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自我と超自我37

その37)
(イエスの偉業)
イエス・キリストはキリスト教の祖ですが、超自我を際立たせ、自我を最小限にまで抑えたという点でも偉大です。彼がその偉業を成し遂げられたのは、ユダヤ民族が聖書の中で預言として記録してきた歴史の故です。イエスの使命は語り継がれた預言を成就するという一点に絞られていたのです。
預言を成就するためには自我の存在は邪魔だったのです。超自我と預言を同化させるのに、自我は闇に葬り去るしかなかったのです。最終的に十字架にかかり、聖書の預言を成就させるという行為も、自我との葛藤の上でなされました。そして結果的に「生きたい」という自我の声を抹殺しても、自己犠牲的な死を遂げたことで超自我を崇高な目的のために供したのです。
イエスの犠牲的死がなければ、私たちの自我が目覚めることはありませんでした。超自我に敵対して、生命活動の本源をも阻む自我を打ち砕くのは容易ではないのです。心の内で超自我は、自我により全包囲されているからです。よほどのきっかけでもない限り、自我の独裁は生涯続くのです。
ユダヤ人は極端に自我が強い民族です。さらに唯一神ヤーウェを信奉する宗教心の厚い民族でした。かつてモーセが奴隷であった彼らをエジプトから解放し、導き出した時も一定期間、ヤーウェに感謝を捧げました。ところが砂漠での生活が長引くに連れ、その信仰心を失い、生活に対する不満ばかりが噴出したのです。
「十戒」というモーセがヤーウェから授かった律法にも彼らは従わず、そのため40年も砂漠での苦難の生活を強いられました。彼らは神との契約を重んじる民族でした。律法さえ守れば生活は保障されると信じていたのです。そして律法を守り充実した日々を送った時期もあったのです。
それでもやがて律法を無視し、神に逆らう安逸な生活に走る者たちは後を絶ちませんでした。ユダヤ人の歴史はヤーウェに従ったり、逆らったりを繰り返す歴史でした。彼らが窮迫した状況では、神に従って助けを求めたにも拘らず、生活が安定すれば神を離れるという、神を自我の欲求を満たす道具として使う傾向が強かったのです。
ユダヤ人の度重なる離反に対しヤーウェの怒りは爆発し、ついに彼らはバビロンに捕えられユダヤ王国は消滅したのです。その後、祖国を追われたユダヤ人民は離散して、国を打ち立てようと努力を続けていますが、その試みは未だ完全に成就してはいません。
こうしたユダヤ人の頑なともいえる自我を打ち破ろうとの決意を込めて、イエスは二千年前に立ち上がったのです。ところが結局、彼らの自我をイエスは打ち砕けませんでした。反対に彼らの手によってイエスは十字架に掛けられたのです。
ユダヤ人民は未だにイエスに敵対心を持っています。それは彼らが熱心に遵守する律法に縛られている態度をイエスに批判されたからです。律法は「十戒」に端を発するものですが、細かい取り決めがなされています。良く知るところでは「豚肉を食べてはいけない」といった食べ物に関する取り決めがあります。
イエスは律法に自由な心を捉われているユダヤ人の杓子定規な考えを糾弾したのです。文書化された律法に自我が翻弄されては超自我の出る幕はないのです。当初、超自我を自我の独断から守るために創られた律法が時代を経た後には形骸化し、用をなしていなかった、当時の現状をイエスは指摘したのです。イエスが追い求めていたのは心の自由だったからです。
イエスはユダヤ人に救世主と待望されていたにも拘らず、彼の教えは彼らの頑なさを益々助長する結果となり、排斥されました。そこでイエスは方向転換し、ユダヤ人以外の人々、当時の表現では異邦人にその教えを広めようとしたのです。異邦人はユダヤ人よりも心の柔軟性はありました。特に権力がなく虐げられた人民や病者や精神的に病む心の弱い人々にイエスの教えは瞬く間に受け入れられました。社会的に底辺の人々は心に奢り高ぶりがない分、自我の勢力は抑えられているからです。
イエスは言葉で人を導くだけではなく、その行いによって規範を示しました。そして3年間の短い公的生活の最後には十字架刑に処せられ、犠牲的な死を遂げたのです。彼の死によって、その教えは命を得ました。何故ならイエスの死は超自我が自我に勝利した結果を意味したのです。

イエスが偉業を成し遂げられたのは歴史的な背景があったからだ。かつてのイスラエルはかつての栄光からは遠ざかり悲惨な状態であった。その様な状況で強大な指導力を持つリーダーを人民が求めるのは当然の帰結であった。ところが人民が求めていたリーダー像とイエスとは余りにもかけ離れていた。お互いの価値観が真逆だったからである。
38に続く

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