親のしつけ

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自我と超自我57

その57)
(男の気まぐれ)
武家社会において、男は死を覚悟しながら一日を過ごしました。明治以降の社会でも、戦場に駆り出された男たちは常に、死と背中合わせの生活を強いられました。西洋においても、騎士道は男のプライドを死よりも優先して来ました。
男とは自分の生き方を貫くためには、死をも辞さない生き物なのです。その点、根本的に女性とは異なります。Y染色体を取り込んだ男の体内からは、子を宿す機能が消失し、ただ部分的に子種を製造し、放出する機能だけが残りました。
昨今、男の子育てが重要視されるようになってはいますが、子作りにおいて男の果たす役割は一瞬なのです。その後も男は経済的・精神的に子育てに係わることはあっても、実質的な子育ては女性の手に委ねられているのです。
男は気まぐれな欲望に促されて衝動的に子作りに励む訳ですが、性欲が満たされさえすれば基本的に子育てに興味がある訳ではありません。子供好きな男も世の中にはいますが、あくまでも少数派です。しかも子供が成長し自我を持ち始めれば、男は我が子とも対立せざるを得なくなります。
母親は自分を無にしても我が子に尽くすことが多いですが、男は我が子に対しても強い執着心を持っている訳ではありません。男は女性に比べ、自分の命や財産に対しても強い執着心がある訳ではありません。男の興味の対象は千変万化するので、一つの対象だけに執着する気持は乏しいのです。
男の自殺が多いのも人生に見切りをつけやすいからなのでしょう。生きていることに執着心がなければ、命を絶つのは案外、容易だからです。

男は死ぬまで性欲に悩まされ続ける。だから上手く生きるコツとは性欲をいかに効率的に処理するかである。
58に続く

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