離れる

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自我と超自我25

その25)
(いじめからの脱出)
いじめの構図が確定する前に、その破滅的な状況から抜け出す手段はあるのでしょうか。
いじめの萌芽は小さなものです。それが太い根を張るまでに伸長させなければ良いのです。いじめる側の非は当然ですが、いじめられる側にも対応の余地は残されているでしょう。
いじめはリーダー格ともいえる一人の不心得者が、野放しにされた自我の欲求を場当たり的に満足させようとする試みから始まります。きっかけは暴力より言葉が先でしょう。その挑発に対し標的となった者が、どう対応するかが第一の分かれ道となります。
驕り高ぶった自我に対し、同程度に驕り高ぶった自我が対抗したら一体どうなるかは想像に難くありません。凶暴な自我が他方の自我を潰しにかかります。言葉で潰せなければきっと暴力にも発展することでしょう。いじめられる側の自我も決して従順ではないのです。逆にいじめられる側の自我はいじめる側と同等以上に強烈であることが多いのです。それでは何故いじめられるのでしょう。
いじめられる側の自我は強烈であるにも拘らず、実力が伴わない場合が多いのです。ある集団の中で体力的にも知的にも問題解決力においても劣勢で、しかも仲間の足かせになるのにプライドだけは高く、確固とした自我に裏打ちされた個性の持ち主が標的とされます。
いじめる側が目障りに思うのは、現実対処能力が低いのに一人前の口をきくという態度そのものです。従っていじめの標的にされないためには、所属する集団の中で一目置かれる現実対処能力を身につければ良いのです。学校社会で言えば、現実対処能力とは運動能力や遊びを提供する力、学業で良い成績を修める力を意味します。また社会においては仕事を完遂し、さらに創造する能力を指します。
現実対処能力の一つでも確実に自分のものにしさえすれば、あなたに対する衆目の見方は歴然と変化します。あなたの能力が一つでも評価された途端、いじめは跡形もなく消え去るものです。
いじめから逃れるもう一つの道は、あなたの自我を抑え超自我で心を満たすことです。いじめとは二つの同程度の自我同士の衝突から端を発します。相手の自我を変えることはできずとも、あなたの自我を多少なりとも抑えることはできる筈です。自我を抑えるとは相手からの攻撃に対して、怒りをもって対応したり、恨みを根深く心の内に留めないことです。
相手に対して怒りや恨みを抱くと、それは必然的にあなたの心から集団内の他のメンバーにも波及します。中でも恨みは永続的なので、あなたの心が一旦一人の相手に対して敵対すれば、その者を取り巻く仲間に対しても恨みのパルスは放射されることになります。リーダー格の者が集団内で権威を握っていればいる程、あなたは大多数を敵に回す結果となるのです。
たとえ嫌がらせをされても、自我の怒りに任せたり、恨みを募らせてはいけないのです。あなたの超自我はどんな攻撃を前にしても、調和と平和を求めています。一人の不心得者からの先制パンチは、スウェイバックでもして上手くかわせるように、固着した自我を柔軟にしておきたいものです。

超自我は内向的だが自我は外向的だ。自我は目立つ傾向にある。目立った自我は他の自我に攻撃を受けやすい。いじめを回避するには自我を目立たなくすれば良い。
目立つ自我は周りの眼に対し鈍感だ。自己の行為が他人に被害を与えている状況を把握できない。笑いも度が過ぎると攻撃の対象になる。何故なら笑いとは自我が優越感に浸っている状況そのものだからである。
26に続く

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