潜在意識31

その31)
過去を清算する上で、一体どちらの思いを清算するのが困難でしょうか。楽しい思い出でしょうか、辛い思い出でしょうか。楽しい思い出と訣別するのは確かに辛いものです。楽しい思いが数多くあれば、私たちの思い出は甘い蜜のように、いつまでも私たちに心地よい香りを放ち続けます。死の瞬間を念頭に置けば、蜜はなるべく少ない方が訣別はし易いでしょう。
他方、辛い思い出との訣別は、どの様に受け止められることでしょう。安易に考えれば、辛い思い出と一切、手が切れるのは最上の喜びであるように思えます。事実、辛い思い出だけに満たされた人生を終わらせるのに、自殺を選ぶ者は後を絶ちません。
辛い思い出を死の瞬間に清算するのは、果たして最良の道でしょうか。この世を去る最後の最後まで、嫌な思い出を記憶の底に封じ込めておくのは、多大な無理があるのではないでしょうか。
「臭い物には蓋」をしておいても、臭い物の存在が消える訳ではないのです。臭い物の影響力は潜在意識を介して、意識にまで及んでいるように思われます。それならば臭い物は、完全に取り去っておいた方が後々、安心なのではないでしょうか。
32に続く

その32)
(閑話休題)
終戦70年を迎えて戦争論議が盛んだ。人間に欲望がある限り戦争は必ず起こる。もし戦争に反対し平和を唱えるなら日常の争いから改めるべきだ。個人の争いも回避できずに戦争の回避は不可能だ。
誰でも権利を侵されれば怒る。怒りを尊重すれば争いは必ず起きる。しかし怒りを暫し抑えて理性を働かせその争いでの損得を考慮した結果、争いによっては損をすると分かった。その時点で争いを止めるのが本当の勇気だ。
33に続く

その33)
(辛い過去と向き合う)
辛い過去の傷跡を潜在意識からも取り去るには、いつかは、それらに立ち向かわねばならないのです。いつまでも逃げてばかりはいられません。人生の最終過程で面と向かわねばならない相手ならば、早い内に立ち向かってケリをつけた方が良いのです。
忘れたい程の辛い過去を、直視するだけでも勇気が要ります。その過去を清算するには、途方もないエネルギーを要することも確かなのです。でも、それは避けて通れない道です。潜在意識に自由を与え、無限の可能性に向かい、羽ばたいてもらうのに辛い過去は邪魔なのです。
何も辛い過去を抹消せよと言うのではありません。それらを逆手に取って、有効活用しようと言うのです。辛い過去体験ほど、示唆に富んだ、有効な知恵の宝庫はないからです。辛い過去を有効活用できるかどうかに、あなたの将来の飛躍的発展の鍵が隠されていると言っても過言ではありません。
過去に立ち向かうには、自分の言葉で過去を描写すれば良いのです。言葉に表わすことは、自分の体験をも客観視できることにつながります。自分の体験を第三者的視点から見て、客観的に捉えることが、辛い過去を有効利用する上での第一歩なのです。記憶の底に埋もれようとしている、辛い過去を無理矢理、白日の下に引っ張り出して、自己分析してみるのです。その作業は、潜在意識に係わりを持つ体験さえも、感情を排除して論理的に、原因と結果を見定める手順を踏むものです。
過去を書き連ねるには、自分史と言う形式を採るのが手軽です。自分史を書き、辛い過去を洗い出す場合、単に行為を記述するだけではなく、その時に感じた心情までも書き表わすと良いでしょう。より具体的に記述することにより、心の隅々にわだかまっていた思いを表出することができるからです。自分史は何も他人に見せる訳ではないので、真実を包み隠さない事が肝要です。自分の心にだけは、嘘をつくべきではないのです。
34へ続く

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