部門間の確執

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良太の転機2

その2)
変化
突然、彼は闇の中に一筋の光を見た。もしかしたらそれは心の中の光だったのかも知れない。その瞬間、良太は生命の尊厳に目覚めた。今まで全く気づかなかった命の尊さが白日のもとに晒されたのだった。「俺は何と愚かだったんだろう」と良太は自分の無知に初めて思い至った。
「俺の命は未知の存在ー神と呼ぼうかーから無償で与えられたものだ。それを無闇に捨て去ったら良心が嘆くだろう。この年まで俺を育てはぐくんでくれたのは両親なんだ」と彼の生命は自分だけのものではないことを深く心に留めた。
良太は父母から授かった命を粗末にしていた自分を恥じた。さらに体調不良は我が身の責任であったにも拘らず、父母が信奉する神を呪ったことをも恥じた。良太は猛烈な無心論者だった。「俺は見えるものしか信じない」といつも父の前で豪語していたのを思い出した。
「神はいるかも知れない。いやきっといる筈だ」と彼はその日を境に神の存在を信じた。その時から周りの景色が一変したのである。今まで当たり前のように存在していると見ていた自然の素晴らしさに感動を覚えるようになった。
良太が神の存在を信じたことで変化したことがもう一つある。それは毛嫌いしていた聖書を読み始めたことだった。クリスチャン家庭に育った良太の周りには聖書とその関連図書が山のようにあった。彼の父は読まないまでもその類の本を買い求めるのが好きであったのだ。良太はそれらの本に嫌悪感を覚えていた。道徳の教科書よりもさらに厳しいことが書かれていたからだ。
よくツタは「だまされたと思って読んでごらん。良いことが書かれてるよ」と言ってさかんに良太に聖書を勧めた。でも当時の彼は「そんな本、堅苦しくて読めないよ」と言って机の奥の方へしまい込んでいた。今彼はそれを取り出して初めてまともに読んでみた。読んでもチンプンカンプンには違いなかった。それでも所々に心に響く言葉があった。良太にとっては「分からないなりにも読み進もう」という気持ちになっただけでも一大進歩だったのだ。
良太は何もかも忘れて聖書を読んだ。そして遂にイエス・キリストが十字架に掛かるくだりまで読んだ時、何故か涙が溢れた。そして胸が熱くなった。「何故こんなに感動するのだろう」と良太は考えたが、全く分からなかった。「2000年前の中東イスラエルに住んでいた一人の大工、イエスが十字架に掛かった。そんな昔の出来事は俺には何の係わりもない。だのに何故、涙が出るのか」と彼は不思議でならなかった。
「この感動が正しくキリスト教を支えている感動なのか」と良太は始めてキリスト教の真髄に多少なりとも触れられた気がした。さらに不思議なのは「その感動を誰かに伝えたい」という思いが急に良太の心に湧き上がった。
3に続く

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