親はなくとも子は育つ

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自我と超自我35

その35)
(悪い思い)
犯罪や人との諍いにまで発展せずとも、私たちの心は時として犯罪予備軍に占拠されることがあります。怒りに駆られ、一瞬でも「殺してやりたい」とか「傷つけてやりたい」と思うこと自体が、自我に巣食う犯罪予備軍のなせる仕業なのです。その思いは飽くまでも軽い意味で「罪」と呼ばれるものです。
平和と調和を好む超自我が罪に染まることはありません。罪に染まるのは自我なのです。超自我を押しのけて、罪に染まった自我がその勢力を増し独り歩きし出すと、心の内だけに留まっていた悪い思いも、やがて行為となって表面に現われます。心の内の悪は先ず不平不満を心に充満させ、顔の表情を曇らせます。ただし表情は曲者なので、心の内とは裏腹に晴れやかな表情を作ることができるので、人間は要注意なのです。
自我が醸成した、心に巣食う悪感情である罪は決して消滅することはありません。私たちが生きている限り、それは決して消え去ることはないのです。周囲には自分に不快感をもたらす人間はいくらでもいます。そうした人間を見たり、言葉を交わしたりする度に、私たちの心は乱されるのです。そして時として不快感をもたらす人間に対し嫌悪感を抱きます。

誰もが不愉快な対象は見たくない。その純粋な気持ちを阻止するのが同情と呼ばれる感情だ。同情は自分が相手より優位に立っていることが確実な場合に発生する感情である。
36に続く

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