潜在意識53

その53)
(イエスの神格化)
イエスを神格化して、神と同等の位置に置こうとしたのは彼の弟子たちであったのです。さらにイエスを救い主と信じたキリスト信者は、彼を神格化しようとしました。最終的にはローマカトリック教会が絶対的権威を保つために、イエスを神格化せざるを得なかったのです。イエスを神格化することで、キリスト教の基盤を揺るぎないものとしようとした意図を窺い知ることができるのです。
イエス自身は神格化されるつもりではなかったと思われます。彼は神の代弁者であり、神から裁きの権威を授かってはいましたが、神の子供という認識は崩さなかったからです。彼の心の隅々まで、意識だけでなく潜在意識の奥底まで神の考えが行き渡っていたので、実質的にも神とイエスは一体化していたと考えられます。
潜在意識さえも神の考えに満たされることは普通、あり得ないことです。イエスだからこそ、できた話なのです。潜在意識さえもが神の思いに満たされた状態を、キリスト信者は心が聖霊に満たされたと呼んでいるのです。
54に続く

その54)
(三位一体)
キリスト教では神・キリスト・聖霊を三位一体として捉えています。この中で潜在意識と深い関係があるのが聖霊です。神は全宇宙に遍く存在すると考えられています。キリストは神の権威を引き継ぎ、キリスト教国内に君臨すると捉えられています。聖霊はキリスト信者の潜在意識に深く分け入っている存在だと解釈できるのです。
これら三つの存在が役割分担しながら、人間存在を支えているというのがキリスト教の根本教義です。神の存在は偉大過ぎて、私たち人間には摑み切れません。キリストは神格化されてはいても、人間的存在として神と信者を結ぶ架け橋となっています。キリストなしに、人間は神と直接交渉することはできないとされています。
聖霊はキリスト者にとっても捉えにくい存在です。聖霊はもちろん眼には見えませんが、聖霊を受け入れた者の態度の変化により知ることは可能です。潜在意識にとっても聖霊は重要な役目を果たすので、ここでは聖霊を自我との係わりを通して明らかにしたいと思います。
聖霊はイエスの誕生と時を同じくして、脚光を浴び出した存在です。聖書によれば、聖霊がハトのようにイエスに下ったと言う記載があります。また違う箇所では、イエスの死後、集会中の信者の頭に舌のような炎が、天から下ったとの記載があります。
聖霊が目に見える存在というのは象徴的な描写としても、聖霊が下るという現象は、人間に何らかの変化をもたらしたのでしょう。潜在意識が聖霊に満たされるとは、一体どのような変化なのでしょう。
55に続く

その55)
(閑話休題)
シルバーウィークと言ってもサラリーマンではないから二日しか休めなかった。定年退職者は日割りで仕事をしなくてはいけないから5連休も取ったら収入が激減する。
飲料水自販機の社員も連休は無関係だった。町の自販機は休日でも稼動しているのが彼らの宿命になっている。品切れを起こさせないためには連休中も商品を補給せねばならない。
5連休などと言って安閑としていられるのはよほど余裕のあるサラリーマンであろう。
56に続く
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