夢解析器26 後編

後編
「僕は、しまった、と思いました。取り返しのつかない事をしてしまったと後悔の念だけが湧き上がりました。先ず頭に浮かんだのは預金をしている銀行で良かったということと、果たして損害保険が効くのだろうかということでした」
「支払うお金の心配をされたわけですね」
「そうです。ところがその後、さらに悪い事態が続いたのです」
画面にはガラス窓が割れたビルの内部が映し出されていた。そこは2階であり、しかも銀行ではなかった。レストランの外に続く廊下だった。道路に面したガラス窓が粉々に砕けて、ガラス片が廊下に飛び散っていた。
母親らしき女性が泣き叫んでいた。
「内の子の眼にガラス片が刺さったの。誰か救急車を呼んで」
その画面を見たA氏も心理士も恐怖で引きつっていた。
「僕はこの時、大変なことをしてしまったと夢の中でも血の気が失せる思いをしていました。サッカーボールを思いっきり蹴ったことがこんな大惨事につながるなんて、全く想像できなかったのです。僕は恐怖に耐え切れず、この時、目を覚ましたのです」A氏は冷や汗を拭っていた。
「Aさん、大変な思いをされたのですねえ。目覚めたのは心が夢の恐怖に太刀打ちできなかったからでしょう」
「目が覚めて、夢であって本当に良かったと思いました」
「Aさん昨日、夢と関連する出来事はなかったのですか。記憶の時間を24時間ほど戻してみましょう」
モニターには会議の様子が映し出されていた。広い会議室に総勢20名ほどが集まっているようだった。
「これは診療連絡会議と言って月1回開かれています。各部署の代表が出席し、各委員会の委員長が最近開かれた会議内容を発表する場なのです。僕はその場で爆弾発言をしようかと手ぐすねを引いていたのです」
「どのような爆弾発言内容ですか」
「9月の医療収入が去年の同期比に比べ激減したことの責任を院長に追及してやろうと思っていたのです。と言うのは5月の時点で院長は9月に対して楽観的な見方をしていたからです」
「それで、あなたはその席で院長先生に鉾先を向けられたのですか」
「いえ、時間がなかったことと、その場で院長を追及するのは急に悪いように思い返して追及はしませんでした。個人的に話して詰めようと考えたのです」
「それでは、この会議では何の波瀾もなかったわけですね」心理士は何故か納得し切れていない様子だった。
「はい、会議では何も追及しませんでした。その分、終わってから欲求不満が溜まっていました。僕は診療部長に対して許せない思いがあったのです」
「院長先生の横に座られている方ですか」
「はい、そうです。彼は去年の今頃、極端な楽観論を唱えていました。医療改訂があっても、うちの病院の売上げは確保できると主張していました。僕が全体での人件費カットを提唱しても全く耳を貸しませんでした。事務職だけが犠牲になれば良いと言うほどの偏った発言をし、全く驚かされました。僕は高給を取っていて、売上げが落ちても年収が確保されている医師どもを敵対視する気持ちが急に高まりました」
「それですよ、Aさん。あなたの医師たちへの敵対心がサッカーボールを蹴り、ゴールにシュートを決めようとする夢を見させたのです。ボールを蹴ることで医師を攻撃していたのでしょう」
彼女はA氏の夢の端緒をやっと掴めて一安心していた。
「それでは強く蹴り過ぎてガラス窓を割ったのは何を表わしているのですか」
「あなたは医師攻撃にある程度は成功するかも知れません。ところが余りにも度が過ぎた攻撃をすれば、あなた自身がしっぺ返しを食う恐れがあるという事を暗示しているのです。強過ぎる攻撃は時として予期せぬ反動を呼び起こすものです。気をつけられた方が宜しいでしょう」
「はい、人を非難する時は充分、気をつけたいと思います」
「出来れば人を非難せずに友好的な雰囲気でお互いに繁栄を楽しみたいものですね。ところで子供さんの眼にガラス片が飛び込むというのは、どこから派生した連想なのですかねえ」心理士は関連性を掴めずにいた。
「あ思い出しました。僕は寝る前に下の子に目薬をさしてあげました。更に言えば昨夜、息子を泣かせました」A氏は少し悲しげな表情をした。
「子供さんを泣かせるとはAさんには珍しいことですねえ。子煩悩と聞いておりましたのに」彼女は納得できないでいた。
モニターにはA氏の息子がバイオリンを練習している場面が映し出されていた。
「僕はこの時、弓の角度についてアドバイスをしたのです。決して怒ったり、強く注意した訳ではなかったのです。ところが彼はすねて急に弾く気がしなくなったと言って、練習を止めてしまいました。彼は私がアドバイスした角度でいつも弾いていると言い張りました。僕はそれが彼の保身だと見抜いていたのです」
「その後、Aさんはどうされたのですか」
「僕は人のアドバイスを素直に聞けない頑なな心であれば、楽器を演奏する資格はないと判断したものですから、暫くしてゲームをしていた彼にこう言ったのです。『お父さんは君を導くのに自信を失った。これからは一人で練習しなさい』」
「それを聞いて息子さんは何か言われましたか」彼女は子供が可哀想に思えて来た。
「いえ、その時はキョトンとしていました。ですが相当にショックを受けたらしいのです。後で家内から聞いた話によると、息子は涙ぐんで、『お父さんは僕を嫌いになったんだ』と話していたそうなのです」
「それは息子さんには辛い思いをさせてしまったのですね」彼女もいたたまれない表情をした。
「その後、家内が僕と息子の仲を取り持って、和解させてくれたのです。息子も反省していたらしく、照れながらも、『ごめんなさい』と言ってくれました」
「それは良かったですね」心理士もホッとした様子だった。
「僕は彼の弾き方を非難したわけではなく、アドバイスしただけだと丁寧に説明しました。弓を右方向にねじって傾けるのは力学的に意味のあることも説明したのです。そうすることで力を入れずとも弓がバイオリンの駒に自然に近づくと、僕は先ほど直感していたのです。だからそれを息子にいち早く伝えたかったと話しました」
「息子さんは納得されてましたか」
「はい、すっかり分かったようです。その後、寝る前に目薬をさして上げたのです」
「Aさんと息子さんとの係わりと目薬をさされたことが、夢の中で子供の眼にガラス片が飛び込んだことと関連しているみたいですね」心理士はやっと溜飲を下ろした気がしていた。
「その夜、僕が息子に少し辛く当たったのも昼間のストレスが原因していたのかも知れません。彼は非常に繊細な子なのです。相手の心に敏感に反応するのです」
「ちょうど難しい年頃に差し掛かって来られたのかも知れませんね」
「僕もこれからは充分、注意して彼と接して行こうと考えています」
「良いお父さんですね。私にもその優しさを分けてほしいものですね」心理士はじっとA氏を見つめた。
「ええ、いつでもお分けしますよ」A氏はその言葉の意味することを勝手に想像して突然、顔を赤らめた。
高層ビルの窓からも照れた夕日が茜色の光を二人に降り注いでいた。

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自己矛盾

自己矛盾

パラリンピックが始まったがオリンピックほど素直に楽しめない。普段、社会では片隅で細々と生活している障害者の人達が脚光を浴びている。社会生活で補助を受けている人達が力を競っている。一昔前までは見世物にされそうな出来事が白日の下にさらされている。彼らの競技を観ていると素直になれないのである。
義足や車椅子の技術革新のお陰で障害者の競技は可能となった。オリンピックのように本当の強者が覇権を争うのは納得が行く。ところが自力では弱者と呼ばれているにも拘わらず、人の助けと技術の援助を受けてまで覇権を争う意味があるのだろうか。彼らが懸命に競技している姿を見ると憐れでさえある。

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