親の愛

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自我と超自我47

その47)
(与える言葉)
動物は言葉を持ちませんが、人間は言葉を持っています。同じく動物は頭に映像を長く留めておけないようですが、人間は過去の映像でも永く頭に留めています。
動物は生きている間、太陽初め、周りの環境からエネルギーを受け、それを基に生活し、子孫を残し、死んで行きます。何匹かの大事なペットを除いては人類の記憶に残る動物はいません。
ところが人間については、どの様な悪に染まった人間でも誰かしかの記憶には留まっているものです。母親であれば悪事を働いた我が子さえ一生涯、忘れることはありません。我が子の純真であった頃の映像を大事に心の内に秘めているものです。
人間は霊的動物だと言われています。それは愛した人の記憶が、その人の死んだ後も頭に残り、霊として心に生き続けているからでしょう。さらに重要なのは、死んだ者の生前話した言葉がいつまでも記憶に残り、霊の存在を際立たせるからなのでしょう。つまり霊とは言葉を話し、私たちの心に直接訴えかけてくるイメージと考えられます。
人間の社会とは実際、眼に見える実体だけで成り立っている社会ではないのです。見えないけれども存在する代表は話し言葉でしょう。音声は時の流れの中で現われては消え、その実体が掴めません。ですが確かに存在しているのです。音声自体としても、話した者と聞いた者の耳に残っています。その音声を表記すれば、れっきとした証拠も残るのです。
私たち人間は言葉によって、生きた証しを立てることもできるのです。言葉を通じての社会貢献とは、本や文章として後世に、一人の人間が生涯に会得した人生の知恵を語り継ぐことです。人の肉体は動物同様、死と同時に消滅しますが、人の霊と言葉は後世の人の心に生き続けるのです。
どんな肉体もいずれは朽ち果て、無機質と化します。無機質と化した個体は太陽から受けた貴重なエネルギーさえも既に活用することはできないのです。言葉を持たない動物は無機質と化した後は地球上で何の役にも供されません。毛皮として残るのみです。
一方、霊と言葉を持つ人間は違います。その肉体は滅んでも霊と言葉は、人類が地上に生息する間、生き続けるのです。あなたがたとえ命を落としたとしても、あなたの霊と言葉は家族や友人の間で生き続けます。
ただし、すべての霊、すべての言葉が無条件に生き続ける訳でありません。優先順位が自ずとあるのです。私利・私欲から自由な霊と言葉の上に、より高い優先順位が与えられます。

言葉は攻撃の道具としても使われるし慰めの手段としても使われる。言葉を発する者の態度も重要だが相手を慰め勇気付ける言葉を使える者は貴重な存在だ。
48に続く

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