
「知り合いなだけで借金の身代わりになるのはおかしい」
「私がこの世に生を受けたのは誰かの役に立つことです。僕はPさんの役に立てて嬉しいのです」
「そんな考えは時代錯誤も甚だしい。お前はいつからそんな考えになったんだ」親分にはQの考えが不可解だった。
「つい最近です。ふとしたきっかけで教会に行ったのです。そこでイエス・キリストに出会い、今までの価値観がすべて変えられたのです」
「それではお前は耶蘇か。昔、耶蘇には手を焼いたとわしの親父からも聞いたことがある。未だ耶蘇の影響力が残っておるのか」親分は腕を組んで考え込んだ。
「僕はキリストと出会ってから全く別人になったのです。以前の自分は不平・不満だらけで、人に感謝するなんて気持ちには到底なれませんでした。それが今では毎日が充実し満足に過ごせているのです」Qは晴れやかな顔つきに笑みが溢れていた。
「イエス・キリストがお前さんに何をしたと言うんだ。もう2000年以上前に死んだ人間なんだぞ」親分は呆れ顔だった。
「イエス様は死んでも生きているのです。僕は毎日、聖霊様から力を頂いているんです」
「また、いきなり訳の分からんことを言い出したな。その聖霊とやらは何だ」親分もイライラして来たようだった。
「イエス様が私たちに遣わされた助け主です。心の内に宿り力を下さるのです」
「わしにはさっぱり分からん。見えないものは信じられん」親分は正に現実主義者だった。
「そうなのです。神は信じるしかありません。信じない者には何も見えない筈です。宗教とは感覚の世界の出来事なのです」Qの言い分は何故か確信に満ちていた。
「わしは宗教などなくとも、こうして毎日、充実して過ごしておるから別に問題はないんじゃよ。ただおぬしのような価値観を持つ人間が理解できんのじゃ」親分はQと言い争う気にもなれなかった。
2に続く

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初恋慕 最終回

その12)
(再会への期待)
卒業からあっという間に35年が経ち、誰もが人生半ばを越していた。それぞれの生活も落ち着き、一段落していた。クラスで面倒見が良かった大宮正博と美人系の豆白洋子が取りまとめ役を買って、卒業以来初めてかとも思われる、久々のクラス会が行なわれることになった。
今までこうした会からは遠ざかっていた良太も、当時憧れていた豆白が世話役だったこともあり、今回出席してみることにした。彼にとっては、細谷のその後も大いに気になるところだった。
当日まで出席者は知らされていなかった。その日、良太は期待に胸を弾ませて、三軒茶屋駅前のA中華料理店へと向かった。階段を上がるとすぐ受付があり、そこには大宮と豆白が出席者のチェックをしていた。
「いや、久しぶりだな。神埼だろ」大宮は浅黒い顔で愛想良く、挨拶して来た。
「ああ、そうだよ。大宮も元気そうだな」
「神崎君、ちょっと変わったわね」横にいた豆白が声を掛けて来た。
「あ、こんばんは。久しぶり」良太は自分が変わったことは知っていた。ところが豆白も大いに変化していた。当時の面影は残しているものの、目尻のしわまでは化粧で隠し切れていなかった。彼には「君も変わったね」とはついに言えなかった。
受付で手渡された名簿を見た良太はガッカリした。細谷が欠席であるばかりか、当然のように名字が変わっていた。和田寿美子に変わっていた。良太自身、既に妻子がいたので彼女が結婚したことに、さほどショックは感じなかった。むしろ彼女の結婚が幸せなものであることを願うのみであった。ただ心残りだったのは、卒業の際にも寿美子にまともな別れの挨拶と励ましの言葉を掛けられなかったことだった。
クラス会では各々が近況報告をし、食べて飲んで盛況の内に終わった。

(別れ)
その後瞬く間に五年の月日が流れた。
前回のクラス会で世話役だった大宮が北海道転勤から戻って来たのを機に、再び皆で集まろうと言うことになった。
「お前、何年、北海道へ行ってたんだ」良太は電話の子機を左手で支えながら、右手で箸をもてあそんでいた。
「二十年近く行ってたよ。あっちで子供たちも成長したさ」
「広々した大自然の中で子育てができて良かったな」
「ああ、子育ても一段落したとこで、僕も寄る年波で寒さが身体にこたえるようになって来たんだ」
「じゃあ、ちょうど良いタイミングで戻れたって訳だな」良太は未だ箸の先で秋刀魚をつついていた。
「お前、次のクラス会も来れるか」
「うん、行くつもりだけどね」
「前よりも集まりが悪くて困ってるんだよ。連絡がつかなかったり、亡くなったりした人がいてね」
「え、誰が亡くなったんだ」良太は変に胸騒ぎがした。
「和田さんだよ。旧姓、細谷さんだよ。去年、突然倒れて病院に運ばれたけど、間に合わなかったらしい」
「え、本当か」良太はその後の言葉が続かなかった。40年前の情景が鮮やかに脳裏に蘇ると同時に、眼からは涙が止めどなく流れていた。
「もう、彼女には二度とつぐなえない」独り言のように良太はポツリと魂から声を絞り出した。

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初恋慕11

その11)
(揺れる思い)
赤い糸で結ばれていたのか、神の導きかは定かではないが、良太は三年間、寿美子と同じクラスだった。毎年クラス替えがあったにも拘らず、同じであったのは珍しいことだった。彼はできれば離れたいと思った時期もあった。お互いに思いを通じ合えたのに、急に冷えてしまった自分の心を良太自身、許せなかったからだ。
冷えた心を荒んだクラスのせいにして、敢えて寿美子に言葉を掛けようともしない自分に、良太は歯痒くもあり腹を立ててもいた。
2年C組には番長も副番長も揃っていた。副番長の永田が寿美子に興味を持っていると聞き及んだ良太は、益々彼女との仲を気づかれないように遠ざかる他なかった。次第に色香が漂い始めた寿美子の周りに群がる男子生徒を横目で見て、彼女を遠くから見守っていた。彼女の良太を見返す瞳の中にも、徐々に満たされぬ恋に対する諦めの影が忍び寄って来ていた。
忘れ去りたい悪魔のような暴力教室の一年はじりじりと、でも確実に過ぎ去って行った。中学になって三度目の春が来て、E組にクラス分けされた良太は、開放的な気分を味わっていた。「番長の竹井も副番長の永田もE組にはいない」廊下に貼り出されたクラス替え表示を見た彼は、一人呟いていた。
「おい、神崎。また細谷と一緒のクラスだなあ」見ると畑中が後ろでニヤニヤしていた。
「あ、そうだな。お前とは一緒になれなくて残念だったな」良太は過去を知る畑中とも今回、離れたクラスで内心ホッとしていた。
新しいクラスで顔馴染みは少なかったにも拘らず、良太は相変わらず寿美子と疎遠にしていた。彼女以外に彼の気を引く、転校生の女生徒、豆白洋子の存在が大きかった。良太は彼女に一目惚れした。色白でつぶらな黒い瞳が印象的だった。成績がクラスの上位で理知的で澄ましたところが、寿美子にはない魅力だった。
そんな良太の浮気心を寿美子に引き戻す出来事があった。卒業を間近に控えた音楽の時間に、寿美子が「学生時代」を独唱したのだ。
「何て上手いんだろう」良太は聴き終って、胸を打たれるほど感動した。彼女がこれほど正確に心を込めて歌えるとは予期していなかった。何よりも感情がこもり、三年間の様々な思いがその歌に凝縮されていた。
無心に歌う天使のような寿美子の澄んだ歌声が、良太の胸にいつまでも消えることのない余韻を響かせているのであった。そして彼女の遥かな憂愁を秘めた深い湖のような瞳が、決して消えることなく良太の瞼に焼きついて離れることはなかった。
12に続く

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初恋慕10

その10)
(重荷)
週明けの月曜日、良太の心は深く沈んでいた。寿美子に本心を告白したので本来ならすっきりしている筈なのに、重苦しい心の正体が分からなかった。
教室に入るまでの廊下の道のりが長く感じられた。
「おはよう、神埼。どうしたんだ、元気なさそうだな」後ろから元気の良い畑中が声をかけて来た。
「あ、おはよう。別に何でもないよ」良太は無理に、明るく振舞おうとした。
「お前、あれから細谷から電話があったか」彼は土曜日の一件が気になるらしかった。
「いや、特になかったよ」良太は何故か嘘をついた。告白したことは親友である畑中にも言いたくはなかった。ましてこの重苦しい気持ちでは、話せばもっと深みに落ちそうに感じていた。
「そうか、残念だったな。また機会はあるさ」彼は楽観的にすべての物事を捉えていた。良太の告白も彼にとっては他人事なのだった。逆にその無関心さが良太には有難かった。
教室に足を踏み入れた良太は無意識に寿美子の姿を探していた。教卓に近い窓際に、その姿はあった。二人の目と目があった。彼は彼女の視線をまともに受け止めることができなかった。彼女の目には訴えかけ、縋りつく熱い思いが読み取れたからだ。
良太は細谷の横に中村美津枝が影のように付き添っているのが気になった。彼女の視線は悲しげに、良太に向かって何かを問いかけていた。彼はいたたまれず、すぐに視線をそらした。恐らく親友である二人は告白のことを既に話題にしていたのだろう。良太は中村が未だ彼に思いを寄せていたことも知っていた。彼は美津枝の気持ちを察すると、胸の内が言いようもなく苦しくなるのを感じた。
「俺は中村美津枝を傷つけてしまったのかも知れない」良太はひとりごちた。
その後、良太は細谷からも、勿論、中村からも遠ざかるようになった。二人の視線にどう応えたら良いか、見当がつかなかったからだ。
寿美子からひと時、発散されていたオーラは既に良太の目からは消えていた。今では、彼女は入学当時のどこにでもいる女の子に戻ってしまっていた。
その頃、同時にクラス全体の雰囲気が変容し始めた。男女交際をしたり、甘い恋を囁く時期は終わりを告げようとしていた。クラスが荒んで来たのだ。その荒みは3年の前半までも続いた。
「おい、畑中が塚原にケリを入れられて反撃したらしい。そしたら塚原が顔面パンチを食らって、鼻血を出してるよ」
「井山が女の子の前で良いかっこするから、番長の竹井が怒って放課後、奴を血祭りにあげたそうだ」
こんな話題を耳にする度に、良太は自分が犠牲者にならないように、自重し出したのだった。
11に続く

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初恋慕9

その9)
(告白)
「ただいま。ご飯できた」
「ええ、もうできてるわよ。今、みんな食べ始めようとしてたところよ」
「今日は何」
「ハンバーグよ」
「お、すげえ、ごちそうだな。頂きまーす」
「帰った早々、食べ始めるのは早いのね」姉の敏子が口をはさんだ。
「こんな遅くまで何してたんだ。火薬臭いぞ」父親の鼻は敏感だった。
「あ、友達と寺太夫堀近くで、2Bを投げてたんだよ」
「そう言えば臭いわねえ。中学にもなって子供みたいね」姉は何か一言、言いたいのであった。
良太は言い返そうとした瞬間、電話のベルがけたたましく鳴った。
「チリリリリーン」彼は一瞬、ドキッとした。
「もしかしたら・・・」と思ったからである。近くにいた母親が受話器を取った。
「良太、細谷さんとか言う女のお友だちからよ」彼女は‘女’という部分を強調した。普段、良太に女の子から電話が来ることは一切なかったからである。父も姉も耳をそばだてて注目しているのが見て取れた。
良太の心臓は飛び出しそうだった。口にあったご飯を噛まずにそのまま飲み込んだ。
「うん、今行くよ」
電話は居間にあった。食事をしている部屋とは襖だけで隔てられていた。良太はすぐさま、すべての襖を閉じ、居間を個室状態とし、外に声が漏れないようにした。両親も姉も怪訝そうな表情をしていた。
「何も部屋を閉め切らなくても良いのにねえ」姉のぶつぶつ言う声が聞えた。
「はい、もしもし神崎ですけど」良太はやっと声を振り絞った。
「今晩は、神崎君。さっき電話もらったみたいだけど、クラブだったんでごめんね」
「いや、いいんだよ」
「それで何か」
その後、どれほど沈黙が続いたろうか。良太はドギマギしていた。寿美子からすぐに電話があるとは予期してなかったからだ。彼は彼女と共通の話題があるわけではなかった。普段、言葉を交わすことは稀だったからだ。お互い、遠くから見つめ合うだけの間柄だった。
良太は沈黙に抗し切れず、反射的に告白するしかないと心を動かされた。
「僕は君が好きなんだ」彼にとって、それだけ言うのが精一杯だった。余りにも単刀直入な表現ではあった。気持ちを伝えれば、その結果はどうでも良かった。
その時、受話器の向こうから思いがけない言葉が良太の耳に響いた。
「私もよ」寿美子もそれを言うのが精一杯だったようだ。再び沈黙が訪れた。
良太と寿美子にとって、その瞬間ほど幸福な時はなかった。二人を取り巻く世界は一瞬でバラ色に変わった。世界にたった二人だけの空間が現出した。電話を通しても二人の心は深く結び合った。良太の心はそのまま舞い上がる筈であった。
ところが全く彼にとって予期せぬ出来事が起こった。お互い恋の始まりを予感し、愛を確かめ合った言葉の余韻を楽しみながら受話器を置いた瞬間に、彼の心だけが急変してしまったのだった。
良太が甘い恋の実感を味わえたのはほんの一瞬だった。寿美子から嬉しい返事を聞き、両思いを知った途端、何故か彼の心に膨れ上がった恋の風船は一気にしぼんでしまったのだった。あまりの変化に良太はなす術を知らなかった。彼はそのわけを自分の心に問いかけてみたが、はっきりした答えは得られなかった。本当に移ろいやすい自分の心を恨んだ。今となっては、寿美子は彼の憧れではなく、足かせになってしまっていた。
10に続く

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初恋慕8

その8)
(告白の催促)
2Bの箱が空になる頃には、良太の心から怒りは消え、天気とは裏腹に晴れ晴れとしたものになっていた。辺りはすっかり闇に包まれ、最後の2B弾がオレンジ色の火花を飛ばし華麗に炸裂した。
「神崎、気分は収まったか。景気つけたついでに、細谷に告白しちゃったらどうだい」畑中の提案に鈴木も急に乗り出して来た。
「そうだよ、神埼。気持が盛り上がった時に打ち明けちゃえよ。お前、好きなんだろ」
「好きだけど、今、打ち明けるってのは何だなあ」良太は催促されてまで打ち明けたくはなかった。
「あ、そこにちょうど電話ボックスがあるじゃん。鈴木、お前んちから学校の電話連絡簿、持って来てやれよ」畑中は既にその気になっていた。
はあはあ言いながら、鈴木は家から電話帳を持って来た。
「えーと、一年C組女子、細谷寿美子、電話、あったぞ神崎。電話ボックスへ行こう」普段、消極的な鈴木までが、今日は積極的で乗り気になっていた。
「お前ら、人の事だとどうして、そう張り切るんだよ。打ち明ける身にもなれよな」良太は既に胸がドキドキして仕方なかった。
「ほら、迷っててもしょうがないぜ。早く電話しろよ」
とうとう良太は受話器を取り上げてダイヤルした。
「リリリリリーン、リリリリリーン」呼び出し音がいかに良太の耳には長く続いたことか。
「はい、細谷でございますが」突然、受話器の向こうから若々しいが、落ち着いた女性の声が響いた。寿美子でないことは間違いなかった。
「あの、神崎と言いますが、細谷さんはおられますか」良太はやっと声を振り絞った。
「いえ、あの子は未だ学校から戻ってませんが」
「はあ、それなら結構です。失礼します」良太はアタフタして、用件も何も言わず、電話を切るのが精一杯だった。
電話ボックスを半開きにして見守っていた二人は、同時に話し掛けて来た。
「誰が出たんだ」「どうだった」
「多分お母さんだろう。細谷は未だ帰ってないと言われた」
「ちぇ残念だったな。神崎、機会を逃がしたな」
辺りはすっかり暗くなり、どんよりした空がやっとの思いで、そこから雨が落ちて来るのを食い止めていた。
9に続く

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初恋慕7

その7)
(2B弾の気晴らし)
坂を下り切った所には寺太夫掘と言う小さな支流が流れ、遠く多摩川に合流していた。寺太夫掘は道路から1~2m下を細々と流れる小さな川だった。両岸はコンクリートで整備され、多少の雨では溢れ出ないようになっていた。それでも上流が雨に見舞われた際には、水かさが増し、濁流が道路間際まで追い迫ることもあった。橋を渡って道路沿いに五軒ほど行くと鈴木の家があった。
「鈴木くん」畑中は外から大声で叫んだ。中からは何の返事もなかった。
「鈴木くーん」良太も呼びかけてみた。やはり何の返答もなかった。
「まだクラブから帰ってないんだな」
「じゃこの辺で時間をつぶしてようか」そう言って畑中が自転車のカゴから2Bの入った箱を取り出した時、左手奥のトンネルを抜けてこちらに歩いて来る人影が見えた。
「あれ、鈴木だよ、おーい」良太は手を振った。鈴木は気づいたようだったが、別に急ぐ風でもなく、のそのそと二人に近づいて来た。
「やあ、こんなところでお前たち、何してるんだよ」
「お前が来るのを待ちわびてたところさ」
「こんな夕方から遊ぶのかい」
「これも神崎のためだよ」
「え、神埼がどうかしたのか」
「奴は振られたんだよ」
「え、本当かよ」
「そんなんじゃないよ」良太は慌てて訂正した。
「さっきまで藤木や中村たちと緑地で遊んでたんだよ。そこに細谷も来るはずだったんだが、クラブが忙しくて来れなかったんだ。それで神崎がガックリ来たんで抜け出して来たってわけさ」
「神崎、お前やっぱ細谷が来るのを期待してたんだな」
「うん、まあな、少しがっかりして遊ぶ気がなくなっただけさ」
「そこで景気づけに2Bを一箱買って来たんだ。さっそく始めようや」
畑中は箱を開けると2Bを一本取り出した。先端に付着した火薬をマッチ箱のヘリについた摩擦面で擦ると、シュッという音と共に火花が飛び散った。続いて白い煙がモクモクと出て来た。十秒後には爆発する筈であった。
5まで数え、白煙が黄色くなりかけた頃合いを見計らって、畑中は寺太夫掘目がけて投げ入れた。川面に浮かんだ2B弾は黄色い煙を上げながら川下に流れて行った。
すると次の瞬間、「パーン」と弾けるような音と共に水しぶきを上げて、それは炸裂した。
「おお、やったあ」三人は顔を見合わせて成功を喜んだ。
良太も地面を擦って2B弾に火をつけた。ところが煙の色が白から黄色に変わっても、しばらく手に持ち続け、おもむろに川面目がけて投げた。それは空中で弾け飛んだ。
「おう、危ないとこだったな。もう少し早く手放した方が良いんじゃないのか」鈴木は横から心配そうに声をかけた。
8に続く

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