息子の将来

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人生の失敗43

第43回
言葉と罪と生贄と
聖書によれば最初にアダムとイブが神に対して罪を犯したために人類に原罪が付きまとうことになったと言う。罪は言葉の誕生と同時に発生した。言葉を使えば言い訳ができる。言い訳は罪を覆い隠す手段だ。
叫びしか発しない動物と違い人間は言葉を使える。言葉は便利だが様々な弊害をもたらした。言葉を使って他人を攻撃できる。言葉で事故を装飾できる。言葉がもとで人類は神と離反した。言葉がなければ知恵の実を食べる必要はなかった。
言葉を使えば嘘もつける。嘘は汚い自我を覆い隠す隠れ蓑の役目を果たす。嘘が原因で人類は神と離反した。嘘で自我の欲望を隠すと同時に衣服で裸の身を隠した。言葉は表現する対象を持つ。その対象として自我が選ばれ嘘で覆い尽された。
人は言葉で自我を対象化したと同時に言葉を駆使する自我が発生した。この時点で自我は分裂した。心の中で自我同士の葛藤が始まった。言葉を使う自我は潜在意識をも対象化しようと試みた。しかしそれは不可能だった。
潜在意識は自我の認識レベルを遥かに超えている。そこで潜在意識の内で核心部分である良心に一つの名前を付けた。神である。神が人間を自身に似せて造ったのではなく、人間が神を自分に似せて心に思い描いたのだ。
良心に咎めを感じる罪を犯した人間は誰かに赦しを求める。赦しを求める相手は通常、被害者だが、被害者が明確でない場合には神となる。神に赦しを求めるには代償が必要だった。その代償が生贄と呼ばれる捧げものだった。それは醜い自我の身代わりだった。
44回に続く

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