姉の差し手

姉の差し手.jpg
kuwagata.JPG
nice!(0)  コメント(0) 

自我と超自我21

その21)
(自我の攻撃性)
男子の自我も女子の自我も思春期以降、攻撃的になります。調和を好む超自我を押し除け、それは主導権を握ろうとします。思春期には男女とも身体の変化に伴い、大人への脱皮過程の中で抑え切れない心のうずきを感じるのです。どこにも発散できない強烈な思いが、自我を凶暴ならしめます。
青春の一途上において、有能な超自我さえ一時的に、心の底深く沈潜したように見えるのは仕方のないことなのです。やがて思春期が過ぎ、自我が平静さを取り戻すまで超自我はその出番を待つしかありません。
思春期途上でいかに超自我の勢力が自我によって抑制されるとはいえ、その時点までいかに超自我が順当に育成されて来たかが重要なのです。何故なら、終局的に私たちを環境に適応した生活を送らせてくれるのは、自我ではなく超自我だからです。
自我の攻撃性が高まる前に、親や社会が子供の超自我をいかに柔軟に訓育できるかが問われているのです。「鉄は熱い内に打て」と昔から言われているように、子供の欲求をできるだけ満たしながらも、我ままにはさせないという中庸な路線を選ぶ必要があります。それに対して親は鋭敏な感覚を駆使して、我が子の超自我に頻繁に探りを入れていくしかないのです。仮に超自我下から派生した欲求が頑なな自我を形成する芽を発見したら、すぐにもその芽を摘み取る事が必要なのです。
そして無理難題を要求する子供に対して、親は断固とした姿勢で臨む必要があります。今は少子化の影響で、親は子供の言いなりに近い状況があります。経済的に豊かな親は物を豊富に買い与えることで、我が子に取り入り、すべての要求に応えようとします。10歳ごろまでに甘い汁だけ吸って育てられた子供の自我は思春期に暴発する予備軍となるのです。
強過ぎる自我が形作られる過程は、男女間で多少差異があります。男子の自我は親に対しても攻撃的であるのに比して、女子の自我は深層で親に対立します。そのため女子の自我の伸長はつい見過ごされがちですが、その影響力たるや男子の比ではありません。
思春期での女子の反抗は潜伏的ではありますが、その影響は次世代にまでわたるからです。つまり自己主張する強権的自我に心を占領された女性は、母親になった時点でそれに輪をかけた程に強権を誇る自我を次世代に引き継ぐことになるのです。女性が自我を主張し出すと、一切歯止めが効かなくなります。
思春期の自我は時として融通が効きません。自分の利益だけを最優先するあまり、自分にとって不利益や不快をもたらす存在を許すことができないのです。身の回りにいる不快な存在を排除しようとする自我の思いが、「いじめ」という行動につながります。
暴走する自我にとって「いじめ」は必然の結果なのです。教室での「いじめ」を卒業したかに見える女性も母親になれば、子育てグループ内で気に入らない母親を「いじめ」の対象とします。陰湿な「いじめ」は男社会より女社会に多いようです。
男同士の「いじめ」は言葉よりも暴力によるものが多いのです。従って外部から見ても、いじめる側といじめられる側が判然と区分けされます。女同士の「いじめ」は言葉が中心なようなので、その実態がうまく把握できません。
家庭内暴力にせよ教室内での喧嘩や「いじめ」は、際立った自我同士の衝突によって引き起こされたものです。共同社会では万人の自我がすべて満たされる訳には行かないのです。幼少時に我慢することを教えられなかった自我は中学生以降、周りと衝突する宿命なのです。
ただ一つ、まだ救いはあります。荒れ狂う自我の後ろに見え隠れする超自我の残り火が、一過性の嵐にかき消されてさえいなければ、やがて訪れる輝かしい青春の一駒で、温厚な超自我は凶暴な自我をも配下に従えることができるようになります。

自己の内面からは自我と超自我の区分はある程度可能だが、親が子供に対するとき自我も超自我も一体となり区別は不可能だ。子供の心に自我が芽生えたことを知るにはその行動で判断するしかない。親は子供の悪質な自我を除去しようとして良質な超自我まで傷つける場合もあるので注意が必要だ。
自我は環境に被害を与える関係上、子供でさえ自我により行動を促される場合には罪意識を感じている。悪い行動とは分かっていても自我の要求には勝てない。従って子供の行動には人に見られたくない思いが付きまとっている。親は子供の人を憚るような行動からそれが自我からの要求である事実を知ることができる。
人は往々にして後ろめたい行動を起こすときには人目を憚ったり嘘をついて誤魔化す。自我の特徴は嘘が上手いことだ。子供が親に対して嘘を言い出したら徹底的に追及すべき時が来たと考えて差し支えない。
また自我は頑なで頑固な態度を示す。超自我が柔軟性に富むのに比して自我は融通が利かない。超自我の天真爛漫さに自我の身勝手さが絡むと始末が負えなくなる。自我は見境のない欲望に裏打ちされているからだ。
22に続く

nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。