逆転 最終回

最終回)
「わしら人間は自然に何ら与えることはできんのじゃ。自然からエネルギーを奪うことしかできんのじゃ。しかも天の恵みを日々、受けておる人間には不満が絶えず、感謝の念もない。神がお怒りになるのも当然じゃろが。それを罪と呼ぶ」
「え、自然や神に対して罪なんて変じゃないですか」
「変なものか。おぬしが誰かから借金をして返さなかったら罪じゃろが。おぬしは自然から命を受けた上に必要な空気・水・食料を無償で受けておるんじゃぞ。しかもその送り手に借りを返さないばかりか、感謝もせんでは罪に当たるも当然じゃろが」仙人の怒りはここに来て最高潮に達した。
「はあ、ごもっともです。恐れ入りました」K氏は平身低頭し謝るしかなかった。
「おぬしの社長は罪の権化と言っても良い。人から奪うことしか考えておらんからじゃ。客からは儲けを奪い、部下からは労働力を奪っておる。客には見返りに商品を渡し、部下には給料を支払ってはいるものの、減点主義の彼はいつでもより多く奪う機会を狙っているんじゃ。客には少しでも高く商品を売ろうとし、部下の給料は失敗があれば下げようとする。彼は単に私腹を肥やすことしか考えてはおらん。そんな会社にいたらおぬしは早晩、身の破滅を招くじゃろう」
「かと言って今すぐ辞める決心はつかないのですが」K氏は今の会社が何よりだった。
「そうであれば今の会社で耐え忍ぶしかないじゃろう。やがてそのワンマン社長もS常務も目を覚まされる時が来る筈じゃ。その時までおぬし、耐え抜く自信はあるか」久利仙人はK氏に鋭い突き刺すような視線を投げ掛けた。
「はい、生活のためであれば、現状を耐え忍ぶつもりです。でも少なくとも私だけは彼らと同じ轍は踏みたくはないのですが、どうすれば宜しいでしょうか」
「それには時たまわしに会いに来ることじゃな。そして昼間でもわしの事を思い出してほしい。着の身着のまま必要最低限の食事でも満足し、自然の恵みに感謝できる人間がこの世に実在する事を知っていてほしいのじゃ」それだけ言うと久利仙人は霞のように消えていった。
同時にK氏は眠りから覚めた。頭はすっきりし、心臓は規則正しい鼓動を続けていた。先ず彼は夢で平安が得られ、新しい一日を迎えられたことに感謝した。そしてベランダのガラス戸を開け、燦燦と降り注ぐ太陽の光にその膚を晒し、冷気を含んだ空気を胸一杯吸い込んだ。身体から脳から全身が神の息吹に満たされたことに新鮮な喜びを覚えた。生まれて初めての経験だった。彼は心から今ある命に感謝を捧げた。
自然の霊と一体化した瞬間、K氏からすべての不安は掻き消え、自然に対し恩返ししようという意欲だけが心に息づいていた。

後日談)
それから3年経った歳の暮れ、その会社は潰れた。
潰れる前に常務は新任の総務部長と結託して会社を飛び出していた。その際、主力商品テンピュールの販売権を持ち逃げした。従って残された社長は主力商品がないままに彼の追従者と共に懲りもせず新会社を起こした。
もちろんK氏は常務とも社長とも別の道を行った。長年の呪縛からやっと解放されたのだった。慌しい年の瀬に就活した結果、運よく外資系メーカーの業務ポストを手に入れ、年明けからの仕事が決まった。

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啓示1

その1)
Hは裏山に登るのが好きだった。家の裏庭から続く小道に沿って、緩やかな勾配が頂上までつながっていた。日が西に傾きかける午後遅く、裏山に登ると中腹の開けた空き地から遠い連山に沈む夕陽を見ることができた。Hは夕陽に神の霊が宿ると考えていた。
夕陽を見ながら彼は今日一日、無事で過ごせたことを感謝した。そして必ず今、自分が社会の為に何ができるかを問うのであった。
神の答えは明白だった。「世に福音を伝えよ」と言うものだった。
神は有史以来、其の姿を人類に示し、偉大な力で其の民を導いて来た。地域によっては多神教として現われ、また唯一神として現われた。いずれにせよ古代、人類は神に畏怖の念を抱いていた。
近代科学は神の存在を否定した。雷・台風・地震等の自然現象は科学的に説明され、其処に神の介在を否定した。人間そのものの生命さえも人間が取り仕切るほどまでも近代医学は其の実力を高めた。
Hは夕陽を見ながら呟くように祈りを唱えた。彼は最近やっと心の奥から神の応答を聞くことができるようになっていたのだ。
「宗教が受け入れられない今の時代に一体、どうやって福音を知らせれば良いのでしょうか」
「聖書を主体としてキリストに倣って宣べ伝えれば宜しい」神は断定した。
「それでも聖書は日本人には馴染みが薄く、キリストの名を知ってる人は殆どいないのです」
「それだったらHよ、おぬしが時代に合った方法を考案するが良い」神の答えは簡単だった。
「簡単に見つからないので、こうして相談しているのです」
「もう少し苦しまなくてはいかん。独創は苦しみの中からしか出て来んのだよ」
「はあ、そう言われますと未だ苦しみ方が足りないのかも知れません」
「皆に平等に与えられておる24時間をいかに有効に使うかが問題じゃよ」
「私としては有効に使っているつもりなのですが、未だ不足でしょうか」
「そうさな、のんびり身体を休めている時間が、ちと長過ぎるようじゃな。わしなどは眠る暇がないほど、考え続け、動き続けておるんじゃよ」
「それは神様がすべてを統制しておられますから、お忙しいのは充分、分かります。私も身体と心を壊さない程度には努力しているつもりなのです」
「おぬしが精一杯、努力しておるということならば近々、必ず成果は出て来る筈じゃ」
「今の時代あなたは無視され通しで悔しくはないのですか」
「わしはするだけの事はして来たつもりじゃ。イスラエルを中心として古来、幾多の預言者を世に送り、わしの力を顕示して来た。2000年前にはイエスを世に送り、人類をわしに立ち帰らせるきっかけも作ったのじゃ。それでもわしに目を向ける人類は一握りじゃった。わしは人類に過度の期待は寄せておらんのじゃよ」
2に続く
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逆転6

その6)
「久利仙人はすっとここに住んでおられるのですか」
「そうじゃ、この奥にほこらがあり、そこで雨風を凌いでおる」
「山を下り、町へ行くことはないのですか」
「町は誘惑が多くていかん。必要な食料さえあれば山の上での生活が快適なんじゃよ」
「私にはとてもできそうもない生活ですね」
「まあ、これも慣れじゃよ。わしのことはどうでも宜しい。ところでおぬしは何か悩みを抱えておりそうじゃの」
「その通りです。悲しい宮仕えに弱り果てております」
「おぬしが会社で大変な思いをしているのはわしも知っておる。何しろわしには人の心の底を見通す透視能力もあるのでな」
「はあ、それなら話しは早いですね。私の悩みを解決する方法はありますか」K氏は単刀直入に解答を求めた。
「おぬしも気が早いのう。解決方法を話す前にその原因を探らねばならん」
「原因と言われても私は毎日毎日、いかに社長に失敗を指摘されずに過ごすかに汲々としてますので、深く考えたことなどありません」
「それでは教えよう。おぬしの悩みの原因はその会社であり、会社を支配しておるワンマン社長なんじゃよ。おぬしが悩みから完全に解法されるには、その会社を去るしかないじゃろな」
「そんなこと言われても困ります。子供は小さいですし、生活費もかかります。この会社を辞めたら経済的基盤を失うことになるのです」
「健康に毎日を過ごしさえすれば経済は自然とついて来るものじゃ。金の心配をしていたら、いつまで経っても魂の平安は得られんよ」久利仙人は冷たく突き放した。
「久利仙人様、他に手立てはないのですか」
「いきなり、わしに丁寧な呼びかけとしても解決策が見つかるわけでもないのじゃよ。自然には天地開闢の初めから厳然とした理がある。『天地は与え、人は奪う』というものじゃ」
「はあ、そう言われても全くピンと来ませんねえ。まして私が会社を辞めなくちゃいけない理由とは全く結び付きませんねえ」K氏は首を捻り過ぎて筋を違えそうになった。
「まあ、そう先走るな。これから少しずつ説明する。天地の中心は太陽じゃ。太陽は神そのものと言っても良い。無尽蔵にエネルギーを放出する源だからじゃ。太陽がなければ凡ての生命活動は成り立たない。それは分かるな」仙人は確認した。
「はい、それぐらいは分かります」K氏は胸を張った。
「それが分かれば99%分かったと同然じゃ。地上の気象現象や生命活動はすべて太陽のエネルギーが取り仕切っている。太陽こそは自分の身をすり減らして周りの世界に恩恵だけを施しておる。無償で与える姿勢が神であり愛であるんじゃ」
「すると太陽は愛の塊ってことになりますね」
「そうだ。太陽が発する愛が育んだ自然の恵みを日々、受けているわしらは一体、自然に対して何を返しておるんじゃ。空気を作る森林を伐採し、空気そのものも汚し、体内に水分を供給する川の水を汚しておる。まるで恩を仇で返すようなものじゃ」久利仙人は怒りでその声は雷のように辺りに轟いた。
「そう言われればその通りです」K氏は否定しようがなかった。
最終回へ続く

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逆転5

その5)
社長室に入ると社長と常務が待ち構えていた。
「君、今日の輸入会議のざまは何だね。全く商品説明ができていなかったじゃないか」S常務は開口一番、K氏を追及した。
「はい、申し訳ありません。Cさんに関係資料をすべて預けてありましたので、私の説明が行き届きませんでした」K氏は頭を深くたれた。
「資料がなくとも上司として新商品情報は充分、把握しておくべきだよ。そもそもCが輸入会議に休むとは何事かね。無責任極まりない。上司である君がしっかりしてないからじゃないのかね」S常務は畳み掛けるよにまくし立てた。社長は隣りで黙ってうなずいていた。
「はい、Cさんのことも私の不徳の致す所です。先ほどI人事部長に連絡を取ってもらったところ、具合が悪く寝込んでいるとの事でした」
「彼女は嘘を言ってるかも知れないでしょ」この時、初めて疑い深い社長が口を挟んだ。
「そうだよK課長、彼女はきっと嘘をついている筈だよ」S常務はすかさず社長に同調した。
「ええ、でもCさんに限って嘘をつくようなことはないと思いますが」と言い掛けたK氏の言葉をS常務は遮った。
「社長が嘘だとおっしゃってるのだ。それを君は否定するのかね」
「いえ、そういう訳ではありません」
「とにかくCは明日も休めばクビだ」社長は結論を下した。
K氏はすぐにでも帰りたくなった。今日は残業をする気は全くなかった。
久々に定時て上がったK氏は明日また社長に何を言われるか分からないと知りつつ、家路を急いだ。早く帰って今晩は早く寝たかった。彼は昨夜、夢で出会った仙人のような預言者にどうしてもまた会いたかったのだ。K氏は彼に再び会えると確信していた。
今日は父親が早く帰って来たので息子は大喜びだった。ところがK氏は息子の相手をする気にはなれなかった。K氏は今でも脳の血管が破れそうに脈打っていたし、心臓の鼓動も普通ではなかった。
食欲のない腹を無理に満たすようにお茶漬けをかき込むとすぐに寝室へと向かった。足に纏わりつく息子の手を無理にほどくようにして寝室の扉を閉めた。泣き叫ぶ息子をなだめすかす母親の声が向うから聞こえた。
「パパは仕事でお疲れなのよ。Hちゃんは良い子にしましょうね」妻の諦め切ったような声であった。
寝就かれないままにK氏は何度も寝返りを打った。今日一日の会社での出来事やC嬢が明日も休みかも知れないという不安が心をよぎる内に、いつしか深い眠りに落ちて行った。
険しい岩肌を登り切り、平らな岩棚に着くと正面に預言者は立っていた。
「よくぞ来られた。どうされた」預言者は節くれだった逞しい右手を差し出した。K氏はその手に縋りつくように両の手でしっかり握った。その感触はリアルだった。
「あ、再び会えて良かったです」
「おぬしが強く望みさえすれば、わしはこの岩棚の上にいつでもおる」
「夢では望んでいる人に会えるのは稀ですからね。心配してたのです」
「わしは望む者の夢には必ず出現できる力を備えておるから心配はいらん」預言者は偉ぶるでもなく、ごく自然な様子で答えた。
「お名前を未だ伺ってなかったのですが、何とお呼びすれば宜しいでしょうか」
「わしは久米仙人の遠い遠い弟子で久利仙人と呼ばれておる」
「預言者ではなく、仙人なのですね」
「中近東では神の意志を取り次ぐ者を預言者というが、中国や日本ではそれを仙人と呼ぶんじゃ」
6に続く

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逆転4

その4)
預言者からの返事が聞けないまま、K氏は夢から目覚めた。夢が余りにもリアルだったために、彼はもう一度寝たら預言者からアドバイスが聞けそうな気がした。でも今から寝ては会社に遅刻する。社長から何を言われるか分からないと思うと不安になり、彼は身支度を始めた。立ち上がると眩暈は完全には収まっていなかった。
「あなた、起きられる。会社、お休みにした方が宜しいんじゃない。無理しない方が良いわよ」
「いや。今日は輸入会議があるから休む訳にはいかんよ。休んだら何を言われるか分かったもんじゃない。休んだ時に鍵って問題が起こるんだ」
「じゃ無理しないでね。行ってらっしゃい」妻はもうそれ以上、言わなかった。
「行って来るよ。今日も遅くなると思う」K氏はふらふらする足取りで家を出た。
満員電車に揺られると途中で気分が悪くなり、一度トイレに駆け込んだ。そんな事もあり会社へは滑り込むようにして入って行った。
部屋に入ると机の上にメモが置いてあった。
{Cさんは風邪のため、休むそうです}
K氏は唖然とした。彼女は三日、来ていなかった。輸入担当の彼女がいなければ資料もできない。彼は目の前が暗くなりかけた。その時、朝礼が始まった。
ワンマン社長の挨拶から始まってS常務の業務連絡と続いた。K氏の順番となり、輸入会議の件とC嬢欠勤の件を連絡した。その途端、社長が口を開いた。
「Sさんは今日で三日も休んでるんじゃないか。どうなってるのかね。君の管理不行届きじゃないかね」
「はい、私も先ほど電話のメモを見ただけですので後ほどすぐに確認致します」K氏はそう返事をしたものの、昨日に引き続きまた一つの減点対象が増えたと感じた。その瞬間、再び眩暈を感じたのだった。
C嬢は勤め始めてから未だ1ヶ月ほどしか経っていなかった。輸入担当として入社した彼女は先月一度目の輸入会議に出席し、今回二度目の輸入会議に出席する予定であった。その日に休むとは余り良い兆候ではなかった。
彼女は海外留学経験もあり、語学を得意としていたのでK氏は期待していた。彼女に輸入を任せられれば彼の際限のない残業は減ると思われたからだ。ただ語学堪能者だからと言って輸入ができる訳ではなかった。彼女は語学屋であって実務者ではなかったのだ。K氏は見通しの甘さを悔いた。
午後からの輸入会議にはK氏自らが資料を作成した上に新規輸入商品の説明も彼が行なった。C嬢に任せっ切りで良く把握していなかった盲点を突かれて、S常務や各営業マンから矢継ぎ早やの質問を浴びせられてK氏はしどろもどろした。
長い輸入会議が終わった夕方にはK氏はグッタリしてしまった。昼食も気分がすぐれずに日本蕎麦を食べただけだった。それも半分残した有様だった。帰る頃になって空腹を覚えたものの同時に気持ち悪くもあり、何も口に入れられなかった。
「K課長、ちょっと社長室まで来たまえ」ボーとした頭で書類整理をしていたK氏の背後からS常務の怒気を帯びた声がした。
「はい、ただいま伺います」K氏は答えながら心臓が圧迫されるのを感じた。
5に続く

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逆転3

その3)
「あなた様の力であの社長を変えることはできませんか」K氏は一縷の望みを託した。
「あそこまで利己的になると、わしの手にも負えん。最後は神の裁きに委ねねばならん」
「早く裁かれれば良いですね。そうすれば私も安心です」
「そう喜ぶのはちと早い。あぬしも今のままだとあやつと全く同じ運命を辿ることになるのじゃ」
「え、何でですか。私は彼ほど悪いことはしてませんよ」彼は大いに不満だった。
「では聞くが、おぬしは今まで神に感謝したことはあるか。それ以前に神の存在を認めているか」
「いいえ、私は無神論者なので神のことなど考えたこともありませんよ」
「それがそもそもの間違いじゃ。おぬしの命を授けてくれた神を知らずして、どうして生活ができるのじゃ」
「別に神を知らずとも日は昇り日は沈み、一日は過ぎて行くじゃないですか。食べ物も豊富だし、生活も寝る家も確保されてますからねえ。それに健康だってこのように…」と言い掛けたK氏は口ごもった。彼は夕食中に眩暈を起こしたことを急に思い出したのだった。
「おぬしの健康が保たれているのは誰のお陰だと考えておるんじゃ。その答え次第では、おぬしは明日、目覚めるかどうかは保証せぬぞ」
「え、何をおっしゃるんですか。一晩寝れば明日は健康になるのでしょう」彼は心に不安を覚えた」
「それは正しく神が決めることじゃ。おぬしに命を与え、寿命さえも取り仕切っているのは神だと認めるか」耳をつんざく預言者の声が岩肌に木魂した。
「認めないとどうなるのですか」恐る恐るK氏は尋ねた。
「おぬしは死ぬ」厳粛な答えだった。
「分かりましたよ。それでしたら認めます。認めたらそれ以外にどんなメリットがあるのですか」彼は神の存在を認めると急に気持ちが晴れ晴れとして来た。
「おぬしも転んでも只では起きない男じゃのう」預言者は半ばあきれ、半ば感心していた。
「神を認めることが知恵の始まりなんじゃ。そこが出発点じゃ。さすれば今まで閉ざされていた世界が見えて来るんじゃ」
「閉ざされた世界がどこにあるんですか」
「おぬしの心の中にある世界じゃよ。自我に覆われて隠されていた潜在意識の世界が身近なものとなるんじゃ」
「潜在意識の世界を知ったからってどうってことないでしょう」K氏はそこまで考えが及ばなかった。
「潜在意識の中にこそ神の霊が宿っておるんじゃ。神の絶大なる力を秘めた潜在能力と解放する鍵が潜在意識の中に隠されているんじゃよ」
「では私にも奇跡が起こせるってわけですか」
「おぬしが神の力を信じさえすれば奇跡でも何でも起こせるんじゃ。その身と心を神に委ねた人間ほど力強い存在はこの世にないからじゃ。動物にはない信じる力を神から託されたのは人間以外にいないからのう」
「私も是非、その力を授かりたいものです」K氏は必死に懇願した。
4に続く

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逆転2

その2)
社員は誰もが戦々恐々としていた。失敗だけは起こさないように無難に仕事をこなしていた。大きなミスを犯さないように誰もが目立たず保身に走っていた。
K氏は偶々運が悪かったのだった。カタログの価格ミスも一部、社長にも原因があった。社長は自分のミスを隠す為その責任をうまく責任者のK氏に転嫁した。また輸入品の欠品騒ぎもK氏だけの責任に帰するものではなかった。資金繰りが厳しい折、仕入れを絞った矢先、急に販売が伸びたことが原因だった。
K氏は真の原因を上層部に訴えることはできなかった。そんな事をすればそれこそ自分の地位が危ういことを知っていたからだ。だから彼は上層部の決定に従い減給を甘んじて受けたのだった。
K氏は暗い寝室で目を閉じ、この一週間の出来事を反芻している内にいつしか眠りに就いた。そして夢を見た。
彼は今、正に峻厳な岩肌を登り詰めていた。息は上がり心臓が張り裂けそうだが止まって休む場所もない。眼下は雲に覆われて下界は全く見通せない。両足で踏ん張り力なく両手を突出した岩棚にかけ、最後の力を振り絞って身を引き上げると前方に開けた岩盤が現出した。
彼は安堵の吐息を洩らし岩盤の上にその身を横たえると間近で咳払いが聞こえた。
「誰かいらっしゃるのですか」彼は脅威を感じ、知らずに丁寧な口調となっていた。
「ほう、わしの領分に何しに来た」まるで雷を声にしたような響きが木魂した。
「あなたは神様ですか」K氏は恐る恐る聞いた。
「いや、わしは神ではない」その老人の顔は一面、白い髭に覆われ眼だけが異様に光っていた。
「それでは閻魔大王ですか」
「閻魔大王がこんな山の上にいるものか」
「では神様に近い預言者ですか」
「まあ、そのようなものだ。用は何だ」
「はい、取り立てて用があった訳ではないのです。会社での苦しい思いを断ち切ろうと山を登り続けている内にここに着いたのです」
「ここまで来た者にはさらなる試練が待ち受けているんじゃ」
「え、会社で責められ、岩山を登って来た上に未だ試練を受けろとおっしゃるのですか」K氏は多少、不満を洩らし始めた。
「何を甘いことを言っておるんじゃ。今までの苦しみなど何ら試練に当たらぬわ」足下で鳴り響く雷鳴の音も掻き消されるほどの声だった。
「何で私だけがこんな苦しみに会わなくてはいけないのですか」
「わっはっは、おぬし、考えが甘いわ。おぬしの苦しみなど物の数ではないわ」
「そんなものですかねえ」
「そもそも、おぬしは人生について思い違いをしておるようじゃな」
「人生は楽しく過ごせれば良いんではないですか」K氏の答えは単純だった。
「そんな考えじゃ、おぬしの会社のS社長と違わぬじゃないか」
「社長をご存知ですか」
「わしの知らぬものはない。とりわけ、あやつは自分の懐を肥やすことしか考えておらん。社員の幸せを考えるでもなく、社会に貢献するというのは見せかけに過ぎず、私腹を肥やすことだけに血道を上げておる。全く人の道に悖っておる」怒りに燃えた声が響きわたった。
3に続く

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逆転1

その1)
K氏はその日も慢性的な残業をこなし、家に戻ると遅い夕食を取っていた。3歳になる子供はもう既に寝ていた。普段、彼は子供の寝顔しか見たことはなかった。
妻は子供と食事を済ませていたのでテーブルの上にはK氏の食事だけが並べられていた。残業して腹が減り過ぎていたせいか彼は余り食欲を感じなかった。それでも無理に箸を運び天麩羅のイカを口に入れた瞬間、強烈な油の臭いが鼻をついた。変に思いながらもそのままかみ続けていると胸にむかつきを覚えた。ほぼ同時に目の前が揺れていた。思わず上を見ると天井が回り始めた。
咄嗟に身の危険を感じたK氏は食べるのを止め、絨毯の上にうつぶした。眼をつぶっても頭の中が回転しているのを感じていた。異変に気づいた妻がすぐに駆け寄って来た。
「あなた、どうされたの、大丈夫」
「うーん、ちょっと眩暈がして気持ちが悪いんだ」
「仕事にお疲れなんじゃないですか」
「そうだね、今晩はもう寝るとするよ」
K氏は立ちあがって寝室へ行こうとした途端、再び吐き気と眩暈に襲われた。すぐにしゃがみ込んで吐き気が収まるまで待った。先ずはトイレに行く事が先決だった。トイレの便座の前にしゃがみ込んでも何も吐く物はなかった。喉の奥から酸っぱい胃液が出て来るのを感じただけだ。K氏はやっとベッドに横になると、いきなり脳裏にその日会社で起こった様々な出来事が次々に現われた。
「K君、後で社長室まで来たまえ」S常務は昼食後のまどろみを覚ますようにK氏に声を掛けた。彼はそれが何の呼び出しか分かっていた。彼は最近、幾つかの失敗を重ねていた。健康グッズカタログ500部を3品目の価格間違いに気づかずに刷り上げてしまった事。主力の輸入健康枕の欠品を引き起こしてしまった事。この二つの失敗により彼は管理者としての責任を問われるものと覚悟していた。
この健康用品卸会社の基調に流れる風潮は減点主義であった。それはワンマン社長の性格がそのまま反映されていた。この会社自体が父親の出資金で出来た彼の所有物であった。父親も老舗の出版会社の社長であった関係で彼は全く金に不自由していなかった。まるで道楽のようにして健康用品会社が設立されたのだ。
社内で彼に意見する者は誰もいなかった。S常務でさえ彼の言いなりだった。下手に反対した者は首を切られるのが関の山だったからだ。彼は手当たり次第、独断で輸入し、販売員に売らせた。倉庫は売れ残った商品が山積みされていた。
社長は自分に甘く人に厳しかった。輸入に失敗しても売れない原因を販売員に押し付けた。彼は社員の失敗に目ざとく反応した。彼にとって失敗する社員とは彼の所有物である会社の利益を食い潰す元凶と見なされていたからだ。
「K課長、あなたは今回の度重なる失敗で会社に多大な損害をもたらしました。何らかの方法で償ってもらうしかありませんね」S常務は社長に代わって責任を追求した。社長は常務を後ろで操り、表に出ることはほとんどなかった。彼は表面上は良い社長でいたかったのだ。
「はあ、今回は色々とご迷惑をお掛け致しました」K氏はひたすら頭を下げた。
「先ず始末書を提出して下さい。減給処分は免れないでしょう」S常務は事務的に言い放った。
会社に損害をもたらせばそれを金銭で償うというのがこの会社の基本姿勢だった。それでも追いつかない時は失敗を犯した者は切り捨てられて行った。自分の身と財産だけを守ろうとするS社長にとって会社に損失をもたらす者に制裁を加えるのは当然の帰結であった。
2に続く

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サラ金の親分 最終回

その5)
「イエスが犠牲となって肉体を身替わりにしたというのんは何となく分かるが、その結果、永遠の魂が手に入ったというのはわしの理解を越えておるのお」
「古来ユダヤ人の社会では羊やヤギが生け贄として神に捧げられて来ました。罪を犯した人間が赦しを乞うためです。ところがいつしか神に対する罪が積もり積もって動物の生け贄では対処し切れなくなりました」
「それで人間の生け贄が必要だった訳か」
「そうです。でも生け贄は普通の人間ではいけなかったのです。人類の罪全体を贖うには身も心も傷のない純粋な魂が必要だったのです。イエス・キリストは幾多の預言者によって予言され続け、人民に待望されていた贖い主だったのです」
「ではイエスとやらがいなければ、人類の罪は赦されなかったという事じゃな」親分は少し光が見えて来たようだった。
「そうなのです。神から罪の赦しが得られなければ、私たちは神に近づくことはおろか、話すことさえもできなかった訳です。イエス・キリストこそが神と人類をつなぐ架け橋となったのです」Qは言葉を区切って思いに沈んだ。
「そこまでは良く分かった。それが永遠の魂とどうつながるんじゃ」沈黙を破るようにして親分は最後の答えを迫った。
「永遠に生きる魂とは神と直結した魂を言うのです。日々、神から無限のエネルギーを得ていると実感できる者だけが、これからもずっとそのエネルギーを受け続けられると確信できるのです。永遠とは現在の延長線上にしかありません。更に現在の充実感を実感できる前提として、神と和解する以外に道はないのです。肉体は滅びますが、神と和解し直結した魂は永遠に生きるのです。それは死の瞬間にも自分は神の霊に包まれていると実感できるからです。自分の魂が生まれ故郷の霊に吸収されると確信できれば、もう何も恐れることはないのです」Qの顔はうっとりしたような平安に満たされていた。
「そうか、そして神と和解するにはイエスを仲介とするしか道がないと言うのじゃな」親分は自分に念を押すように言葉を並べた。
「そうです。お分かり頂けましたか」
「おお、やっとわしにも真理が見えて来たようだ。永遠の魂を得られれば死は恐怖ではなくなるのだな。それを得るために財産は有効なのか」
「いえ、神との関係を維持するのに財産や富は却って障害となります。何故なら、それらは神にすがる心を根底から破壊する張本人だからです」Qの顔は厳しくなった。
「そうか、それじゃわしは今日限りでこの商売からは手を引き、財産を処分することにする」親分の決断は速かった。
「え、親分、あっし達はどうなるんですか」子分達は情けなさそうな声を出した。
「お前たちはしっかり自分たちで進路を考えるが良かろう。必要な金は渡す。Qさん、あんたには色々教えてもらってわしもこれから平安な生き方ができそうじゃ。Pの借金も帳消しにする。あんたも今日限り自由だ。お礼に何が欲しい」親分はQに笑顔を向けた。
「私は自由になれただけで感謝です。何もいりません。天の神はあなたという一つの魂が救われただけでお喜びなのです。私も嬉しいです」Qが涙ぐむと親分も感無量で言葉を失った。
そして別れ際に親分はQの手を強く握り締めた。二人はまるで以前からの親友ででもあったかのように暫し相手の眼を見つめたのだった。



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