恩恵と律法

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自我と超自我59

その59)
(絶望と失望)
絶望と失望は全く違います。絶望とは望みが絶たれることです。そして、その望みは復帰しないのです。失望は望みが一瞬、見えなくなることです。ところが、やがて望みは違う姿で目の前に現われることになるのです。
あなたの心が自我だけに支配されているならば、恐らく失望より絶望を多く体験することでしょう。自我とはあなたの個人的な心情だけに係わる性質上、それは当然の帰結なのです。自分だけの快楽や怒りに翻弄され易い自我は、周りの環境や人との間にトラブルを発生させ易いのです。あなたが自我に振り回されて生きていく限り、社会では波乱が待ち受けています。そしてその波乱は度重なって、仕舞いには破局へと導かれることもあります。その時、あなたは絶望感に陥り、場合によっては死を選ぶこともあり得るのです。
あなたが絶望の最中にあっても、超自我の声に少しでも耳を傾けることがあれば、絶望は失望へと変わり、時を経ずして挫折は希望となり空へ羽ばたくのです。大局的な判断を下す超自我には、絶望と言う文字はないのです。何故なら超自我は生命の根源そのものに直結しているからです。
あなたが生涯の内でくぐり抜ける、どの様な困難も超自我にとっては計算済みなのです。超自我の眼には、どんな挫折・困難も単なる一時的な下降曲線でしかないのです。そして下降曲線は近い内に必ず上昇に転ずることを知っています。こうして絶望的に見えた事柄も、実は失望にしか過ぎず、しかもそれは希望へと連なることをあなたに知らせるのです。

絶望は自分も他も否定することである。失望とは自分を肯定し他を否定することである。絶望は取り返しが効かないが失望は好転する兆しが見える。
60に続く

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