イエスとパウロ

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自我と超自我63

その63)
(死を見据える)
常に死を目前に据える事は、私たちの今を充実させます。明日、死ぬかも知れない切迫感こそが今の時を燃え上がらせずにはおきません。死を目前に据えるには死の恐怖を克服せねばなりません。それには死は終わりではない事を知らねばならないのです。
確かに死は肉体の消滅を意味します。肉体を根拠としていた自我は、その存在基盤を失います。ところが超自我が消滅することはないのです。生命の根源と直結し、他の超自我との結び付きも強固な、あなたの超自我は肉体が滅んだ後も尚、存在し続けるのです。それでなければ、人類はこれ程まで広大な歴史を築き上げては来られなかった筈です。人類の歴史と遺伝子には祖先の霊が息づいているのです。
私たちは人生をゼロから出発する訳ではありません。生まれた瞬間から超自我は私たちを守り導きます。超自我はDNAに刻印された人類の叡智を集結し、最大限に活用しているのです。私たちは外界から独立しているように見えますが、実は外界と一体なのです。死は肉体を消滅させますが、私たちが地上に残した痕跡は他のDNAの中に保存されて生き続けるのです。ですから私たちも霊となり、他の人々の心に生き続けるのです。
肉体は死んでも、霊は生き続けることを確信すれば、死への恐怖は半減します。ただし私たちの心には、少なからず自我の影響がありますから、死の恐怖が完全に消え去ることは先ず考えられないのです。いずれにせよ死への恐怖を最小限に抑えられれば、神経を今という時に集中できます。
死んだ気になれば人間、何でもできるものです。自殺はいけませんが、死んだ気になるのは誰にでもできます。今までの古い自分を脱ぎ捨て、新しい自分を生きれば良いのです。「日々新たなり」という言葉があります。私たちに与えられた今日一日は昨日とは別物です。新たな気構えで今日を生きれば良いのです。そして明日のことで悩んではいけません。今日一日で終止符を打つ心持ちで、今に全神経を集中させれば良いのです。

死を念頭に置かなくては現在を効率的に生きることはできない。自分がいつ死ぬか分からない中で生きているからこそ現実に神経を集中できるのである。新でも悔いを残さない生き方をするには過去を清算し、未来に対する空虚な期待を抱かず、現在に意識を集中させるしかない。
64に続く

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