良太の冒険8

その8)
(怪談その1)
「じゃ私から始めましょう」と菅谷が先陣を切った。
「明治の昔、愛する男女がいたのよ。二人は結婚を反対されてたの。男は由緒ある家柄で、女の人は貧しかったからなの。二人は心中を決意して夜の海岸を歩いた。星明りに照らされた砂浜に銘々、名前を書いたの。そして愛を誓ったのよ。死んで、あの世で結ばれることを願ったの」と彼女は息をついた。
―ませてる菅谷らしい話しだ。
 誰もが息を殺して聞き入っていた。
「二人は手を取り合って、砂浜から海の中へ歩いて行ったわ。月明かりが綺麗な晩で、打ち寄せる波もおだやかだった。二人の体は膝から腰まで浸かり、やがて肩まで浸かって行ったの。その間、二人は時折、お互いを見つめながら愛を誓い合っていた。しばらくすると女性の顔の一部が浸かり始めたけど、静かに歩き続けた。男性は女性を抱き寄せながらも、歩みは止めなかった。ついに男性のあごが水に浸かる頃には、女性の体は完全に海に沈んだの。男性は事切れたらしい彼女を抱きかかえながらも、さらに進み続けた。
ところがね、そこで妙なことが起こったのよ。男は彼女が動かなくなるのを見届けると向きを変えて、岸辺に歩き始めたの。すがり付く彼女の腕を振りほどこうと、海の中で体をねじ曲げる男の姿が月明かりに照らされていた」と菅谷が一息ついた。周りからは「ひどい」「残酷」という女の子たちの声が聞こえた。
「男は振り返りもせず砂浜に向かった。振り向くのが怖かったの。彼女が泳いできそうな気がしてたのよ。その頃には月が雲に隠れて、辺りは薄暗くなっていた。男はさっき、二人で書いた砂浜の名前を見た。男は思わず声を上げてしまった。女性の名前だけが赤く血に染まって、くっきり浮き出ていた。薄暗い中でも鮮明に光っていた。男の名前は消えかかってはいたけど、薄いピンク色に染まり始めていた。見る間にピンクは濃さを増して行った。男は怖くなり名前を踏み消して、その場から逃げるようにして立ち去った」さらに菅谷は続ける。「長いんだな」という男の子の声があった。
「男はその後、彼女のことはきれいさっぱり忘れてしまった。やがて親の紹介で、見合い話が持ち込まれるとすぐ結婚してしまったの。相手が社長令嬢だったからね。幸せな日が続いたわ。ところが、ある夏、奥さんは泳ぎたいと言い出した。それも前の彼女が入水自殺した、あの海岸で。男は迷ったけど、過去の思いを無理に振り払うように、その海岸へ出かけた。
男はひとしきり泳いだ後、砂浜でこうら干しをしたの。奥さんは横でうつらうつら居眠りしていた。男が何気なく砂浜を見ていると、溺れた彼女の名前が血塗られて、眼の前の砂地に浮かび上がった。男は思わず叫び声を上げるのをやっとこらえたの。奥さんは旦那の異変に気付き、不審そうに辺りを見回したわ。でも男はうまく砂の文字を消していた。でも不思議にも、消した後から、血文字は再び浮かび上がって来た。
太陽ははるか遠く、山の端に沈もうとしていた。何度も砂地をこすっていた男は、おもむろに立ち上がったの。そして、もう一泳ぎして来ると言い残して、海の中に入って行った。そして二度と戻って来なかったわ。奥さんがいくら泣き叫んでも、男の姿はもうどこにも見えなかった。ただ男が寝そべっていた近くの砂に、血塗られた男の名と見知らぬ女の名がにじんでいた」と菅谷は息をついた。
「どお、こわいでしょ」と彼女は感想をすぐ聞きたがった。
「まあまあね」とか「恐くてちびった」と言った声が聞えて来た。
9に続く

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