思い込みと誤解

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生きにくい23

その23)
(所有欲)
食欲と違って、所有欲には際限がありません。小さな物では時計・宝石を所有することに始まり、大きな物では土地・建物の所有となります。さらに財産という点から見ると、金銭の所有が頂点に来るでしょう。
私たちが快適に過ごすには、物が必要です。遊ぶには玩具が必要であり、趣味には楽器や道具が必要です。家庭生活を快適に営むには、土地と家が必要です。物を所有することは、明日も同じ快適さが持続的に保障されることを意味します。
私たちは物を所有することで、安心感を得ています。現代では物が、毎日の私たちの生活を支えてくれています。物は処分しない限り、増える一方なのです。物を一度、所有すると執着心が生まれます。執着心こそが曲者なのです。執着心が私たちの足を引っ張って、物を捨てられなくしているのです。
物を所有することは、その物にまつわる思い出をも、心に溜め込むことになるのです。捨てられず残しておきたい物には、当然楽しい思い出ばかりが付きまとっています。その物を使えば、もう一度、楽しい思いができるという期待があるのです。
あるいは玩具などを取っておく目的としては、今後その玩具で二度と遊ぶ見込みがないにも拘らず、その玩具と過ごした思い出が懐かしくて、保存している場合もあります。
こうして、思い出という記憶が物には付いて回っているのです。従って不用な物でも捨てられないのは、過去の思い出に執着しているからでもあるのです。
はっきり言って、今、不用だと判断される物は、過去いかに有用であったとしても、将来的に有用となる可能性はほとんどないと考えて良いでしょう。そこで思い切って、見切りをつけ、捨ててしまった方が心にとっての負担は減るのです。
24に続く
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