言葉数が多い

言葉数が多い.jpg
shuchuhouka.JPG
nice!(0)  コメント(0) 

自我と超自我33

その33)
(罪と犯罪)
「罪」とは悪の行為となって表われる以前の心の内部での良心と自我との葛藤に端を発し、そして多くは言葉を通じて不愉快な相手を攻撃する「過ち」の段階までを指します。「犯罪」とは心に湧き起こった罪が行為となって、他人に迷惑が及ぶ段階にまで達した状態です。犯罪とは通常、法律で規定された事柄なので相手に迷惑が掛からずとも罰せられる事も有り得るのです。
スピード違反は法定速度をどの程度、オーバーしたかで罰則が課せられます。スピードオーバーしたからと言って、即、他人に危害が及ぶ訳ではないのです。「もしかしたらスピードオーバーが事故の原因となり、他人に迷惑が及ぶかも知れない」と言った安全重視の建前を元に、警察官は取り締まりに励むのです。その意味では直接、迷惑となる駐車違反と「仮定」で処罰されるスピード違反とでは全く趣を異にするものです。
犯罪には法律により厳重な罰が課せられていて罪を償うことになります。一方、犯罪にまでは至らない私たちの「過ち」は当事者である相手との間で決着をつけるしかありません。犯罪には至らないまでも、相手に暴言を吐いた時は当人が相手に謝罪し、相手が納得すればその暴言を許してもらえることもあるのです。
私たちは社会生活上、常に人との係わりの中で生きています。心の内だけで留まっていた悪い思いも、それが口をついて暴言となったり、手足を介して暴力となったりすれば犯罪にもなりかねません。私たち人間は本来、必ず過ちを犯す存在である以上、相手との関係で許す、許されるという気持の触れ合いは当然避けて通れないものです。

嘘は泥棒の始まりとは昔から言われていることだが、犯罪には必ず嘘が付きまとっている。人間は嘘で出来ていると言っても過言ではない。誰でも二面性を持っていること自体が嘘の始まりである。衣服で身を隠したり化粧をすることも嘘の一つと言える。誰もが自己の内面を他人に見られたら恥ずかしくていたたまれないだろう。人の内面は恐ろしく陰険だ。
34に続く

nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。