良太の冒険5

その5)
(飛び降り)
男の子供は運動神経や勇気を誇ることが多い。ただし勇気は眼で見えないから比べようがない。だから男子は人ができないことに挑戦して、勇気の度合いを測るものだ。良太は高い所から飛び降りることで勇気を誇っていた。
当時の小学校の階段は板敷きで途中、踊り場があった。上の階から踊り場まで十段ぐらい、そこでUターンする形で、残りの十段が下の階に通じていた。子供たちの間では、踊り場まで何段抜かしで階段を飛び降りられるかが競われていた。
良太は飛び降りには自信があった。多分、誰にも負けたことはなかった。
「神崎、僕は5段飛ばししたよ」と言われると、彼はすぐむきなって、6段飛ばしに挑戦した。その意味で負けん気は強かった。母親ゆずりだった。
ついに十段飛ばしに挑戦する日がやって来た。それは上の階から踊り場まで一ッ跳びで飛び下りることを意味した。上から踊り場を改めて見ると遠い。良太は足が震えるのを感じた。
「神崎、止めといた方がいいよ。足でも折ったら大変だよ」と友人は言ったが、良太の耳には入らなかった。実は隣のクラスの山田が9段飛ばしに、さっき成功したばかりだった。ここで止めるわけには、いかなかった。良太は意地になっていた。
彼は階段の角につま先を引っかけ、膝を曲げて一気に空中を飛んだ。一瞬の内に踊り場に着地していた。ほんの少しで最下段の角が尻に触れそうだった。ワックスで光った踊り場に着地した際、力んだ利き足が多少すべり、右手をつき、くじきそうになった。良太は右手首に痛みは感じたものの、十段抜かしを成功させた喜びが痛みを消し去った。
良太がそんなにも階段飛びにこだわるのには、もう一つの訳があった。転校生の星野冴子を意識していたのだ。
―この階段飛びに成功すれば星野にも自慢できるぞ。
 彼は彼女の気を引くためには、どんなことでもしてやろうと思っていた。彼は以前までは藤井宣子に思いを寄せていた。ところが先月、転校して来た星野冴子に今では心を奪われていた。それほどまでに良太は女の子に対しては、目移りがしやすいタイプだったのだ。
 今、良太は学校が終わってヨッチンたちと一緒に瀬田ハウスに来ていた。
瀬田ハウスのガレージは坂の途中にあった。と言うより瀬田ハウス全体が坂の途中にあったと言う方が正確だろう。ここには外人が住んでいた。良太とヨッチンとエミコたちは、良くこの付近で遊ぶことが多かった。ガレージは子供たちには途方もなく大きく見えた。普段そこに車が入っていることは稀だったが、時に外車が置かれていることがあった。キャデラックやシボレーであった。車自体が珍しい時代であったので、外車の大きさには圧倒されたものだった。
曲がり角に瀬田ハウスの入口があった。昼間は門が開かれていて、良太たちは自由に出入りしていた。辺りに人影はない。住んでいる外人に出会うことは滅多になく、外人の子供たちさえ見かけることはなかった。
門を入って左の植え込みを越えると、コンクリートの広いベランダが続いていた。実は、そのコンクリートの部分がガレージの屋根に当たっていた。だから、そこには柵も手すりもなかった。
辺りを気にしながらも、良太はヨッチンたちと瀬田ハウスの中へ入って行った。そして芝生の上を通り、ベランダまで行ってみた。
「おい、こっから下の道路まで何メートルぐらいあるかな」と良太は屋根から下をのぞき込みながら言った。
「恐らく2メートル以上はあるだろうな」とヨッチンは恐る恐る下をのぞき込んだ。
ガレージは坂の途中にあるので、向かって左側の屋根の部分は割合、道路と近いが、右側に行くに従って、屋根と道路との距離は広がる。左側では飛び降りるのは楽だが、右の方は子供の背丈の倍ほどの高さから道路に飛び降りることになる。
瀬田ハウスガレージの上から下の道路を見下ろした良太の足はガタガタ震えていた。
―もし、この場に星野冴子がいたら、こんな高さは何でもないんだがなあ。
もし俺が足を折りでもしたら、彼女は悲しんでくれるだろうか。
 彼は自分勝手な空想を拡げるのだった。
―少なくとも、ここから飛び下りられれば、クラスで自慢できる。そうすれば星野冴子も俺に注目するだろう。
 結局、彼が飛び下りようとする最大の動機は彼女だったのだ。
良太の中では、はるか彼方の道路の映像と彼女の面影が重なり合った。
―もう、これは飛ぶしかない。
決意した彼は、ガレージの屋根を思い切り良く、踏み切った。空中にいる時間が長く感じられた。彼の身体は宙を舞うように落下した。夢のような浮遊状態を足の痛みが現実に引き戻した。着地の足の痛みは思った以上に強烈なものだった。良太は一瞬、足が折れるかと思ったほどだった。ところが普段から階段跳びで鍛えていたことが効を奏した。良太の小さい足は彼の全体重の二倍以上ある衝撃を見事に支え切ったのだ。
6に続く

nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。