前哨戦4

その4)
待機している時はドキドキするが、いざ積み込みとなると度胸が据わる。2tトラックにすべて一人で積み込むのは容易ではない。先ず二列に荷台の右奥から埋めて行く。
荷台は密封されていて夏場なので暑かった。天井は低く真直ぐ立つのがやっとだった。中腰の姿勢でローラーキャリーで流し込まれて来るパンラックを一段ずつ積み重ねて行く。
ラック同士は上下うまく噛み合うようになっている。それが噛み合っていないときは乱暴だが足で、そこを蹴飛ばす。すると上手く嵌るのだ。右奥を上段まで積み込むと左奥に移る。左積みは慣れないとやりにくい。
こうしてトラックの最後部までパンラックを積み込むと順番交代となる。積み終わった時はさすがに汗びっしょりだ。連続で出来る仕事ではない。待機する時間があって丁度良い。その間に汗が引く。
積み込みに習熟した者は次にパンのラック入れに回される。20メートルほどにも連なるローラーレールの上を客先毎のラックが流されて来る。その中には配送伝票が入っており、その伝票に従って受け持ちのパンを入れて行く。
一人で十種類以上のパンを受け持つので、ラックが重なって流れて来ると、時にてんてこ舞いする。ラックの流れが止まると後ろが渋滞して迷惑を掛ける。気が休まらない部署だ。
最後に回されるのが段取りと言う部署だ。そこは仕分けの最後部であり、空のパンラックをローラーレールに流す仕事だ。天井に届くほどまで高く積み上げられたラックを下しながら一枚ずつレール上に並べる。単純だが緊張する。
早い時には2時過ぎにトラック積み込み作業はすべて完了する。段取り係は余ったパンラックを再び天井高く積み上げねばならない。場所を塞がない為だ。ラックを崩さずに身長の2倍ほどの高さにまで積み上げるのは至難の業だ。
このバイトの楽しみは不良落ちしたパンを好きなだけ持ち帰れることだ。不良落ちとはパンが潰れたり、形がくずれていたりして客先に出せないものだ。僕はいい気になってビニール袋一杯、家に持ち帰ったものだ。
朝はパン食の家だったので、パン代を浮かせることが出来た。僕は生まれた時からパン好きで、米よりパンが好きなほどだった。ところが困ったことに、毎日パンを3ヶ月に亘って、食べ続けた結果パンを見るのも嫌になってしまった。
トラックへの積み込みが完了し、作業が終了しても3時になる事は少なかった。送迎バスは6時にならないと発射しないので、その間、僕らは仮眠を取った。仮眠できる大広間のような畳部屋が用意されていた。
不思議な事にそこで仮眠する従業員は殆どいなかった。みな三々五々、作業が終わるとどこかに散って行った。僕は広い部屋で一人寂しく暫しの休息を楽しんだ。
時には6時の送迎バスを待たずして夜明け前の薄明かりの中、徒歩で駅に向かう事もあった。夏の日差しが照りつける前の一時は涼しくて気持ち良かった。僕は路上の自販機でグアバジュースを飲むのが常だった。
始めて飲んだグアバジュースの味は今でも忘れられない。最近、見かけないので残念だ。グアバの粒粒が残り、ネクターに似た喉ごしのジュースは疲れ切った身体を芯から蘇えらせてくれた。グアバジュースよ、永遠なれ。
鶴川駅に着く頃には東の空が白みかけ、始発電車に乗ることができた。家に着く頃には誰もが出勤準備に追われていた。僕は朝ご飯のパンを食べると、缶ビールを飲み干し眠りに就いた。当時のアサヒはまろやかでさわやかだった。
夜間のバイトは僕の意識から夜の陰鬱さを取り去るのに役立った。丑みつ時という子供時代からの怖れの時間帯を心から拭い去り、昼夜が一体の連続した時間帯として捉えることができるようになった。
5に続く

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夢の検証310

夢の続き

会社に遅れそうなので駅までスケボーのようなもので移動していた。最寄りの地下鉄駅に着くとそこは銀座一丁目だった。ウエルネットは近くの筈だが場所が分からなかった。

検証310
スケボーは未だかつて乗ったことはない。会社に遅れそうになった事も現実では少ない。ところが深層には遅れては困ると言う強迫観念が根深いようだ。銀座一丁目は懐かしい駅だ。華やかな時代だった。

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