初恋慕9

その9)
(告白)
「ただいま。ご飯できた」
「ええ、もうできてるわよ。今、みんな食べ始めようとしてたところよ」
「今日は何」
「ハンバーグよ」
「お、すげえ、ごちそうだな。頂きまーす」
「帰った早々、食べ始めるのは早いのね」姉の敏子が口をはさんだ。
「こんな遅くまで何してたんだ。火薬臭いぞ」父親の鼻は敏感だった。
「あ、友達と寺太夫堀近くで、2Bを投げてたんだよ」
「そう言えば臭いわねえ。中学にもなって子供みたいね」姉は何か一言、言いたいのであった。
良太は言い返そうとした瞬間、電話のベルがけたたましく鳴った。
「チリリリリーン」彼は一瞬、ドキッとした。
「もしかしたら・・・」と思ったからである。近くにいた母親が受話器を取った。
「良太、細谷さんとか言う女のお友だちからよ」彼女は‘女’という部分を強調した。普段、良太に女の子から電話が来ることは一切なかったからである。父も姉も耳をそばだてて注目しているのが見て取れた。
良太の心臓は飛び出しそうだった。口にあったご飯を噛まずにそのまま飲み込んだ。
「うん、今行くよ」
電話は居間にあった。食事をしている部屋とは襖だけで隔てられていた。良太はすぐさま、すべての襖を閉じ、居間を個室状態とし、外に声が漏れないようにした。両親も姉も怪訝そうな表情をしていた。
「何も部屋を閉め切らなくても良いのにねえ」姉のぶつぶつ言う声が聞えた。
「はい、もしもし神崎ですけど」良太はやっと声を振り絞った。
「今晩は、神崎君。さっき電話もらったみたいだけど、クラブだったんでごめんね」
「いや、いいんだよ」
「それで何か」
その後、どれほど沈黙が続いたろうか。良太はドギマギしていた。寿美子からすぐに電話があるとは予期してなかったからだ。彼は彼女と共通の話題があるわけではなかった。普段、言葉を交わすことは稀だったからだ。お互い、遠くから見つめ合うだけの間柄だった。
良太は沈黙に抗し切れず、反射的に告白するしかないと心を動かされた。
「僕は君が好きなんだ」彼にとって、それだけ言うのが精一杯だった。余りにも単刀直入な表現ではあった。気持ちを伝えれば、その結果はどうでも良かった。
その時、受話器の向こうから思いがけない言葉が良太の耳に響いた。
「私もよ」寿美子もそれを言うのが精一杯だったようだ。再び沈黙が訪れた。
良太と寿美子にとって、その瞬間ほど幸福な時はなかった。二人を取り巻く世界は一瞬でバラ色に変わった。世界にたった二人だけの空間が現出した。電話を通しても二人の心は深く結び合った。良太の心はそのまま舞い上がる筈であった。
ところが全く彼にとって予期せぬ出来事が起こった。お互い恋の始まりを予感し、愛を確かめ合った言葉の余韻を楽しみながら受話器を置いた瞬間に、彼の心だけが急変してしまったのだった。
良太が甘い恋の実感を味わえたのはほんの一瞬だった。寿美子から嬉しい返事を聞き、両思いを知った途端、何故か彼の心に膨れ上がった恋の風船は一気にしぼんでしまったのだった。あまりの変化に良太はなす術を知らなかった。彼はそのわけを自分の心に問いかけてみたが、はっきりした答えは得られなかった。本当に移ろいやすい自分の心を恨んだ。今となっては、寿美子は彼の憧れではなく、足かせになってしまっていた。
10に続く

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