息子の視力低下

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人生の失敗42

第42回
死への障害
人が死に直面した時、恐らく自分の過去を振り返る。そして過去の失敗や他人に対して犯した様々な悪行を思い後悔する。それらの過ちは今さら取り返しがつかない。かと言ってそのまま人生を終わるには心残りが多過ぎる。
心残りが死への苦悶となって現れることは確かだ。従って平安に死を迎えるには過去に犯した罪をその時点までに清算しておくのが一番良い。罪の清算は自力ではできない。自分で自分を赦すことはできない。創造主に赦しを求めるしかない。
だから昔のユダヤ人たちはことあるごとに生贄を捧げて罪の赦しを神に求めた。罪は犯したことが自覚できた時点ですぐに赦しを乞うのが最善だ。イエスが十字架上で身を犠牲にしたお陰でクリスチャンは生贄を捧げる必要がなくなっている。
もう一つの心残りは楽しい思い出だ。自分が死んでしまっては過去に味わった楽しい経験を今後再び味わうことができない。それも未練となって心に残っている。つまり罪の清算と楽しい思い出の処理が死への大きな障害となっている。
キリスト教の宗派によっては罪の赦しはイエスの十字架で解決し、楽しい思い出を残さない手段としては禁欲主義を選んでいる。人生で楽しみをなるべく少なくすれば死に際しての未練は減るだろうがその方法はある意味で味気ない。
43回に続く

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