自分の言葉

自分の言葉.jpg
1551768385397.jpg
nice!(0)  コメント(0) 

自我と超自我55

その55)
(期待と失望)
私たちは誰もが期待されて、この世に生を受けました。大自然は私たち一人一人に期待を掛けて、この世に送り出したのです。期待されて生まれて来たからには、何不自由ない生活が保障されていると考えたくなります。
私たちはこの世から期待されている以上に、この世に対しても期待します。そしてその数多くの期待は裏切られることの方が多いのです。それは私たちが、と言うより私たちの自我が楽観的過ぎるからです。そして自我の期待が自己中心過ぎるからです。
自我は自分が可愛く、自分の力を過信しているので、自己の良い面しか見えません。そこで自分が社会から正当な評価を得られないと不満につながります。しかもその不満は怒りとなって爆発することもあり得るのです。
学生時代に過信していた自分の力が、社会では思ったほどに評価されないと、自暴自棄に陥る危険性もあります。それでもある程度柔軟な自我は期待が裏切られ、社会と自分の本当の姿を知るにつけ、失望しながらも少しずつ真実に近づいて行くのです。
ところが当初から真実に直結している超自我は、自我のように過度に期待したり、失望したりはしません。超自我は現状をありのままに受け入れて、満足する術を知っているからです。

学校に期待し失望に終わる。社会に期待し失望に終わる。家族に期待し、やや失望に終わる。失望が最小限で済むのは結局家族しかない。
56に続く

nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。