人の話を聴く

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生きにくい26

その26)
(非生産性と罪意識)
子作りに直結しない性行為には実利がありません。エネルギーを使い果たして得られるのは、快楽以外には果てた後の倦怠感だけです。空虚感さえ伴うことがあります。
交渉後、女性は満足感と充実感に浸れるようですが、男が最も強く感じるのは空しさなのです。手淫をした後も、同じ様な思いに捕らわれます。手淫は相手がいない分だけ、さらに空しいのです。
空しさの原因は一目瞭然です。その行為により、快楽は得られたものの、生態系にとっては何ら益することがなかったという結果によるものです。本来、性行為が目的とする生殖行為はどこかに置き去りにされてしまったのです。そして生殖行為とは、全く無関係な快楽だけが目的の行為となってしまったために、空しさだけが残るのです。
私たちの行動には、必ず目的が伴います。食べるのはエネルギーを補給するためです。働くのは生活の糧を得るためです。遊ぶのは、緊張した神経を休ませ、活力を得るためです。つまり行動とその目的が、一本の線でつながっているのです。ですからゲームをするという無意味に見える遊びでさえも、熱中した後には充実感が伴います。
ところが、性欲を快楽目的で満足させた後には、空しさだけが残ります。
性欲の本来の目的である、生殖行為が忘れ去られ、その行為に付随する快楽だけが、目的として分化してしまったからなのです。生殖行為から外れた性欲に対し、大義名分が立つことはありません。
どんな理屈をつけても、利己的な快楽のみを目的とする、性欲は正当化することはできないのです。私たちは正当化できない行為に対しても罪悪感を感ずるものなのです。
27に続く

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