前哨戦7

その7)
僕は大学を途中で出た。にも拘らず在籍期間は4年に及んだ。卒業しないのは勿体無い気もしたが、時間を無駄にしたくなかった。と言うのは其の時点で未だ2年次であったから、卒業には最低2年は要した。
ボーダーラインから出発し、ボーダーラインに沿った仕事を目指す僕には大学卒業と言うレッテルは却って邪魔だった。親には理解されなかったのが残念だった。
大学卒業に心残りが無いと言ったら嘘になる。勇んで中退した僕ではあったが、夢では何度もうなされた。其の当時、卒業試験に臨む夢を何度も見たからだ。夢でも苦戦していた。
TR大に退学届を提出した僕はすっきりした気持ちで次のアルバイトを探した。新聞広告かアルバイトニュースかですぐに見つかった。家から自転車で行ける距離が有難かった。
其の工場は玉堤通りとMK大の中間辺りにあった。僕はそこにそれから3年間余り雨の日も風の日も自転車で通う事になった。其の工場は従業員が10人にも満たない小さな工場だった。
其の工場の何に魅かれたのか。そこではゲーム機を製造していたのだ。正確に言えばゲーム機を組み立てていた。三度の飯よりゲームが好きな僕にとって其の仕事は願ったり叶ったりだった。
アルバイトなので時給は低かったが、収入にこだわりはなかった。何しろ毎日、ゲームに接していられるのが幸せだった。僕にとって仕事選びの基準は対象に興味があるかどうかか最優先だった。
体育館のような工場は意外と広かった。板敷きの広いスペースにアップライトのゲーム機が所狭しと並んでいた。同じゲーム機が2,30台も整然と並べられている様子は圧巻だった。
簡易的な面接だけで即採用が決まり次の日から仕事だった。社長が現場で陣頭指揮を取り、奥さんはパーツの電気配線仕事を担当していた。組立ての従業員は一人だけで配線作業者は殆どが近所のおばさんでパートであった。
社長は定年退職にも近い年令で、小柄で髪が縮れ頭上が薄かった。メガネを掛けた風情は何かしら研究者を思わせた。独立心が強い様子でサラリーマンをとうの昔に卒業してしまった感があった。
この社長夫婦は普段は明るいが、時たま暗い陰が其の顔を覆う時があった。何か言い知れない悩みがあったようだ。どちらも苦労人の風情を漂わせていた。二人には小・中の息子達がいた。
ただ一人の従業員は20台半ばの若い男だった。僕と殆ど年は違わないように見えた。とにかく我武者羅に働いていた。其れはまるで何かに取り付かれているようでもあった。近づくと鬼気迫るものがあった。
配線作業をするパートのおばさんに混じって老年の男性がいた。彼は作業をしながら、上手く事が運ばないと、「くそったれ」と口走るのが癖であった。周りのおばさんは其れを笑い飛ばしていた。
パートのおばさんに混じってもう一人、場違いとも思える妙齢の女性が働いていた。後で知ったのだが、社長夫人の妹だった。妹の方が断然、美人で背が高かった。こうした環境で僕の仕事は始まった。
8に続く

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夢の検証312

夢の続き

昼寝したので恐い夢を見た。ダブルブッキングしてしまった。古い家の2階でT塾に行く準備をしていると1階から呼ばれた。店からM君が来たと言うのだ。彼に英語を教える事になっていた。T塾にも行かなくてはいけない。パニックになった。2階に行って姉に代講を頼んだら激しく断られた。
幸運な事に長男がそこにいたので代講を頼むと受けてくれた。M君に紹介し引継を済ませた。2階で準備をするが誰を教えるのか全く分からなくなった。健忘症にかかったようだった。すると下で騒ぎが起こった。長男が外人達に囲まれて困っていた。間に入り彼らを追い払った。授業妨害をするつもりらしかった。
塾の準備を適当に済ませて自転車の用意をした。空気を入れて空気入れも前かごに入れて出掛けた。途中タンクローリーの前を危うく横切った。

検証312
昼寝では変な夢を見ることが多い。塾のダブルブッキングとは稀なことだ。自宅とT塾で教えるとなるとその可能性は高い。気をつけねばいけない。最近は算数ばかりで英語を教える機会は全くなくなった。少し寂しい気がする。
長男もいい年になったのでそろそろ代講が頼めそうだ。とにかく英語を教えることから始めたので英語にはこだわりがあるのだろう。
自転車がパンクしている。完全なパンクではない。空気を入れると30分ぐらいはもつ。その間に買い物を済ませるのが日常になっている。そのため空気入れは必需品だ。

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