夫婦

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生きにくい33

その33)
(男女差の源泉)
何故、女性は男ほど刺激に変化を求めることをしないのでしょうか。
哺乳類は群れて移動したり、生活したりすることが多いものです。外敵から群れを守るために、強いオスを中心とした集団が形成されました。サル山ではボスの雄ザルを中心として、集団生活が営まれています。移動生活においては、男がリーダーシップを握るしかありません。
ところが農耕生活を営むようになると、定住生活が一般的になりました。そして集落ができ始めた、比較的平穏な古代の日本では、女権が強まり出しました。農耕社会では女系家族が重宝されることが多くなったのです。
女権社会が発展する中で、一時は女帝卑弥呼が君臨していた時代もありました。当時、彼女は祭司的な役割を果たし、特に権力の象徴というわけではなかったのでしょう。卑弥呼には夫がいなかったらしく、その系図ははっきりしていません。
しかし女性が君臨する時代も永くは続かなかったのです。日本のような閉鎖社会においても、隣国との争いが激しさを増すと、最後は男が権力争いの場に登場することになりました。
男が権力闘争を始めたのは、それから後の時代です。権力闘争をするようになると、はっきりした系図が残されるようになりました。
そして権力のある男は、必ずと言って良いほど多妻だったのです。妻を何人も持つ環境の中で、強い子孫を残す必要に迫られていたからでしょう。
一方で、影響力の強い女性に、多くの夫が同時に存在したと言う話はあまり聞きません。ただし、一人の女性が何度も離婚して、夫を変えたと言う話は聞くことがあります。
男は同時に何人もの女性を妻にすることができました。一人の夫の元にいる、同じ妻同士は陰湿な争いをしたものと思われます。ただ女性は群れて、集団でいることが意外と平気です。
ところが、一人の女が同時に何人もの男を夫にはできなかったのではないでしょうか。クレオパトラにしろ、楊貴妃にしろ、彼女らの周りには何人かの男の影が付きまとっていました。ですが同時に正式な夫を何人も持っていたという話しは聞きません。
仮に一人の女性の周りに何人もの夫同士が寄り固まっていたら、どんな過激な騒動が起こるか分ったものではありません。殺傷沙汰が日常茶飯となることでしょう。一人の女性を巡って、男は熾烈な争いを演じるはずです。男は極端にプライドが高く、独占欲が強い動物です。一人の女性を他の男と共有することなど、全く許せないことだからです。
一人の女性を何人かの男で愛撫するといった光景は、画像で見るだけなら多少、我慢はできます。ところが、そうした光景が実際、自分の身に降りかかるのを体験することは、全くあり得ないことです。近くに裸の男がいると想像しただけで、普通の神経の男なら気持ちが悪くなります。
反対に一人の男が多数の女性に取り囲まれている光景は、羨ましくさえ感じられます。取り囲む女性全員が納得しているとは思えませんが、中にいる男は大満足なのです。
全く視点を変えて、生殖的に考えれば、一人の女性に多くの男性の種が、同時に入り込むことは意味がありません。一人の女性にとっては、確実に種を宿す精力のある男が一人いれば、事足りるのです。しかも一度、着床すれば、生殖的側面からは、その後の性交渉は、全く無駄なのです。種が宿った後の性交渉の目的は、単に快楽のみに限定されます。
快楽目的にしろ、生殖目的にしろ、男の性欲は無限です。男としては、社会的制約さえなければ、何人の女性にも種を宿せる生殖能力は備えているのです。現代の男たちは充分な生殖能力を持ちながら、それが有効に活かされる機会はありません。その事実に、問題の根源は横たわっているのです。
34に続く

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