キリスト教の逆説

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人生の失敗9

第9回
いじめ
二つの自我の対立が嵩じると喧嘩が起こる。ただし喧嘩はほぼ力が対等な者同士の間で起こる。それに反していじめは強者の自我が弱者の自我に一方的に攻撃を加える。弱者はほぼ反撃の手段を持たない。
昔は今ほどいじめはなかったように思う。少なくとも生徒同士のいじめは見かけなかった。教師の生徒に対するいじめが主なものだった。小学校時代、担任が出席した学級会でのつるし上げは私にとって初めて経験したいじめだった。クラスの殆どが私に敵対した。
中学でも生徒同士の喧嘩や嫌がらせはあったが、いじめは教師から受けた。奈良と言う技術教師がいた。彼は暴君であった。何でも生徒を自分の言いなりにさせたかった。私は唯一彼の言いなりにならない生徒だった。
ある製図の時間に彼は教壇から逐一指図した。「一点鎖線、次に斜めに直線。そして5cmの半円を描け」小刻みに指示を出した。私はその指示に集中力が追い付いて行かず手を止めてきょろきょろしていた。それを見咎めた彼はいきなり私を叱責した。そして教壇の前に来るように命じた。そして時間中その場所で製図させた。
それから先も彼は私に目をつけ命令口調の言葉を浴びせかけた。私は彼の口調で軍隊を連想した。それは言葉による暴力に等しかった。時に腕力より言葉の暴力が心を突き刺す。その彼が担任に決まった時はさすがにショックだった。
いじめは相手の自尊心を酷く傷つける。いじめる側は気づいていないかも知れないがいじめられる側の自我は名誉を剥奪される。今まで名誉欲が積み上げた実績がすべて奪われ、名誉欲自体が崩壊する。
10に続く

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