自己を見つめる

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自我と超自我31

その31)
(自己主張)
私たち人間は誰しも過ちや失敗を犯すものです。それ自体は避け難いことです。問題なのは、犯した過ちに気付かず、しかもそれを改める心の柔軟性を失っていることです。いかに自然と直結した超自我さえも過ちを犯します。自己の欲求を満たすには、周りと衝突するのは必然だからです。
幼児は周りとの衝突や親からの訓育を受けながら、周りの世界と調和して生きる術を学ぶのです。生来素直である超自我は世渡りをする上で間違いを犯せば、即刻、改めます。強烈な自我を持たない動物たちが、生活する上で必要以上の衝突は避け、調和の内に生きて行けるのは彼らも誤まりを学ぶ知能を備えているからです。
人間は幼児期でさえも動物より学習能力は優れています。さらに動物と一線を画すのは、記憶力を基盤とした自我の発達です。幼児に自我が芽生えると周りの世界との対立はその激しさを増します。何故なら超自我は調和を好むのに対して、自我は独善を好むからです。
幼児でさえも身を守るために自己の正しさを主張します。友だちと玩具の取り合いをしても自分が悪いと認める子は稀です。必ず「誰それちゃんが悪い」と言って、相手を責めます。人間とは自我の発育とともに保身に走る傾向があります。たとえ間違いを犯したとしても徐々に自分の非は認めなくなるのです。何故でしょうか。
それは自分を正しいとする基盤を失えば、自我の立脚点自体が消滅するからです。自我とは「自分こそが正しい」と主張する脆弱な基盤の上に打ち立てられた経緯を知っておくべきでしょう。過ちを最小限に留めておくには不可欠の知識です。

自己主張とは自我を守るための最大の武器である。自己の独善を攻撃される前にその正当性を主張することで結果的に自己を防御している。自己の犯した過ちが気づかれる前に自己を飾り立てる者に対しては充分警戒すべきである。
32に続く
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