良太の転機24

その24)
救いの要件
日本でも大酒飲みや博打打ちが改心して熱心なクリスチャンになったと言う話は聞く。つまりクリスチャンになる一つの条件として悪の道にある程度、踏み込むことが必要なんだと思うんだ。そうした救いに到る導きが忘れられてるような気がするんだ。救いはどんな状況の者にも訪れると思い込んでいる人達がクリスチャンの中には多いんだ」良太は多少、批判めいた口調を帯びて来た。
「それってどういうこと。クリスチャンが救いを説いてはいけないの」温子は彼の真意が摑めなかった。
「教会では福音を広めようとしてビラ配りしたり集会を開いたりして、一般の人々に呼びかけているね。僕はあの行為は無駄とは言わないけど、あまり効果があるものだとは思わないってことさ。一般の人にいきなり聖書の言葉を教えたり、自分が救われた証しの話をしても、彼らは聴く耳を持たないって言いたいんだ。
こんなに科学が進歩した時代に2000年前の話をしても誰も興味を持たないのが当然なんだ。聖書は神の言葉だと信じているのはクリスチャンだけだという事実を認めなくちゃいけない。他の人にとって聖書は他の本と同じ歴史書の類いなんだ。しかもその中には神だとか奇跡だとか普通の人には信じられない事柄が書かれている。初めからそうした本を見せられたら聖書は信用できないと思うのが当然だと思う。クリスチャンの眼と一般の人の眼とは元々、天と地ほどの開きがあると考えなくちゃいけないんだ」
思い込みを捨てる
「ふうん、じゃ、あたしたちはクリスチャンの思いで聖書や信仰を他の人達に奨めてるって訳なのね。それも一種の思い込みかしら」温子は少し不安になって来た。今まで人に奨めていた方法が無意味なことに思われたのだった。
「その通りだよ。僕らクリスチャンは自己満足してる傾向が強い。中には礼拝中に自己陶酔してる者もいる。はたから見てると白けてしまうんだ。人それぞれ価値観は違う。それなのにクリスチャンはともすれば自分の価値観は神から与えられた最善のものとして人を説得する傾向にあるんだ。他の人から見ればひんしゅくものだよ。僕は周りの人達が全員クリスチャンである様子を想像すると気持ちが悪くなるんだ」良太は顔をしかめた。
「そんなことないわ。皆がクリスチャンになれば素晴らしいことはない」温子は正反対だった。
「僕は男としてクリスチャンが最善の道だとは思わない。誰もが譲り合ってる世界なんか、見ていて偽善的で気持ち悪いじゃないか。男は本来、自己中心的な動物なんだ。女性だって自己中心である点では男に負けてはいないと思う」
「そうかしらねえ。あたしは自己中心じゃないと思うけどなあ。子供やあなたのことを優先的に考えてるもの」温子は自分は違うことを強調したかった。
「家族を大事にするってことは自己中心に近いんだよ。家族の利益は自分の利益につながる面が強いからね。自己中心でないと言うのなら他の人のためにどれだけ時間や労力を費やしているかが尺度となるんだ」
25に続く

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復活と躓き

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良太の転機23

その23)
自我の確立
「女だって弱いわよ。我慢してるだけだわ」温子は不満そうだった。
「我慢できるってことが強さなんだよ。男は女性ほど我慢強くない。と言うことは男の自我は脆い基盤の上に打ち立てられてるようなものさ。それを正常に保つために僕たちは努力を惜しまないんだ。努力と言うより自我を守らざるを得ない切迫した状況に常に立たされるってのが正直なとこかな。
そうした眼で息子たちを見てると守ってやらねばならない部分が多い。同時に彼ら自らが自我を鍛えるために、親として援助してやれることは何かと考えざるを得ないんだよ。{キリスト教の愛}を知ることは必要かも知れない。でも自我をうっちゃってまで彼らにそれを吹き込むことは益がないばかりか有害とさえ思えるんだ。
無菌状態の生き物は外界からの刺激に弱い。抵抗力がないからだ。中途半端な自我には抵抗力がない。僕がこの年まで社会の荒波の中で、もがきながら進んで来れたのは、しっかりした自我が備わっていたからだと思う。自我が確固としていたから{キリスト教の愛}と引き換えにそれを捨てることができたんだ。自我が中途半端にしか育っていなければ、それを捨て去ることもできないんだ。捨て去る前提には明確な自我の確立が不可欠なんだ。

歴史的人物の例
聖書に出て来るパウロはキリスト教を迫害していたが改心してクリスチャンになった。彼は元々ユダヤ教徒で厳格な立法を守り、揺るぎない自我を持っていた。恐らく頑ななまでのこだわりがあったんだろう。だからこそ彼の改心は驚異的な変化を彼にもたらした。人格の180度転換とも言えるものだった。愛の全く欠けたパウロの心が{キリスト教の愛}に満たされた結果だった。
ジョン・ニュートンは1725年から1807年まで生きた人だが、当初は奴隷商人だった。ある時、彼は貨物船{グレイハウンド}に乗ってアフリカから英国への帰路にあった。そこで大嵐に遭い九死に一生の得た。彼が24歳の時だった。その経験から彼は{神の愛}そして{キリスト教の愛}を知った。6年後には牧師となり、人々に{神の愛}を説きながら奴隷制度廃止に尽力した。
24に続く

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自己改変

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良太の転機22

その22)
キリスト教教育
僕は日曜学校にあまり熱心じゃない。また小中学生へのキリスト教教育にもあまり熱心じゃない。何故だか分かるかい。自我が育ってない男の子に{キリスト教の愛}を吹き込むことは下手すればその子の自我さえ消滅させる危険があるからなんだ。男の子としての自我がまともに育ってない状態で、それを押し潰すことはいかにもフェアーじゃないと思う。
僕は二人の息子をキリスト教の幼稚園に入れ、なおかつ日曜礼拝を欠かさず、彼らをキリスト教の鋳型にはめ込もうとしてたことを多少、後悔の念で捉えてるんだ。もう少し男の子らしい休日の過ごし方を身につけさせるべきだったと思うこともある。親はたとえキリスト教に熱心であってもそれを子供、特に男の子に押し付けるのは断じて許されるべきではないんだ」良太は温子に対する警告としての意味も含めて強い口調で訴えた。

子育ての責任
「何よ、あたしに責任があるって言うの」彼女は彼の強い視線にひるんだ。
「責任がどうのと言ってる訳じゃない。子育ては所詮、試行錯誤の繰り返しだ。信仰も同じく試行錯誤だ。だから誰の責任という話にはならない。僕らはとかく自分を正当化したくなるものなんだ。それが争いの元凶だと言っても間違いない。ある行為を振り返って、それが正しかったと納得したいものなんだ。そこで初めて行為に費やした時間と労力が報われる。労力が報われないと初めから決まっている行為なんて誰も好き好んでしたくはないからね。
僕らは失敗が起こると責任のなすり合いをすることが多い。それは責任を他に転嫁して自分の行為を正当化し、自己防衛をしているんだよ。子供の間でも『僕は悪くないからね。誰ちゃんが先にやったんだ』という言い合いが多い。自分の過ちは決して認めようとしないんだ。その傾向もやはり男の子に多い。男の子ほど自我を守ることに必死なんだ。裏返せば自我が脆いってことかな」良太は男の立場を弁護するように見えた。
23に続く

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良太の転機21

その21)
僕は小・中・高と親に反抗までして{キリスト教の愛}を受け入れるのを拒んだ。一旦それを受け入れたが最後、僕自身が崩壊する危険があったからなんだ」良太はおぞまし気に身を震わせた。
「あなたは大げさなんじゃない。{キリスト教の愛}に晒されていた方が安全なんじゃないの」温子は不服そうに反論した。
「ところが事はそんなに単純じゃないんだ。愛に包まれて安全というのは大きな落とし穴なんだ。その穴は偽善に通じている。しかも偽善は自己を根底から破壊してしまうんだ。人間は自己を破壊されたらお終いなんだ。生きる土台が消滅するようなものだ。地に足を踏みしめて生きていることができなくなる。男の夢を駆り立てる自信を根こそぎ奪い取られる。その結果、男は無能と化す」

男と女の比較
「それは男の人だけに起こるものなの」温子は息子たちのことを心配しているらしい。
「そうなんだ。女より男に起こる現象なんだ。女の子の場合、精神的な危険は少ない。女の子は男に比べて自立心が乏しい。こんな事を言うと女性に怒られるだろう。ところが女の子は基本的に従順にできてるような気がしてならない。男の自我と女の自我とは根本的に違うような気がする。女は偽善的になっても余程のことがない限り、自己が破壊されることはない。女は心の内にそれだけ多面性を持っているってことかな」良太は温子をあまり刺激しないようにやんわりとまとめた。
「そう言えばあたしたちって男の人ほど意地を張るってことがないかもね。裏返せば他人の意見に左右されることが多いってことかな」彼女は控え目だった。
「正にその通り。女性は占いに頼ったり、人に相談することが多いじゃないか。自分自身にあまり自信を持ってないってことなんだよね」
「何よ、それ、あんまりじゃない。あたしたちが不安定でふらふらしてばかりいるような言い方をして」温子は憤然とはしていたが、認めざるを得ない部分があることも知っていた。
「男は自我の塊りだけど女性の自我は表面に出ないように上手く包み隠されている。男のじがを覆すにはそれこそ大変な時間と労力が必要だが、女性の自我は簡単にひっくり返る。キリスト教が効力を発揮するのは男に対してなんだ。救いが男にもたらされると彼の人格さえも変わってしまう。ところが女性に救いが訪れても表面上、さして変化は見られない。女性の自我が内面深く包み隠されているからね。
男は自我を上手く隠すことができないんだ。だから学校で問題を起こすのは男子生徒と相場が決まっている。最近では女子生徒も問題を起こしているようだが、比率から言えば全く問題とはなっていない。男は学校でも社会でも他の男と衝突するものなんだ。それでもキリスト教では『衝突を避けて平和に過ごせ』と教えている。こんなんじゃ、ひ弱な男の子が大量生産されるだけだ。
22に続く

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罪の清め

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良太の転機20

その20)
医学万能神話
また無知な医者ほど傲慢で自分の手ですべての病気が治せるかのように錯覚している。この世には現代医学でも手に負えない不治の病があることにも頓着しない。そして人間が薬と手術だけで治されていると誤解している。病気が治る根本にある自然治癒力とそれを支える未知の力の存在を理解しようとしない。人間をまるで機会でも扱うように病気を故障のように直していると勘違いしている医者が何と多いことか。彼らは共通して自分の力を過信し過ぎているんだ」良太は怒りを込めて拳を握り締めた。
「あなた、ちょっと、あたしに怒りをぶつけないで下さいな」温子はもう沢山と言う顔をしていた。
「病気を治す原動力は精神力だと思う。ただし精神力がいかに高くても体力がついて行かなければそれ切りだ。だから人間には体力と精神力が合わせて必要なんだ。宗教は精神力については高く評価してるが、体力についてはなおざりにして来たように思う」

キリスト教の短所
良太はさらに続けた「キリスト教では愛と赦しを説いている。その傾向はキリストの誕生で顕著になった。それ以前はモーセにしろダビデにしろ、体力を持ちながらも同時に精神力も鍛えた。神の怒りに何度も接することで男は戦いの中で体力と精神力を同時に鍛えることを学んだ。彼らには同胞の命を敵から守るという使命が与えられていた。そのためには神の支えが是非とも必要だったのだ。
キリストの出現で宗教観は大きく変わった。彼は大工仕事で体を鍛えていたとは言え、それを争いのばで使うことはなかった。精神力は途方もなく強かったことが予想される。民衆からの中傷に一人で耐えたことが精神力の強さを物語っている。
クリスチャンはキリスト教を誤解している面がある。{愛の宗教}という側面だけが強調されがちだからだ。愛と強調し過ぎると偽善に陥る。クリスチャンの偽善は手に負えない。男を軟弱にするからだ。僕の父親は確かに{キリスト教の愛}に満ちていた。愛の中で育った僕はそれを感謝している。ところが一方で僕は精神的にも肉体的にも軟弱化される危険の中で育った。
21に続く
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