ボーダーラインワーク1

その1)
大学時代のアルバイトは3、4種類に限られる。一番長い期間勤めたのがゲーム場の係員である。東京ドームが出来る前に後楽園球場一階にあった‘ロコモティブ‘と言うゲーム場だった。
何故そこを選んだか。第一にゲームが好きだったので、いつもゲームに接していられるアルバイトにひかれた。第二に大学が隣り駅で近かった。第三にそのゲーム場に馴染みがあった。
何故馴染みがあったかと言えば、浪人時代に後楽園近くの中央大学二部に通っていたからだ。駅から大学への道すがらゲーム場へは度々立ち寄った。職場の雰囲気は事前に知ることが出来た。
希望の大学にすべて落ち、予備校に通うのも気が進まなかった僕は大学の夜間に通う無理を親に聞いてもらった。基本的に夜間は勤労学生が通う場所なので、昼間何もせずに過ごしていた僕には場違いに思えた。教室でも浮いていた。
そこで大学への行き帰りに‘ロコモティブ‘で気を紛らわせた。大学の夜間は永続きせず、一年で辞める結果となり、再び大学受験に挑戦し、何とかボーダーラインの大学に滑り込んだ。
初めは希望に満ちて大学生活を始めたが、5月病にかかり授業欠席が多くなった。そこで大学以外に打ち込める新地を求めて‘ロコモティブ‘に面接に行った。幸運にもすんなりアルバイトの道が開けた。
そこでの仕事は楽しかった。いつも好きなゲームに接していられるのが嬉しくて仕方なかった。ところが人間関係と言う脅威がジワジワと追い迫って来ていた。Tという年配従業員の脅威だった。
僕はいつからかTに目の敵にされていた。様々な小言を言われ、嫌な仕事を回された。彼の態度が許せなかったのは不公平なことだった。僕より一学年上の東大生のバイトには何も言わなかったのだ。
東大生が暇な時間にゲームをしていても見て見ぬふりをしていたTだが、僕が合間を縫ってゲームをするとすかさず、「忙しいから遊びは止めろ」と怒鳴った。そして掃除道具を渡されるのが落ちだった。
職場では仕事のきつさより人間関係の煩わしさを知った最初の体験だったが、とある経緯から後楽園球場を去る羽目になった。それはTに劣らず意地の悪いIに関係した出来事だった。
球場下はアルバイトが余って来たので、ある日、所長が僕に声を掛けた。「A君、悪いがI君がいる新宿のボーリング場へ手伝いに行ってくれないか」それは依頼だが命令だった。恐らくIが図ったのだろう。
僕は最初、Iと二人になるのがこわかった。伝助のように口の周りに髭を生やしていたし、何と言ってもボクサー崩れだったからだ。二回戦ボーイで続かず、ゲーム場の従業員に回されたと聞いていた。しかも喧嘩早かった。
僕は彼と二人でいると何を話して良いか分からず、黙っているだけだった。彼が見掛けより善人だと知ったのは、新宿駅構内の立ち食い蕎麦屋で天ぷら蕎麦を奢ってもらってからだった。
2に続く

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