運転は集中

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人生の失敗52

第52回
失敗の効用
人間は自分の価値基準があやふやなために絶対者としての神を仕立て上げた。神を絶対善とすれば価値基準はたやすく設定されるからだ。昔の人々は災害さえも神に結びつけた。災害が起こるのは自分たちが何か悪さをした所為だとすれば理由付けが簡単だ。
人は失敗するとその行為を振り返る。そして自分の行動基準に過ちがあったのかどうかを反芻する。そして知恵をつける。従って人生に失敗は必要だ。失敗から何かを学べる。それを酒の力で忘れ去っては意味がない。
成功は価値基準を強めるだけだが、失敗は価値基準を根本から見直す機会も与えてくれる。だから意味がある。神を持たない者は失敗を自分の責任にするか相手すなわち社会の責任にする。今は後者が圧倒的に多い。自分が正しいと思う傾向が強い。
失敗を他人の責任に帰せば自分の価値基準は変わりようがない。失敗を自分の責任に帰する所から自己変革が始まる。基準の再設定に向かう。それが反省であり進歩である。イエスはその価値基準を最底辺に置いたがために物質的な争いは皆無だった。
成功ではなく、失敗においてのみ自我は打ち砕かれる。
53回に続く


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