潜在意識42

その42)
(思い込みと抑圧)
「こうあるべきだ」との強固な判断基準が「思い込み」として、心に設定されている者は判断基準に合わない心の動きをできるだけ抹消しようとします。そのため自分ではストレスも欲望もないように感じてはいますが、潜在意識には鬱積したシコリが残っているのです。
ストレスとなる刺激が外部から襲って来ると、心は身構えます。身構えた時に、心は緊張状態に陥ります。心が緊張状態に陥ると、潜在意識自体は外界からの刺激に対して遮断されてしまうのです。
本来、私たちは潜在意識をなるべく活性化しておきたいのです。何しろ潜在意識の能力は測り知れないからです。それを遮断しては意味がないのです。
43に続く

その43)
潜在能力をフル稼働させるには、心の緊張を取り除くことが肝要です。ストレスとなりそうな外界からの刺激に対しても、身構え、力んではいけないのです。そうするには困難に対する耐性を強めておかなければなりません。幾多の困難を体験しさえすれば、すぐに身構える心は緩和されるのです。どんな状況でも、とにかく一度は受け入れてみようとの心づもりになれるものです。
心を顕わにし、無防備状態に置ける者は、潜在意識を最大限に活用できる筈なのです。外界からの刺激が直接、潜在意識に流れ込みやすいからです。
潜在意識を無防備にできた者だけが、きっと神にも近づけたのでしょう。歴史上、イエス・キリストは神に最も近づいた一人だったと言えます。それだけ心も身体も鍛錬して、意識の枠組みを外していたのでしょう。彼の弟子たちや教えを受けた者たちは、イエスから潜在意識を顕わにする方法の手ほどきを受けた筈です。
潜在能力のもとで深い心のつながりを育んだイエスと教え子たちは、意識では認知できない魂同士のつながりがあったのでしょう。魂でつながった者同士の一方が、この世から去ったとしたら、どのようなことが起こるのでしょうか。
44に続く

その44)
恐らく残された者たちは、亡くなった者の魂をいつまでも感じ続けることでしょう。肉体が眼の前から消え去ったとしても、心の目は依然として相手の魂を実体として捉えているのです。「蘇り」のイエスを目撃したのは、彼らの心の眼が充分に開かれていた証拠であります。
私たちも身近な存在、親や祖父母、友達を亡くした時には、彼らの面影がいつまでも心に残ります。魂のつながりが強ければ強いほど、まるで今でも彼らが生きているような錯覚に捉えられるのです。恐らく夢にも何度となく登場して来ることでしょう。
「蘇り」とは朽ちる肉体が目の前に現われる現象ではないのです。それは魂の奥底で結び合わされた者同士が、召された一方の存在を魂の目で認めた現象なのです。イエスの死は余りにも鮮烈で突然だったために、彼の信奉者の魂は彼を実在に等しい形として認めたのでしょう。
 もう一つイエスの死が特徴的であったのは、その死が無私の死だったからです。それを彼の信奉者や弟子達は知っていました。つまりイエスが彼らのために死んだとの気持ちを強く抱いていたのです。その結果、イエスと彼らとの魂の奥底での結びつきはいやが上にも強固になったのです。
45に続く

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