子育ての忍耐

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生きにくい16

その15)
(栄光の比較)
病の床に臥せっている人や死を目前にした人が、プラス思考をするのは容易ではありません。
その人たちにとって、過去の栄光はすべて空しいものになってしまったからです。家族と過ごした楽しい思い出。学生時代に手にした賞状の数々。有名企業での輝かしい功績。手に入れた財産。それらにまつわる栄光の軌跡は、すべて空しさに変わってしまったのです。
過去の栄光が大きければ大きいほど、力ない今の自分のみじめさが心身にこたえます。それというのも、栄光に塗り固められた自我が、その行き場を失っているからなのです。
あなたが過去に様々な栄光を味わっているとしたら、それらが心の枷となっている可能性があります。
と言うのは、常により高次元な栄光を求める自我が、人生で最大の危機に直面するのは、死を目前にした時なのです。死はすべての栄光をゼロに引き戻します。すなわち、高次元の栄光を味わった人ほど、死に直面することは苦痛なのです。
16に続く

その16)
(栄光との訣別)
生きている内は、死に物狂いで追い求めた栄光も、死を目前にすると心にとって最大の枷になるとは皮肉なものです。栄光を追い求めるのも大事ですが、それと手際良く訣別する方法も身につけておきたいものです。
自我が栄光に執着しないようにするには、一体どうしたら良いのでしょうか。
手荒な方法としては、生きている内に死を間近に味わうことです。かと言って、自殺という手段は論外です。死を味わえたとしても、本当に死んでしまったら意味がありません。しかも自殺はすべてに絶望した者が選ぶ最終手段なので、プラス志向を目指す私たちが選ぶ手段とは到底なり得ません。
仮に死を間近に見られる体験ができるとすれば、単に偶然か運命によるものでしょう。事故で一命を取りとめた人の人生観は180度、変わると言われています。確かに一度、死ぬような体験をした人は、自我が破壊され、考え方が根底から覆されるのでしょう。
栄光に凝り固まった自我が、一度、破壊されたら、この世に恐いものはなくなります。過去の栄光さえ、何ら取るに足らないことが実感されるのです。このあたりに過去の栄光と訣別するヒントが隠されていそうです。
死を目前にした時、自我は過去の清算を迫られます。栄光の過去だけでなく、苦悩の過去も清算させられるのです。平凡な日常において、呼び覚まされる過去の記憶は、苦悩の側面より栄光の側面に偏っている傾向があることにも注目すべきです。
17に続く

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