キリストの受容

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良太の転機17

その17)
夢の中の不安
良太は精神的に今では不安はないと思い込んでいた。それでもタイムラグのように過去に感じた不安が未だに夢の中に現われるのだった。彼は青年期に漠然とした不安を抱えていた。死への不安、将来への不安、先が見えないことへの言いようのない不安。何も手に着かない状態が続いていた。不安は次第に増幅こそすれ、消え去ることはなかった。
それらの不安が跡形もなく消え去ったのは聖書との出会い、イエス・キリストとのであいだと良太は信じて疑わなかった。何故2000年以上も前に書かれた書物とその時代に生きた異国の人物にそれ程、強烈なインパクトを受けたのか全くもって分からなかった。不明であるにも拘らず、良太の心にはいつしか、その当時わが身に起こった心理状態の変化を心理学的に解明したいという欲求が力強く芽生えて行った。単にその過程に興味があったという理由からだけではなかった。
「同じような悩みを抱えている人達、特に不安に怯えている若者達に少しでも希望の光を投げかけたい。そのために僕の体験を記録に残したい」と彼は考えていたのである。そのため彼は不安の塊りである妻、温子と何度も話し合いをした。

妻の不安
「温子、お前は小さい頃からクリスチャンって言ってたよね。それなのに不安を持ちやすいのは何故なの」良太は単刀直入に尋ねた。
「クリスチャンだって不安は持つわよ。不安は宗教には関係ないでしょ。性格や環境にもよるんだから」温子は憮然としていた。
「別にお前の性格を責めているんじゃないんだからそう怒るなって。僕は自分の体験と君の体験とを比較したいだけなんだよ。実は僕も若い頃、不安な時期があった。でも宗教的な目覚めと共に不安は徐々に解消されて行ったんだ。君も同じような体験をしたかどうか知りたかったんだ」
「あなたみたいなはっきりした体験はないと思うわ。だってあたしは物心つく頃には母と姉に連れられて教会に行ってたんだし、宗教的雰囲気が当たり前の環境で育ったってことよ。だからあたしにはどこからが宗教的な影響なのかさっぱり分からないわけよ」温子は自分の理解を越えた内容については威張ったように話した。
「つまり水に溺れた経験があまりないのに陸に助け上げられたって感じだな。それだけ有難味に欠けるかもね。しかも救いの実感が薄いのは惰性でクリスチャンをすることになりかねない。危険なクリスチャンの部類だな」
「何よその言い方。なんであたしが危険なのよ」温子は食ってかかって来た。
「危険というのは二代目クリスチャンに対して当てはまる言い方なんだけど、信仰を頭でだけ解釈してしまうってことなんだよ。救いの経験は乏しい割には自分は神に守られいるって意識だけは異常に高い。親がクリスチャンであれば、子供である自分も神に守られているって思い込むのさ」
18に続く

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