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夢解析器8

その8)
(初めての天然色の夢)
「こんにちは、ハアーハアー」A氏は息を切らせていた。
「どうなさったのですか。ひどく慌てられてますね」受付嬢はカウンター越しに声をかけた。
「いや実は昨夜、天然色の夢を見たんですよ。生まれて初めてだったんで、自分でもびっくりして駆けつけて来たわけです」
「夢がカラーだったんですか。そういう夢を見る方もいらっしゃいますので、別に気になさらなくても宜しいかと思いますよ」彼女は慰めるように言った。
「ひとまず奥の解析室へどうぞ」彼女は先に立って、廊下の奥の緑の扉へと導いた。
「では、しばらく中でお待ち下さい」
「はい、有難うございます」A氏は腰掛けて待った。
「お待たせ致しました。今日はどうされましたか」心理士の女性はメガネの後ろからキラリと好奇の眼を輝かせた。
「はい昨夜、生まれて初めて、天然色の夢を見たので分析して頂きに来ました」
「カラーの夢を見るのは初めてですか。夢がカラーであるかどうかは、あまり心配なさることではありませんよ」
「私の家族にもカラー版で夢を見るのがいますので、そんな心配はしていないのですが、少し気になったものですから来てみました」A氏は言い訳がましく説明した。
「では機器を準備して画像を見てみましょう」
やがてモニターには建設現場らしい所が映し出された。目の前で二人の屈強な男が喧嘩をしていた。背の高い方の一人が、相手の頭と首筋をつかんで鉄のフェンスに叩きつけていた。叩きつけられた男の額から、見る間に深紅の鮮血がほとばしり出た。
「こ、この場面ですよ。ほら、こんなにも血の色が鮮明でしょう。僕はこの現場に居合わせて本当、恐かったんですよ。血しぶきが飛んで来そうなくらいの至近距離にいたわけです」A氏は冷や汗をぬぐうように額に手を当てた。
「血という鮮烈な色彩は、夢でもカラーで出やすいのかも知れませんね。以前こんな現場に近い場面に出くわしたことはありませんか」彼女は優しそうな眼差しを彼に向けた。
「この画面を見ていて急に思い出したんですけど、似た場面は二度ほど体験したことがありますよ。一度目は5、6歳の時でしょうか。二度目は中学時代です。私の記憶を5、6歳まで戻してもらえますか」
心理士はキーボード操作で、A氏の記憶を過去にさかのぼって検索した。するとモニターに、どこかの駅前の路上で、一人の男がもう一人の男を殴っている場面が写し出された。殴られている男は頭に包帯を巻いていたにも拘らず、そこを撲打されたため、包帯からも血がにじみ出ていた。
「もう結構です、止めて下さい。すっかり思い出しました。この駅は横浜近辺の駅です。僕は父親と一緒に親戚の家から帰る途中だったんです。駅で大人同士の喧嘩の凄まじさを目の当たりにして、小さい僕は縮み上がったのです。包帯からにじみ出た血の色は、終生忘れられないでしょう」
「相当あなたにとっては衝撃的な出来事だったのですねえ。早くその嫌な思い出が取り去られると良いですねえ。それでは、もう一つの場面を呼び出してみましょう」
やがて、学校の教室が映し出された。休み時間らしい。右片隅で人だかりがしていた。喧嘩らしい。殴られている一人は鼻血を出していた。
「これは僕が中学時代の出来事ですよ。当時、中学2年のクラスは荒れていました。僕のクラスには番長がいたんで、誰もが戦々恐々としていました。その中でも目立った行動をする奴が血祭りに上げられてたんです。女の子に人気があったり、自信過剰な男子は要注意だったんですよ。僕なんて臆病なもんで、いつも目立たないようにしていました」A氏は当時を思い出す度に、暗い思いになるのであった。
「今では考えられない変なクラスだったのですねえ。私たち女子は陰湿ないじめは経験しましたが、リンチまでは行かなかったですわ。男子の世界はそれだけ暴力的なのですね」彼女は恐ろしそうに身を震わせた。
「今回の夢ではこの二つの出来事が複合されて出て来たみたいです。それに昨晩、テレビでエイリアンが出て来る恐怖映画を見たのもいけなかったんだと思います。あ、それにもう一つ、昨晩、中学時代の通知表を見たのも過去を呼び起こすきっかけだったかも知れません」
「それはもっともだと思います。過去に関連した物品は、昔の記憶を呼び覚ますものです。何故、通知表などを見ていらしたのですか」彼女は不思議に思った。
「下の子が終業式に通知表をもらって来たんです。そこで僕も、子供に当時の通知表を見せたわけなんです」
「ああ、そうだったのですか。それで分かりました」彼女は納得したようだった。
「結局、天然色の夢でも問題なかったんですか」
「そうですね、カラーと言ってもあなたの場合は一部だけがカラーなので、完全な天然色というわけではないのです。単にインパクトのあった血の部分だけが赤かったということなので、全く問題はありません。過去の映像を頭に思い浮べる時も、場合によっては一色や二色のカラーは混じるものです」
  9に続く

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夢解析器7

その7)
(最悪な上司から受けた心の傷)
「こんにちは、また来てしまいました」
「はい、どうぞ。毎日でも来て宜しいのですよ。パケット制では一律の料金しかかかりませんからね。多くいらっしゃればそれだけお得なのです」
「そう言って頂けると本当に嬉しいですねえ」
「ところで今日はどんな夢の相談ですか。まあ、どうぞ奥へお進み下さい」受付嬢はそう言いながら、いつもの臨床室へとA氏を導いた。
「昨日、また嫌な夢を見てしまったんですよ。昔の上司にまつわる夢でした」歩きながら彼も受け答えした。
「そうですか、それは大変でしたねえ。詳しくは心理士がお聞きしますので、しばらくお待ち下さい」
しばらく待つと心理士が部屋に入って来た。
「こんにちは、昨日は嫌な夢を見られたそうですねえ。それではモニターを見ながら、もう少し詳しいお話を聞くことにしましょう」彼女は夢分析器をセットし、モニターの電源を入れた。
やがて画面には空中から勢い良く落下する黒い鞄が映し出された。それが10メートル下の地面に叩きつけられた。その瞬間、画面の中での声と、それを見ていたA氏の声が共鳴して聞えた。
「あ、まずい」何とその鞄は、当時の彼の上司、O次長のものであり、その中には精密機器が入っていたのだった。
「僕はこの時、観覧車のような乗り物で空中を移動してたんですよ。それは単に公園のベンチをワイヤーで吊るしただけの簡易なものでした。その観覧車に乗る前、僕は地上でO次長から鞄を手渡されたんです。その鞄を座席に不用意に置いといたため、空中で滑って落ちたのです」
「そのO次長というのはどなたですか」
「僕のかつての上司ですが、今まで一緒に仕事した上司の中で最大の脅威だったのかも知れません」
「それは言えているかも知れませんねえ。未だに夢にまで登場して来るのですものねえ」彼女も同情を覚えていた。
「そんな上司の持ち物に限って、落として壊すなんて一体どう考えたら良いんでしょうかねえ」A氏は頭を抱えていた。
「脅威だった相手が夢に出て来るのは良くあることですよ。あなたが意識しなかったところで、あなたの魂はかなり痛手をこうむっていたのでしょう。あなたが認識されていた以上に、そのO次長は性格的に恐ろしい人だったのかも知れませんね」
「そうかも知れません。それなのに彼の鞄を落とすなんて、何と不注意なことなんだろう」
「確かに不注意だったかも知れませんが、ある意味では復讐だったのかも知れません。あなたは彼に恨みを感じていませんでしたか」彼女は彼の目を見つめた。
「はい、そう言われれば恨みか憎しみかは抱いていたかも知れません」
「あなたが彼に対し、言いたいことも言えずに辞めてしまったために、潜在意識が夢の中で彼に対する憂さを晴らしたのでしょう」
「そうであると辻つまが合いますね」A氏は深くうなずいた。
「あら、まだ続きがあるようですね」彼女はモニターに目を凝らした。
画面にはゲーム場が映し出されていた。ゲーム機の入れ替え作業が行われているようだった。偉そうに陣頭指揮を執っている人物がいた。
「この偉そうな方はどなたですか」心理士にもその人物が気にかかったようだ。
「その人は僕が若い頃、勤めていた会社の社長です。僕は彼とはあまり話す機会はなかったのですが、いつも近寄り難く恐いイメージを持っていました。でも彼がゲーム機搬入の現場に立ち会うなんてことは一切なかったんですよ」A氏は不思議そうに首をひねった。
「夢では様々な要素が複合されて出て来るのです。あなたの潜在意識は、その社長を脅威と感じていたことは確かなようです。ところが彼との係わりが仕事上ではなかったので、関連した作業の場面で彼が登場して来たのでしょう」彼女は丁寧に説明した。
「分かりました。昨夜は脅威の人物が集中した感じですね」
「恐らくあなたが精神的に落ち込んでいたからでしょう。肉体的にせよ精神的にせよ、何らかの不具合がある時には、夢に脅威的な人物や場面が登場するものです。心が弱っている時は、潜在意識さえも脅威的な記憶を打破するエネルギーに欠けるからです」心理士はモニターの電源を切りながらA氏の夢を結論付けた。
窓の外には既に夕闇が迫っていた。遠くに見える高層ビル群に映えるあかね色も周りの闇に包み込まれ始めていた。
8に続く

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夢解析器5

その5)
(温泉の夢)
眼の前のモニターには、岩風呂やら露天風呂やら様々な温泉の場面が映し出されていた。
「え、こんなにも僕は温泉の夢を見ていたのか」彼は思わず感心してしまった。
その内、夢の中で彼は夜間、外に出て何かを探している情景が映し出された。やがて彼の視線は小さな東屋に注がれた。その中に足を踏み入れると、脱衣所があり、そこに人影はないものの女湯らしい雰囲気が漂っていた。さらに奥へ進むと浴槽から立ち上る湯気を通して、白い女体が見え隠れしていた。
「ではこの辺で映像を止めさせて頂きます」心理士は慌てて検索を打ち切った。A氏も検索が中断されて内心ホッとしていた。
「温泉というイメージには、様々な欲望が渦巻いているのですよ。特に男性は温泉に対して、異常なまでの期待を持っているらしいのです。温泉という特殊環境の中で、思いも寄らない出来事が起こるとでも考えているようですね。本当ですか」彼女はA氏の眼をまじまじと覗き込んだ。
「はあ、僕たち男にとって温泉には甘いイメージが付きまとうことは確かです。露天風呂・混浴と来れば、うまくすれば女性の裸に巡り会えるとつい期待しているのかも知れませんねえ」
 心理士はいつまでたっても理解できない男のさがに、またもや驚きを禁じ得ないのだった。夜の闇が忍び寄る、薄暗い部屋の中で彼女はA氏の視線を強く感じた。彼女にとって、その視線は不安を掻き立てはしたが、何ら不快なものではなく、体内に心地良ささえ感じさせる刺激を含んだものであった。
6に続く

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夢解析器4

その4)
(抑え切れない欲望の現われ)
「では、もう止めにしますか。このまま続ければ、新たな悩みが次々発見されることになりますよ」
「いや、乗り出した船だ。ここで止める訳にはいかんよ」A氏はいきなり強気になって来た。
「予算のことをお考えでしたら、お得なサービスがございますが、いかが致しましょう」
「それは何だね」
「パケット制というサービスでございます。何件悩みを解決したとしても、一律三万円というサービスでございます」口のきき方が急にていねいになり、彼女は営業ウーマンに変身した。
「うむ、三万円は痛いが、無制限というのが割安で気に入った」彼は割安感に大層、弱いのであった。
「え、あう」突然、心理士に戻った彼女は、顔を赤らめ、口調がどぎまぎし出した。画面で決定的な瞬間を見たらしい。A氏も画像に目を戻すとびっくり仰天した。
何やら暗い中で、男の手が女性の上半身をまさぐっていた。本当によく目を凝らさないと見えない画像だった。それに彼女がいち早く気づいたのは理由があった。小型電子装置の性感帯興奮ランプが異常点滅していたのだ。それはA氏の方からは全く分からなかった。A氏の股間に貼られたセンサーが興奮をキャッチしていたのだ。
「やばい見つかってしまった」今度は彼が顔を赤らめる番だった。危惧していた場面が画像に徐々に顕になって行った。途中で止めようと必死で意識を集中しても無駄であった。画像は二人の男女が益々、濃厚に求め合うシーンになりそうだった。
「少し早送りさせて頂きます」心理士は早送りボタンを押して画像を進めた。
「ちょっと今の場面のことですけどね、どう考えたら良いのですか」A氏は恐る恐る尋ねた。
「はっきり言って、あなたの欲望がそのまま夢に現われたと解釈できますね」心理士は目を伏せながら話した。
「じゃ、僕は満たされていないってことなんですかねえ」A氏はねちっこい視線を彼女に投げかけた。
「そうですよ。その目つき自体が意味深ではないですか」今度は彼女が顔を赤らめた。メガネの後ろから覗く、くり色の瞳、透き通るような白い肌、やせてはいても必要にして充分な肉好きをやわらかく被うピンクの白衣。A氏の視線をくぎ付けにするには充分過ぎる容姿だった。
「欲求不満は様々の形で夢に現われることがあるのです。先ほどの画像には、あなたの欲望があからさまに出てしまっていました。さらに性欲が高まると、水の中を泳ぐ夢を多く見るとも言われています」
「そうですか、そう言えば以前は良く、泳ぐ夢を見たことがありました。温泉の中で泳いだりもしましたし、温水プールで泳いでいたことが多かったですね」
「熱い温泉で泳げましたか」
「あまり熱さは感じなかったですねえ」
「温泉の夢は良く見られましたか」
「ええ、何年か前に良く見たことがありました」
「それは男湯だけですか」女性心理士は鋭いところを突いて来た。
「ううん」とA氏は口ごもってしまった。
「よく思い出せないんでしたら、この装置は検索もできるのですよ。あなたが以前、ご覧になった温泉の場面だけを抜粋して見ることもできます」
「へえ、それは便利ですねえ。早く見たいですねぇ」A氏は照れくさいながらも、好奇心が勝っていた。
  5に続く

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夢解析器3

その3)
(昨日見た夢)
緑色の扉から中に招じ入れられると、こぢんまりした個室だった。何やら取調べ室のようにも見えた。テーブルの上には両サイドにモニターがついた小型の装置が置かれていた。テーブルの両側には肘かけ付の椅子が二脚あった。
「それではこちらの椅子にかけてしばらくお待ち下さい」そう言って、受付嬢は部屋を出て行った。
「何だ、彼女が面接官じゃなかったのか」A氏はがっかりした。
しばらくすると扉がノックされ、後ろで「失礼します」との声がした。
A氏が振り向くと、そこには受付嬢に劣らぬセクシーな女性が入って来た。
「どうぞ、お楽になさっていて下さい」そう言いながら、彼女はA氏の向かいに座った。
「基本コースをご要望とお聞きしていますが、間違いありませんか」
「はい、その通りです」
「では電極の端子をお身体に付けさせて頂きますので、お身体の力を抜いていて下さい」
小型の電子装置から延びた、何本かのコードの先端にはディスポの電極が取り付けられていた。彼女はA氏の横に立つと、手際良くその電極を彼の額やこめかみ等、主に脳周辺に貼り付けていった。一つだけ残った電極をそっと彼に差し出した。
「これだけは、ご自分で貼り付けて下さい。股間の付け根で結構です」彼女は言いずらそうに顔を赤らめていた。
A氏もつられて恥ずかしくなったが、彼女が向こうを向いている隙に、ズボンにその端子を押し込んで感じる部分の付近に電極を貼り付けた。
「何でこんなところに貼るんですか」彼は気になった。
「理由は後から分かります」それ以上、彼女は何も言わなかった。
「それでは電源を入れて始めます」彼女の手が操作盤に触れ、モニターにも電源が入った。彼は次第に緊張して来た。
目の前のモニターにうっすらと映像が映り始めた。A氏はどこかの演奏会場でエレキベースを弾いていた。
「この映像はあなたが昨夜、見た夢ではありませんか」心理療法士の女性も同じ映像を見ていた。
「正にその通りですよ。昨夜、見た夢そのままです。僕の横で偉そうにして、同じくベースを弾いているのが、何やら先生らしいのですが、誰だか分かりません。他にエレキギターを演奏している二人は、昔の友達だとの感覚はありますが、誰だかは思い出せません。一時停止はできますか」
「はい、では少し止めてみましょう」
静止画にすると彼はギターの二人が、中学時代の友達であると特定できた。当時クラスでギターを弾いて、バンドらしきものを作っていた連中だった。
「何でこのような夢を見たと思いますか」心理士は問いかけた。
「そうですね。バンドを組みたい、人前で演奏したいという願望があるからでしょうね」
「そうした機会はないのですか」
「サラリーマンの今は、全くそんな機会はないです。大学時代にバンドを組んでいたことは確かにありましたがね」
「あなたの願望は人前で演奏するというものですね。それが夢にまで現れたのです」
「それでは小生意気そうなベースマンは誰でしょうか」
「恐らく大学時代、一緒にバンドを作っていた先輩のお一人ではないでしょうか」
「良く分かりますね。僕に先輩がいたことなんて」A氏は驚きを隠せなかった。
「この画像データは瞬時に分析されて、あなたの脳に適合するデータがないかまでも自動的に検索するのです。その結果、あなたの隣のベースマンは、大学時代の先輩らしいとの情報に行き当たりました」彼女はごく自然なことのように説明した。
「私の脳があなたの前で裸にされているみたいですね」A氏はとっさに危惧する経験を思い出した。今日朝方、朝立ちしたのだった。それを彼女に見つからねば良いがと祈った。
「そうです。この機械を使えば、人の心の奥底にある思いがすべて見透かされるのです。あなたも一つ悩みが解決しましたね。バンドを作る夢を実現すれば良いのです」
「え、と言うことは今の悩み解決で、料金が発生したと言うことですか」彼はあっけにとられた。
「そうです。一件落着です」
「今のは悩みなんかじゃないですよ。僕にとってはどうでも良いことだったんです。バンドを組まなくたって、欲求不満にもならずにやって行けますよ。これで料金を取られるのは納得できないなあ」A氏のケチ根性が顕わになった。
4に続く

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夢解析器2

その2)
(夢解析器のデモ)
大音響とともにアメリカ本社が大写しされた。そこで開発された{夢、解析器とそのシステム}の優秀さをいかんなく網羅しているビデオだった。誰もが口々に「素晴らしい」と叫ぶ姿が印象的だった。A氏にとっては何がそんなに素晴らしいのかは、全く判然とはしなかったのだが、いつしか本当に素晴らしい物にめぐり合えたことだけが印象付けられた。
ビデオの中では開発風景や機械を実際に使用している風景などが、次々に流されて行った。彼の中では機械に対する感動よりも、その映像と音楽によってもたらされる異常な心の高ぶりが一種、宗教的な快感をもたらすのであった。―これは洗脳だろうか?一瞬、彼の頭をかすめた考えは、エンディングのテーマ音楽によってかき消された。
ライトが点され、先ほどの受付譲が現われた。
「お疲れ様でした。いかがでしたか。若干、補足説明を致します」
A氏はもうろうとした頭で、彼女の言葉がはるか彼方に響いているように聞こえたのだ。
「ご覧のように、この『夢、解析器』は優れ物です。第一に夢の再現ができます。再現した夢を分析して、その方が何を望んでいるかを明らかにできます。反対に何を忘れたがっているかも明らかにすることができます。これらの機能は今まで開発された同型機にもついていたものでした。特徴的な第二の点は、あなたの夢に望みの人物や風景を登場させることができるという機能です。この新機能によって、夢自体を積極的に楽しむ機会が得られるようになったのです」彼女は得意な笑顔を浮かべた。
「それじゃ、あなたを僕の夢の中に登場させることもできるんですか」A氏は好奇心を抑え切れずに質問していた。
「もち論できます。簡単なことですわ。私はあなたの夢に何度でも、お好きなだけ登場いたします。ただし条件があります。夢の中に登場した私の意思は、機械で設定された時の意思と変わらないということです。いかに精密にできているとは言え、所詮、機械には変わりはないですので、夢の中で新たな展開が待ち受けていることはないのです」彼女はA氏の思いに予め釘をさすように言い含めた。
「何だ、面白くないですね。あなたが夢に出て来てもアバンチュールできないんですか」A氏はがっかりした。
「アバンチュールをお楽しみになりたいのなら、先ず夢に入る前の私の意思を変化させなければなりません。私の潜在意識に働きかけて、あなたとアバンチュールしたい気分を植え付けねばなりません」
「そう、それですよ。あなたが僕に興味を持ってくれれば良いんですよね」
「ここからは料金の話です。人の潜在意識に働きかけて、それを変えるというのは料金設定では最上位にランクされます。高級外車が一台買えるほどの値段ですよ」
「それはいくら何でもベラボウだなあ」
「私があなたの夢の中で自由にされるのですから、妥当なお値段だと思いますよ」彼女の気位の高さが、徐々に浮き彫りにされて来たのだった。
「そんなに高いんじゃ、現実に女性を口説いた方が安くつくよ」A氏はあきれるのだった。
「これは本来の使用法ではないから割高なのです。本来の使用目的はあくまでも夢の解き明かしなのです。それですとグッとお安い、お手ごろ値段ですよ」
「具体的においくらですか」
「悩みが一件片付くごとに大枚一枚というところです」
「まあ、そのくらいであれば妥当か。悩みのあるなしで加算されるということは、悩みがなければ、ただということですか」
「そういうことになりますが、ここにおいでになる方はどなたも、一つや二つの悩みはお持ちなのです。ですからわざわざこちらまで足を運ばれるのです」
「そう言えばそうだな」A氏は変に納得した。
「どうされますか」受付嬢は促した。
「はい、それでは基本コースでお願いします」
「では、夢解析室にご案内しますので、こちらからどうぞ」彼は彼女の後に従った。
  3に続く

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夢解析器1

プロローグ(夢診療所)
「いらっしゃいませ」美人で理知的な若い女性がA氏を出迎えた。
「夢診療所へようこそ、おいで下さいました」看板は確かに堅苦しい名称だが、彼は看板娘をすぐに気にいってしまった。彼は単細胞だったのだ。
A氏が訪れた研究所は、都心にそびえる、ひときわ高いビルの三十九階にあった。彼はインターネットのフラッグ広告でそこを知ったのだ。
「あなたの夢を解き明かし、潜在意識の訴えをつぶさに解析します」とのキャッチコピーに魅せられた。
「へえ、夢を解き明かしてくれるのか。最近、おかしな夢ばかり見るからな。日常生活に精彩が欠けるから、夢の世界ででも遊んでやるか」彼はそんな軽い気持ちで出かけて来たのであった。
何やら「夢、解析器」という機械を使うらしい。機械に興味があった彼は、少し怪しいとは思いつつも、その機械に惹かれたのだった。
魅力的な受付嬢に奥へと案内されながら、A氏は「夢、解析器」を使って、この女性が出て来る夢を見れないものかとばかり考えていた。
入り組んだ廊下を右へ左へと行くうちに、緑の扉が目に入った。その上には「夢、解析室」という表示がされていた。
「あれ、もう夢の解析に入るんですか」A氏は受付譲に見とれてばかりいたが、ある程度、正常な判断力は働いていた。
「解析に入る前に、ここでのサービスを聞いておきたいんですが、予算の関係もあるので」彼の話は次第に現実的になって来ていた。子持ちの彼にとって自由になる金は少なかったからだ。
「はい、分かりました。ではこちらへどうぞ」受付嬢の対応は心なしか、ぶっきら棒になった。
案内された部屋の扉は黄色で「オリエンテーション室」と表示されていた。かなり広い部屋の正面に大きなスクリーンが設置されていた。
「え、これから映画でも見せるつもりなのか」とA氏がいぶかっていると、窓のブラインドが下がり始めた。
「これから三十分ほど映画をご覧頂きます。その間は外に出られませんのでよろしくお願い致します。それでは間もなく始まります」そう言いながら、女性は扉の奥へ消えた。部屋は真っ暗になり、前方のスクリーンには映像が出始めた。
2に続く
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夢解析器38


「こんにちは、ご無沙汰です」A氏は照れくさそうに入って来た。
「こんにちは、Aさん。本当にお久しぶりですね。どうされてました。元気ですか」案内嬢も久々なので当惑気だった。
「はあ、元気は元気でした。最近、夢を見る機会がめっきり減ったので来るタイミングがなかったのです」
「それでは久々に夢を見られたってことですね」
「そうなんです。夢に下の息子が登場して来たんです」
「息子さんに気掛かりなことがあるのでしょうね。Aさん、良いパパをしてますね。では奥へどうぞ」
受付嬢はA氏を廊下奥の緑の扉へと導いて行った。
「しばらくお待ち下さい」
少しすると扉にノックの音がし、心理士が入って来た。
「お待たせしました。Aさん、しばらくぶりですねえ。もう忘れられてしまったと思ってましたわ」
「いや、決して忘れていた訳ではありません。何故か、ここのところ夢を見ることがなかったのです。毎日、様々な出来事はあったのですが、不思議と夢は見ませんでした」
「夢を見られたかも知れませんが、記憶に残ってないと言うことは、現実が潜在意識の思う儘に動いていた証拠と見ることができます」
「はあ、そうですか。じゃあ、僕は現在、いたって満足な日々を送っていると言うことになりますね」
「そうだと思いますわ。夢は普通、現実と潜在意識が描く理想とのギャップが生み出す軋轢によって生じるものと考えられます。満たされない思いを強く持つ者は、夢の中でその思いを発散しようとするのです。夢でも思いが満たされない場合は病的には、精神疾患に陥ることもあるので注意が必要です。結果的に身体の不調や、環境との不適応に至るケースも多いのです」
「『病は気から』と言われますけど、人の思いは生きる上で大事なんですねえ。確かな指針を持たない限り、人生を踏み外す危険も多分にある訳ですね」
「そうです。心の問題、魂の問題は究極的には宗教の範疇に入るのです。この研究所自体、アメリカのジョゼフ・マーフィー博士の理論を取り入れて設立されたので、根底にはキリスト教の思想が流れているのです」
「ほう、キリスト教がこの研究所に係わりを持っているとは初めて知りました。夢と潜在意識に宗教が結び付くとは全く意外でした」
「そのあたりの詳しいお話はまた機会があったらお話しますわ。ところで昨日の夢はどの様な夢でしたか」心理士は機器の準備を整えていた。
「昨日の夢は下の息子に関する夢でした。息子を遊園地へ連れて行く場面が出て来たかと思えば、僕が声楽のレッスンを受けているような場面もありました」モニターにはA氏が楽譜を見ながら歌の指導を受けている場面が映し出された。
「この画面では息子さんの姿はありませんが、どうしてこの夢が息子さんと関係しているのですか」心理士はA氏が勘違いしていると考えた。
「この映像には確かに息子は出て来てませんが息子と関係しているのです。僕は彼が音楽の道を目指していることに対して一抹の危惧を覚えているからです。彼に一流の先生をつけなくてはいけないという僕の思いが夢で、替わりに僕が音楽のレッスンを受けている場面をもたらしたみたいなのです」
「はあ、そういう経緯だったのですか。この音楽の先生は何やら威張っている感じですねえ。Aさんは責め立てられていて可哀そうですね」心理士は同情を禁じ得なかった。
「そうなんですよ。僕がいくら一所懸命、楽譜通りに歌っても外すばかりなんです。他の子供達が誉められているのを見ると僕は怒りより悲しみが湧き上がって来たんです」
「それであなたは怒らず、ただじっと先生の言うことを聞いておられたのですね。Aさんは忍耐力がおありになるのですね」彼女は感心して彼を見やった。
「いや、普段は怒りっぽいのですが、今回の夢の中では不思議と従順だったのです。音楽の指導に関しては従う以外にはないと観念していたのかも知れません。僕は音楽にとって、師とはどういう存在か、未だに明確な結論が得られないのです」
「お子さんだけの問題ではなく、Aさんご自身も音楽における指導について悩んでおられた訳ですね」
「そうかも知れません。自慢じゃないのですが、僕はギターでもドラムでも先生についたことはないんです。すべて独学だったんです。それが一つのコンプレックスになってるのかも知れません。音楽も極めるには師につく以外にないと言われてますからね。特にクラシックにおいては、いかに良い師につくかでその後の音楽人生が変わるとまで言われていますからね」
「私は音楽が専門ではないので詳しいことは知りませんが、確かに演奏家はどんな先生に師事したかが重要なポイントになるとは聞いておりますわ。そのために留学して良い先生に習う方が今でもいらっしゃるんですね」
「僕は下の息子にそうした機会を与えるべきかどうか、未だに迷っている訳ですよ。たとえ高い金をはたいて最良の師についたとして、陽の目を見ない演奏家だって山ほどいる訳ですから、良い師につく是非は考えものだと思うのですよ」
「そうですね。音楽のプロとして生活して行くのは大変だと聞きますわね。先生に師事するだけで演奏者を上達させると考えるのは短絡的過ぎるかも知れませんね。要は演奏者本人がいかに天分を遺憾なく発揮できるかどうかにかかっていると思います。先生はきっかけではあってもすべてではありませんわ。人の演奏から学ぶこともあるでしょうし、音楽に必要な感性は感動体験の積み重ねで育まれて行くものですものね。何よりも肝心なのは演奏者本人が天から与えられた才能を自然体で発現できるかどうかにかかっているのです」
「全く同感です。僕は独学で音楽を学びました。だから師についてギターを習ったことさえないのです。人前で演奏できる腕はないのですが、自分を満足させることはできています。今まで何度かは人前でも演奏し感動を与えられたと自負もしています。音楽はクラシックがすべてではありません。必要なのは心意気だとおもうのです」
「音楽に限らず何事においても心意気が人を動かし、感動を呼び起こすと思います。単に師弟だけの関係で凝り固まったクラシック音楽の世界に埋没するならば、決して大きな世界は拓けて来ないでしょう。人や組織に縛られている者は決してそこから脱皮はできないのです。自由な世界に羽ばたこうとする者は周りからの訓練より自分自身に課す訓練を重視すべきなのです」
「先生のお話を伺って自信が蘇りました。僕は今まで紆余曲折しながらも魂の声に聞き従って来れたことに感謝しています。外なる神に反抗的になることはあっても自己の内なる神としての魂に忠実であったことが救いであったと思います」
「Aさん、これからも魂の声には忠実であって下さいね」心理士は優しく微笑みかけた。ビルを茜色に染め尽した夕陽は明日への希望を約束していた。





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夢解析器37

「こんにちは」A氏はゲッソリとした顔で訪れた。
「こんにちは、Aさん、お疲れの様子ですね。どうされましたか」受付嬢は気にかかった。
「はあ、今朝がた、うなされる夢を見たものですから少し疲れました」
「それは大変でしたね。それでは奥でごゆっくりお聞かせ下さい。どうぞ」
受付嬢はA氏を廊下奥の緑の扉へと導いた。
A氏はもうろうとした頭で窓の外の景色を眺めていた。暫くするとドアにノックがあり、心理士が入って来た。
「こんにちは、Aさん、お元気ですか」
「いや、それほど元気ではないです。寝不足のようです」
「それは一体どうされましたか」
「昨夜、寝たのは11時頃だったのですが、それ以降、何度か目が覚めてしまったのです。トイレに2度ほど起きましたし、寝た気がしなかったのです」
「お腹でもこわされたのですか。季節の変わり目なので気をつけて下さいね」
「はあ、有難うございます。昨夜は子供部屋に寝たんですが、上の息子が冷房をガンガンに効かせてましたので、腹が冷えたようです。しかも寝る前に枝豆を食べたのが良くなかったようです」
「枝豆は消化に悪いと聞きますからねえ」
心理士はそう言いながらも手早く機械のセッティングを済ませた。
モニターにはA氏の奥さんらしい人が部屋に入って来て皆を起こそうとしていた。
「僕の家内は夢の中で3時頃、部屋に入って来たんです。僕はそれが夢なのか、現実なのか、判然としないまま、声を上げようとしていました。ところが金縛りにあったように全く声が出せなかったのです。本当に僕は喉から声を絞り出すようにして、家内を部屋から追い出しました。夢の中で声を出すことは体力がいるもんだと分かりました。家内は気を悪くして部屋を出て行ってしまったのです」
モニターの画面は切り換わってどこかの宿泊施設が映し出された。A氏と同じ部屋には子供達が寝ていた。もう起きる時刻であった。
「現実的には今日、下の息子は社会科見学だったのです。そのため普段より早く起きる予定になっていました。上の子も学校があるので、いつも通り早く起きる筈だったのです。早起きさせねばとの緊張感が僕を神経質にさせてたのかも知れません」
「それで部屋を出られた奥さんはどうされていたのですか」
「僕は施設の建物をあちこち探し回ったのです。家内はなかなか見つかりませんでした。もしかしたら切れてしまって、どこか外へ行ってしまったことも考え合わせました。僕は受付で家内の部屋番号を確かめることができました。やっとその部屋で見つかったのです。彼女は秋田から来た友人と二人でいました。精神状態も落ち着いていたようでホッとしました」
「それは何事もなく良かったですね」
モニターでは画面が変わって、レストランか居酒屋で何人かで食事をしている様子が映し出された。小学校から知っている水津・長沼と会社時代に知り合った浜本がいた。
「彼らとは最近、ずっと会っていなかったんで久々に夢に出て来たようです」
「皆さん一万円ずつ支払っていたみたいですが、料理はそれほど出てないですね。そして料理を食べ終わらない内にまた皆さんで歩き始めましたね」
モニターにはデパ地下が映し出され、そこで誰かを探している様子だった。
「僕は誰かを追いかけていたのですが、誰であったのかは思い出せません」
「Aさんは下の息子さんと連れられているようですねえ」
「はい、僕は彼の手を引いたり、抱っこをしたりしていました」
「お子さんは未だに甘えられるのですか」
「はい、小学校5年なのに良く甘えます。それでいて学校ではしっかりしているのです。僕も家内も彼には後、2、3年甘えてほしいなあと思っていますが、どうなるか分かりません」
「夢が叶うと良いですねえ」心理士はうらやましそうであった。

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夢解析器36

「こんにちは」A氏は照れくさそうに入って来た。
「あら、Aさん、こんにちは、久しぶりでしたわね。何の連絡もありませんでしたので、もう来られないのかも知れないと心配しておりましたのよ」受付嬢は本当に嬉しそうだった。
「そんなに心配して頂いて本当に恐縮です。ここの所、夢も余り見ないですし、他の用事で忙しかったものですから、つい来そびれてしまいました」彼にとっても夢解析は以前ほど必要性が感じられなくなったのは事実だった。
「そうですか、毎日、気持ちが変化するのは仕方のないことですし、古い自分を脱ぎ捨て日々、新たになることも必要ですからねえ。Aさんが脱皮するためのお手伝いもさせて頂きますよ」
「そう言って頂けると有り難いです。昨夜、早寝したら久々に夢を見ましたのでやって来ました」
「そうなんですか。どんな夢だったのですか」
「中学時代の友人が出て来て、サッカーをしたり、車で坂を登っていて止まりそうになったりしたのです」
「それはお疲れでしたねえ。それでは奥へどうぞいらして下さい」
受付嬢はA氏を廊下奥の緑の扉へと導いて行った。
僕はその部屋で待つと暫くしてノックの音と共に心理士が入って来た。
「お待たせしました。Aさん、お久しぶりですね。お元気でしたか」
「はい、元気にしてました。朝晩涼しくなったんで良く眠れます。段々、起きるのが辛くなって来ました」
「そうですね。朝、床から離れるのは辛いですねえ。気持ち良い眠りだと夢はあまり見ませんものね」
「はい、ここ数日ほとんど夢を見なかったので来る機会を逃してしまいました。ところが昨夜は久々に長い夢を見たのです」
「そうですか。では機器をセットして解析してみましょう」
心理士は手早く機器から延びたコードについた先端の端末をA氏の頭部数ヶ所に貼り付けた。そしてモニターの電源を入れた。
モニターには学校のグラウンドで生徒達がボールをけっている様子が映し出された。
「ここで僕らは試合していたんです。どっちが飼ったかは分かりませんでしたが、僕は中学時代の長沼という男とパスを交わしながら相手に攻め込んでいたのです」
「Aさん、サッカーがお好きだったんですか」
「はい、昼休みとか放課後、遊びでよく球をけってました」
モニターの映像はすぐに旅館の食堂に切り替わった。丸テーブルを囲んで会食をしているようだった。そのテーブルには右横に長沼が座っていた。
「先の方がまた出て来ましたね。仲が良かったのですか」
「長沼とは今でも付き合っています。文章で飯を食ってる男で僕も憧れてます。最近、僕は恋愛小説を物してますので彼がそれに関連して夢に現われたのかも知れません」
「恋愛と長沼さんとは何か関係があるのですか」心理士は少し不審気だった。
「はい、恋愛小説の舞台が中学時代だったもので、中学時代の友人長沼が出て来たと思います」
「あ、なるほどそうだったのですか」彼女は納得したようだった。
「旅館が急に出て来たのは近々、家族旅行する予定があるからだと思います」A氏は心理士に聞かれる前に夢の背景を説明していた。
「Aさん、今日は手回し良く説明されますね。私の質問パターンが読まれているようですわ。ホホホ」彼女は照れ笑いを浮かべた。
「いや、僕にも先生の心理が見えて来たようです。それはさて置き、食堂の奥に続いて畳敷きの部屋が続いているのが見えますか」
モニターにはずっと奥まで続く和室が映っていた。
「ええ、見えますよ。そこでAさんは寝ておられたのですか」
「そうらしいです。一番奥の部屋が僕の部屋らしいので、そこまで行き部屋の襖を開けると何とそこはエレベーターになっていて、中から4,5人の若い女の子が頭を出して「きゃー」とか言ってました。実は驚いたのは僕の方だったのです」
「それはおかしな構造の宿ですね。Aさんは部屋で何をするつもりだったのですか」
「僕は帰る準備をしてたと思います。何故ならその後、宿の前から車に乗る場面になったからです」
事実、モニターには既に旅館の外で車に乗り込む場面が映し出されていた。続いて車は山の中で急坂を登り始めた。ダッシュボードのあちこちに異常ランプがついていた。
「見て下さい。ダッシュボードの計器類の表示が変わるのです。バッテリー表示が赤く灯っていたり、冷却水が高温表示になってます。僕は急坂の途中で止まることだけは避けたいと考えて、アクセルを恐る恐る踏んでいたのです」
「一体どうしたと言うのでしょう。無事に坂の上まで辿り着けましたか」心理士は心配そうだった。
「恐らく着けたと思います。夢の間中、エンジンは止まりそうで止まらなかったのです」
「それは良かったですね。何でそのような場面になったのでしょう」
「やっぱり先生、聞いて来ましたね。以前、乗っていた車がエンストを起こしやすかったのです。坂の途中で止まったり、交差点に入るところで止まったり、一時、往生したことがありました」
「それが原因ですね。その時の記憶が潜在意識に蓄えられていたのでしょうね。車を乗り替えても古い記憶だけはしっかり残っているのです。今度のご旅行は来るまで行かれるのですか」
「そうです。車を使おうと思っています」
「それではくれぐれも車の状態には注意なさって下さいね」
「はい、あまり急な坂は登らないようにします」



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