キリストの愛

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自我と超自我60

その60)
(理に適った願い)
私たちは生きている限り、様々な願い事をします。願う事は多くても叶うことは少ないものです。願いが叶わないからといって、その度に怒ったり失望したりしていては心が安定しません。心が不安定であれば自信を失うことになるか、はたまた社会を恨むことにつながります。
自信を失う事、社会を恨む事、どちらもあなたにとってはマイナスの心の作用です。気持ちが下向きになるからです。あなたは溌溂と毎日を過ごすために、この世に生を受けました。それなのに願いが叶わないからと言って、マイナス思考になる必要はないのです。
願いが叶わなかったのは、その願いが自我によるものであり、実現するには時期が早過ぎた願いであった可能性が高いのです。あなたが願いを持ち続けるのは必要です。ただ、その願いが理に適った願いであったかどうかは、その結果で判断するしかないのです。超自我が研ぎ澄まされた人であれば、願いが理に適っているかどうかを前もって予測もできましょうが、普通は無理です。私たちには自我の影響が色濃いからです。
超自我が自我の影響を多大に受けているあなたも、願いが理に適っているかどうか前もって予測することは不可能だと思われます。願いが適正であったかどうかは、その結果を見て悟るしかないのです。従って、あなたの願いが叶えば、素直に喜び感謝すれば良いのです。その願いはあなたの超自我が発した適正な願いであったのです。
また運悪く、あなたの願いが叶わなかったとしても、怒ったり失望したりして心を乱す必要はないのです。その願いは未だに時期尚早であっただけなのです。その願いを叶えるのにあなたの力が足りなかったのかも知れません。それなら、あなたは努力して実力を高めれば良いだけの話です。願いが叶えられない理由が社会にあったとすれば、あなたの願いを満たすのに社会自体が未だ、その段階まで成熟していなかったことが考えられます。それには社会が成熟するのを気長に待つか、或いはあなたの願いを多少方向修正して、現状の社会レベルに合わせた操作をすれば良いだけです。
超自我は方向修正が得意です。自我は頑固にも一つの路線に固執しますが、超自我は柔軟な性質が特徴です。自我は限定された知識の中から解答を見出しますが、超自我は無限とも言える知恵の宝庫から解決策を探し出して来ます。あなたの願いが社会的な理由により叶わないのであれば、その解決策を超自我に委ねさえすれば、必ずや近日中に全く思いがけない解決策や願いの修正案が、心の深奥からもたらされることになるでしょう。あなたに要求されるのは、じっと待つ忍耐力だけです。

理に叶うとは自然の摂理に即していると言うことである。私たちは自然によって生み出された。自然の摂理に即して生きるのは当然の義務である。
61に続く
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