潜在意識39

その39)
(神との一体化)
イエスは蘇りを通して、一挙に神格化されました。弟子達によって記述されたイエスの像は人間的な側面より、神としての側面が強調されていました。さらに後年、ローマがキリスト教を国教と認めるに至っては、イエスを神そのものと捉える信仰が絶対化されたのです。レオナルド・ダ・ヴィンチはローマ教皇の権威に反旗を翻したのです。そこで彼はイエスの人間的側面を示す事実を絵画の内に謎として描き込んだのです。
昔から神と一体化したり、神にまみえようと努力した人間は数多くいました。その中でほんの一握りの者だけが成功しました。アブラハム・モーセを初め、宗教歴史上に残る偉人は神を間近に見て、話す体験まで享受できたのです。
日本においても座禅を通して、一瞬なりとも自然の背後に潜む絶対者と一体となる試みがなされて来ました。精神統一をして、自然の気を感ずるというのも、神に同化し、潜在意識を呼び覚ます行為の一つです。これらすべてに共通する心理状態は意識を排除して、無意識世界で自然と一体化しようとすることであります。
意識が私たちの心を強く支配している間は、潜在意識の活動は許されてはいません。「蘇り」は意識から見れば、全く現実離れした出来事なのです。意識上では死んだ者は元へは戻らないと認識されるのが普通だからです。一旦死んだ肉体は元に戻ることはあり得ないからです。
40に続く

その40)
現実で起こり得ない事が夢では起こります。夢とは意識下の出来事が一瞬、意識上に上って来た現象であります。夢は心の奥底からの信号を私たちに伝えてくれます。夢判断が使い方によっては非常に有効なのも、夢が潜在意識の鍵を握っているからです。
夢を通して魂は苦痛の叫びを上げることがあります。日常では全く感じていないストレスや抑圧された欲望が夢に出て来ることがあります。私たちは日々、ストレスを感じたり、欲望を感じたりしていますが、意識はそれらを何とかして抑え込もうとしたり、忘れ去ろうとしたりしています。何故でしょうか。
欲望をあからさまに感じるのは恥ずべき心情であり、またストレスに余計な気を使うのは弱い心の表われだと、意識は思い込んでいるからなのです。
41に続く

その41)
(閑話休題)
スポットの仕事で駐禁対策というのがある。駐車禁止のステッカーを貼られないように車に待機しているアルバイトだ。私はある清涼飲料自販機会社のドライバーに何度か同行した。
彼は未だ25歳だった。体つきはがっちりしていた。後から知ったのだが学生時代柔道部だったそうだ。彼の考え方が古風で今の若者らしくないのが気に入っていた。
既に結婚し子供が三人いるのも驚異だった。彼は正に自分の身を粉にして働いていた。朝は5時に起き、帰りは夜の12時だった。いつ休むのだろうと気になった。
そんな過酷な状況の中でも彼は弱音を吐かず、常に前向きだった。苦労を自分から背負おうとする態度が身体から溢れていた。人の嫌がることを率先して行うタイプだった。
休みは辛うじて土日だけだった。それは家族サービスに使われていた。その彼が先日昇進した。マネージャーになった。予想していた結果だったのであまり驚きはしなかったが、嬉しかった。
42に続く

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