キリスト教の啓蒙

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人生の失敗25

第25回
大学受験の失敗
高校2年までに高校の履修範囲を終えた私は急に勉強に興味を失った。勉強を一挙にやり過ぎた結果だろう。その後、今まで目を向けたことのなかった読書に没頭した。小説・エッセイ・歴史書等あらゆるジャンルを貪り読んだ。
主に新書や文庫本が多かったが多い時は一週間に一冊の割で読み進んだ。SFに開眼したのもその時期だった。図書館で借りたハミルトンのスターキングには衝撃を受けた。夜を徹して一挙に読み進んだ。
たまたま姉からクリスマスプレゼントにもらったハミルトンの時果つるところにも心を打たれた。この2冊は私をSFの虜としたきっかけだった。SFに続きミステリー・冒険もの等が後に続いた。
読書に関しては晩稲であった私には読むべき本が山のようにあった。その頃は勉強が手に付かず読書三昧の日々を送っていた。学校の成績は徐々に下がったものの数学・英語・物理だけは貯金があったので先ず先ずの成績を保った。
その状況の中で私にも受験に突入する時期が来た。受験勉強も碌にせず過去の勉強の貯金だけで大学受験を乗り切ろうとした自分が甘かった。志望校のどこにも受からず止む無くある大学の夜間に通うことにした。
基本的に夜間学校は昼間仕事をしている者たちが通う所である。私は昼間は徒然に過ごし夕方から大学に行った。そこで興味を持った授業はドイツ語だけであった。特に友達もできず寂しい時を過ごした。
結局、夜間学校では満足できず再度受験する気持ちを抱いた。ただし受験勉強は全く捗らなかった。読書も熱が入らず無為な時だけが過ぎて行った。
26回に続く

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人の扱い

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人生の失敗24

第24回
キリスト教との出会い
家では父だけがクリスチャンだったが高校時代に母も入信した。私は模型やラジオ組み立てが好きで科目も理系だったので神の存在自体を頭から否定していた。そして思春期にその傾向は一層激しくなり父親とも対立した。
幼少時代はクリスマスには父親に伴われて教会にも行き神の存在も信じていたように思う。子供はサンタクロースやお化けの存在を信じると同じように神の存在も信じるものだ。だが知識が増えるに従って神は遠い存在をなって行った。
父親は私の無神論を全く責めなかった。ただ心の内では我が子がいつしか神を信じ、キリスト教に入信する日を待ち望んでいたようだ。それはどこの親とも変わらない子に対する思いだった。
高校当初、クラスの一人と喧嘩をし情けない思いで家に帰った時、母親にこんなことを言った覚えがある。「イエス様は分かってくれるよね」何の助けもなく孤立した私の自我が屈した瞬間だった。藁にもすがりたい気持ちだったのだろう。
25回に続く

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神を愛する

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人生の失敗23

第23回
成果
自宅で勉強を進めると同時に日曜日には進学塾に通い始めた。今はなき代々木学院と言う塾だ。それは名前の通り代々木駅前にあった。全国塾の代々木ゼミナールと双璧の塾だった。規模は小さいながら丁寧な解説が魅力だった。
そこに毎日曜通いながら時に公開模擬試験を受けた。当初は全く歯が立たなかった模擬試験ではあったが勉強に集中するに従って好成績を収めるようになった。そして遂に賞状をもらい教室横の壁に名前を貼り出されるまでになった。
その時もらった厚表紙のノートは今でも持っているほど喜びは大きかった。努力が報われた瞬間だった。私の名誉欲は大いに満たされた。それは大きな自信となり、さらに勉学に励むこととなった。勉強漬けの夏もいつしか過ぎて行った。
秋が来た。休み明けに学校ではテストがあった。英数国の三教科のテストだった。そこで私は夏休みの成果を遺憾なく発揮できた。結果は数学と三教科合計で一位だった。その結果は廊下に貼り出された。皆の注目が一挙に私に集まった。
それ以降みなの見る目が変わった。いじめもその時点で消え失せたようだった。クラスメートの目だけでなく、教師の見る目も変わった。全く現金なものだ。成績が上がるといじめは消える。個人の評価が高まるといじめの対象とはなり得ないのだ。
私は人心の突然の変化に戸惑った。いじめがなくなったことでクラスメートや体育教師に対する怒りは消えた。しかし言葉によるパワハラを繰り返した体育教師に対する恨みはその後も消えることはなかった。その恨みを消せるようになったのはキリスト教との出会いだった。
24回に続く
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人生の失敗22

第22回
昇華
昇華とは満たされない欲求を他の欲求に変えて満たすことを言う。私は高校に入るとすぐ教師とクラスメートのいじめに遭ったことは前に述べた。当時、左腕を骨折していたので私は運動や趣味のギター演奏で気を紛らすことは出来なかった。
そこで音楽を聴くか本を読むか勉強をするしか残っていなかった。三つの内で一番能動的なのが勉強であった。勉強と言っても好きな勉強はゲームをするような感覚でできたのがありがたかった。
高校数学は中学までの数学と全く違う。何が違うかと言うと変数が活躍する。さらに定数でもまるで変数のようにアルファベットの文字で表されたりする。しかも最大・最小問題では場合分けが必要になる。とにかくそれはまるでクイズの世界でもある。
私は初め高校数学に溶け込めなかった。しかし他にエネルギーをぶつける対象がなかった以上高校数学に賭けるしかなかった。そして毎日長い時間、問題解法に没頭した。知らず知らずの内に高校数学のコツが掴め出した。
次から次へと問題集を買い漁って問題を解き続けた。問題集はあまり程度の高いものでない方が良い。簡単に解き進める程度のものを数多くこなした方が身に付く。偶に難問を解けばそれで良い。
とにかく我を忘れて数学に打ち込むことによって半年で数Ⅰの範囲が終わるまでに先へ進めた。学校での履修範囲は大幅にクリアし特に試験対策する必要がないまでに進捗させることができた。時間は瞬く間に過ぎ、骨折も快方に向かっていた。
23回に続く

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耐える勇気

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人生の失敗21

第21回
長男と次男への躾
長男への躾が甘くなるのはやむを得ない。親は初めての子育てで五里霧中の中を進むことになる。厳しく躾過ぎても取り返しがつかないので躾はほどほどになってしまう。従って長男は甘やかされて育つのが常である。
祖父や祖母がいるとさらに甘やかされる度合いは増す。祖父や祖母は子育てに直接の責任は感じないので度を越して甘やかすことも多い。当然、甘やかされた自我は増長する。長男の自我は往々にして抑えが効かないことが多い。
次男はその点では躾がしやすい。長男の子育てでの教訓を生かせる。たとえ次男の自我が増長しそうになっても未然にそれを抑えることが可能だ。厳しい手段を使ってでも自我の増長を押さえておけば後々都合が良い。
こうして躾の面、自我の成長の面で長男より次男の方が親にとって有利な条件が整う。一人っ子では一発勝負なので親には選択肢が限られ子育ては極端に走る危険性が増す。
22回に続く

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