夢解析器30 前篇

前編

「こんにちは、今日も暑くなりそうですね」A氏は元気に登場した。
「こんにちは、Aさん今日は元気そうですね。Aさんの好きな8月も今日で終わりですね」
「はあ、これから秋が来ると思うと何だか無性に淋しいんですよ」
「Aさんも感傷的なのですねえ。私は食欲の秋は大歓迎なのです。体重が少し気掛かりなのですが、食べる誘惑には勝てませんわ」
「あなたは今ぐらいふくよかな方が魅力的ですよ」A氏はすかさず受付嬢のボディーラインをチェックした。
「まあAさん、あまり見つめないで下さいね。ところで今日はどうされましたか」
「はい、久々にまとまった夢をみましたので解析をお願いに来ました。ここに初めて伺ってからもう30回目だとは驚きですねえ」
「そうなのです。アッと言う間に30回のスタンプが溜まりましたねえ。50回、100回では記念品がありますのでお楽しみにしていて下さいね。では、どうぞ奥へいらして下さい」
受付嬢はA氏を廊下奥にある緑の扉まで案内した。
「では、しばらく中でお待ち下さい」
A氏が部屋の中で待っているとやがてノックの音と共に心理士が受付嬢の豊満な身体とは対照的なスリムな身体で入って来た。ピンクの診療衣の上からはスリムに見える体型だが、A氏はその腕の感触に残る彼女の弾力ある肢体を思い返していた。
「お待たせしました。Aさん何、見てるのですか。診察衣の奥を見透かすように目で見ないで下さいね。殺気が感じられますよ。男の方は妄想を抱きやすいので注意が必要ですねえ」
「いや済みません、先生につい見とれてしまいました。診察衣に限らず看護衣や制服なんかは男の妄想を刺激するものですねえ」
「男の方が妄想を抱くのは勝手なのですけれど、それを相手の女性にまで拡大解釈されるのが大いに問題なのです」
「とおっしゃいますと」A氏には少し言葉遣いが難し過ぎた。
「男の方が女性の艶姿に刺激されて抱きたいと考えても、相手の女性は全く抱かれたいとは考えていないことを知るべきです。男の方は自分の思い込みを勝手に相手に転嫁してはいけないのです」
「それじゃあ、僕が先生を見てムラムラしても先生は僕に対して全くムラムラしないと言うことですね」
「当たり前でしょ。私をそんなに好色な女として見ないで下さい」心理士は憤然としていた。
「冗談ですよ、先生。例えを言ったまでですよ。怒らないで下さい」A氏は必死で言い訳をした。
「まあ、それは分かりますが、あなたはたまに冗談が本気になるのが恐いのですよ。男の性欲は常に本気なので、女にとっては脅威なのです」彼女は言葉を噛みしめていた。
「ははあ、先生にも人に言えない過去があるんですね」
「ほとんどの女性は男の恐さを体験しているのです。特に性的魅力を漂わせている女性は細心の注意が必要なのです。男は彼女たちから目を離しはしないからです。チャンスがあればいつでも襲いかかる準備をしているのです」
「僕も先生からそんな風に見られてると考えるとちょっと心外だなあ」
「Aさんは正直なのですぐ分かります。あなたが私に反応する時は精密機器でなくとも空気で読み取れるのです。ですから私はAさんにあまり脅威は感じていないのです。こうして二人きりでいても安心なのです」
「それは誉められてるんだか、けなされてるんだか良くわかりませんね」
「私はAさんの自制心を誉めているつもりですけどねえ。ところで昨夜のゆめは何だったのですか」
心理士は機器から伸びたセンサー端子をA氏の額にセッティングしながら話を切り出した。
「昨夜は寝入りばなに夢うつつの状態で腹痛を起こしました。夜に食べた冷やし中華が良くなかったようです。前日も昼、中華つけ麺をたべて腹痛を起こしました。中華めんは消化に良くないのです。夢うつつの中で腹痛が僕を現実に引き戻しました。トイレに行きスッキリしたので、そのまますぐ眠りに就くことができたのです」
「夜中のトイレはきついですよね」彼女は同情した。
「夢は2部か3部に分かれていたのですが、全ては思い出せません。1部で僕は合唱隊に加わっていたのです。僕以外にはほとんどが女性で皆を引き連れ、海岸で練習したのです。僕は最後に独唱しました」
「恰好良いですねえ」心理士はA氏の特技に感心した。
モニターには白い砂浜が映り、波の音にかき消されながらもA氏の歌声が響いていた。すると突然、そこへ一人の年配の男が近づいて来た。そして何やらこちらに向かって抗議し始めた。
「この方は一体どなたですか」心理士は突然の展開に目を細めた。
「僕もあまり見覚えがないのです。恐らく音楽関係で僕が知っている誰かだとは思うのですが、良く憶えていません。バイオリンの津田先生か或いは鈴木先生あたりではないかと思うのです」
「お二人ともご存知ですか」
「津田先生は以前、上の息子の先生でした。鈴木先生には会ったことはありません。今は亡くなり、鈴木メソッドの創始者です」
「その方が近づいて来られ、Aさんに何と言われたのですか」彼女はその内容が気掛かりだった。
「僕は彼が言った内容を良く聞いていないのです。何故なら彼がこちらに近づいて来た時に、言われる内容を既に察知していて僕はすぐにその場を離れたのです」
「つまり逃げられたわけですか」彼女は少しがっかりした様子だった。
確かにモニターには、その場を離れたA氏の視線が捉えた海の家のロッカー室内部が映し出されていた。
「僕はロッカー室に入り遠くから事の成り行きを見守っていたのです。先ほど近づいて来た男の言葉が頭の中に響いていました。『もっと大きな声で歌わないと誰にも聞こえないですよ』僕は自分の声が小さいことを確信していたのです。それを今さら指摘されることが堪らなく嫌だったのです。『そんなこと分かってるよ』と叫び返したかったのです」
「Aさんの喋る声は大きいようですけどねえ」心理士は納得できかねた。
「大きな声で喋れても歌は別なのです。歌には特別な発声が要求されるのです。歌は呼吸器官と腹が丈夫でないと歌えないのです」
「Aさんは丈夫そうに見えますけどねえ」彼女は尚も納得しかねる様子だった。
「確かに普通のレベルでは丈夫なのかも知れません。でも発声する時に最大限の声が出せないのです。一つには恥ずかしさも影響していますが、根本的には胃の欠陥なのだと思います。胃を空気で満タンにまで膨らませられないのです。胃袋が部分的に硬直しているのかも知れません」
「え、胃袋が硬直するなんてことがあるのですか」心理士は医学界の新事実を聞いたような驚き方だった。
「胃は伸び縮みするのです。ところが精神の緊張状態が続くと胃袋の伸縮が自在にできなくなるのです。僕は胃袋の欠陥により精一杯の声量で歌が歌えないのです」
「それは思い込みのような気がしますがねえ」
「いえ思い込みなんかではありません。何度も試した事実なのです」A氏はいつになく断定的な物言いをした。
「分かりました。あなたがそんなにも断固とした言い方をされるとは思ってもいませんでした。見直してしまいましたわ。ところでロッカールームで隠れられた後どうされたのですか」
「その後、その場所に中学校時代の男友達が入って来たので、彼と一緒に中学校の校舎に戻りました」
モニターには学校のプロムナードでA氏に絡んでいる数人の男子生徒が映っていた。
「この方たちは何であなたに絡んでいるのですか」心理士は心配そうに問いかけた。A氏は彼女の食い入るような視線に釘付けになってしまった。彼女の大きな黒い瞳の奥には悲しみの影が湛えられていたからである。
「僕は少し前にクラスの女の子が落としたペンケースを拾って上げたんです。それには特に下心があった訳ではないのです。ただ、それを見ていた同級生の男たち数人にイチャモンをつけられたのです。間が悪かったのです。僕は女の子たちの気を引こうとして、親切をしたと見咎められたのです」
「それは何とうがった考えなのでしょう。親切を変に曲解するなんて精神が歪んでいる証拠ですわ」彼女はモニターに映っている数人の男たちを見ながらも異様に憤慨していた。
「まあ僕の方も誤解を招きそうな行動をしたから仕方ありません。ここまでが2部なんです。3部は午前中までは憶えていたんですが、昼食を食べたら殆ど忘れてしまいました」
「それも仕方ありませんねえ。夢の記憶は薄れる速度が速いですからねえ。このモニターによれば、あなたはどこかの倉庫に入り込んでいますねえ」
「僕は何らかの理由で倉庫に身を隠していたのです」
「Aさん、あなたは良くどこかに身を隠しますねえ。逃げたり隠れたりすることが今まで多かったようですが、これから一つ一つに立ち向かわれたら如何ですか」心理士はA氏を鼓舞しようとした。
「そうできれば良いのですが、僕は心底臆病なのかも知れません。いざとなると自分の身を引いてしまうのでしょうか」
「それはそれでAさんの特質として素晴しいとは思いますわ。私もその特質は好きです」
「え、また先生、喜ばせないで下さいよ。僕はすぐ本気になりますよ。それはそれとして今回で相談に伺ったのは30回目になるんですが、夢解析に何か意味があるんですかねえ」

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夢解析器29 後篇

後編
その時、久々に性興奮ランプがモニター下で点滅した。
「あなたの意識が目覚めた途端に変な想像をされましたね」心理士は顔を赤らめながらモニターに映った年若い女性の艶姿を見つめていた。
「この方はどなたですか」
「彼女は職場のクラークです。最近、結婚したばかりなのです。特に可愛いというでもなく、魅力的というでもないのです。何故、僕の意識が彼女を夢に呼び出したかは不明です」
「この時は半覚醒状態ですから夢というわけではありません。夢と現実を行き来している状態なので、映像としては非常に捉えにくいのです。この時の記憶は後から辿ろうにも不明瞭なことが多いのです」
「おっしゃる通りです。僕はこの時、目を開けたり閉じたり、2,3度、繰り返していました。その間には目覚まし時計を聞きましたし、それを止めもしました。深く眠り過ぎて遅刻しないようにしようとする意識も働いていたようです」
「話は戻りますが、興味のあまりない女性が意識に上った時、あなたは多少なりとも興奮されましたね、何故ですか」心理士は女性特有の勘で鋭く質問を浴びせて来た。
「はあ、その時、何故か僕の理性のたがは外れていました。夢の中で僕はこんな理屈をこねていたのです。結婚したての彼女なら交渉してもバレはしないだろう」
「んまあ、何て破廉恥なことを考えたのでしょう。私はAさんに幻滅してしまいましたわ」
心理士は急に怒り出し、A氏からもモニターからも目をそらした。
「先生、僕もその時、何故そんなことを考えたのか、自分でも分からないんですから余り責めないで下さいよ」A氏は心理士が何故こうも急に怒り出したのが、全く訳が分からなかった。
「そうね、ごめんなさいね。私も少し興奮し過ぎたようですわ。あなたがその女性にそんなにも興味を抱いているのを聞いて、少しカッとしてしまいましたの。でもモニターから彼女の姿が忽然と消えるのを見て、あなたは全く彼女に執着していないことが分かって安心しましたわ」心理士は照れ隠しをするように下を向いた。
「そう言って頂いて安心しました」鈍感なA氏は心理士の心の動きを良く把握してはいなかった。彼女のA氏に対する思いを幾分なりとも知っていたならば、彼はその場で落ち着いて話などしてはいられなかったことだろう。自意識過剰も考えものだが、A氏のように女性の気持ちに鈍感なのも、これまた考えものなのであった。
「Aさんは何度かまどろまれた後、定刻の時間に起きることはできたのですか」しばらくして心理士は言った。
「はい、遅れずに起きることができました」A氏は彼女の言葉の奥に潜む深い思いには一向に気づいていないようであった。
「そうですか、良かったですね」この時には彼女も平静に戻り、冷静な口調で言った。
窓の外は時折、雨が混じる曇り空であった。台風が近づいているらしくA氏の夢のように先行きの見えない空模様であった。

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夢解析器29 前篇

前編
「こんにちは、今日は曇りで過ごしやすいですね」A氏は何かしら吹っ切れた様子で入って来た。
「こんにちはAさん、昨日は来られませんでしたね。昨日は暑かったですが今日は割合、涼しいですね。今日はすっきりされてますね」受付嬢は饒舌だった。
「はい、昨日は休みだったので、雑用をしていました。休みだったのですが、あちこち出歩いていたのでこちらには伺えませんでした」
「何か良いことはありましたか」詮索好きの彼女はついA氏の行動が気になるのだった。
「良いこともあり、がっかりすることもありました。良いことは息子のパソコンの電気が入らなくなったというのでコジマに持って行ったところ、電源をリセットしただけで直りました。何の異常もありませんでした」
「それは良かったですね」
「悪いことは面接で職が得られなかったことです。アルバイトをしようと運送会社の早朝仕分けの職探しで面接に行ったのですが、現在募集してないと断られました」
「それは残念でしたね。Aさん、本業の他にどうしてアルバイトまでされるのですか」
「今の収入では家計が成り立たないからです。今は懸賞小説に応募したりして賞金を目当てにしてるのですが、手っ取り早く現金が欲しくなったのです。息子たちの教育費が賄い切れなくなって来たのです。そこで当座、アルバイトで資金稼ぎしようと考えたわけです」
「子供さんが大きくなると大変なんですね」受付嬢は他人事のようにつぶやいた。
「昨日は取り立ててはっきりした夢は見なかったのですが、寝起きの状態についてお聞きしたいことがあったのです」A氏はやっと本題を切り出した。
「分かりました。それでは奥へいらして下さい」
受付嬢は廊下奥の緑の扉へと彼を導いた。
A氏が部屋で待っているとドアにノックがあり、心理士が入って来た。
「こんにちはAさん、お忙しいですか」
「いえ昨日、休みだったのですが仕事が溜まっているわけではありませんでした」
「良い職場ですね。ご自分のペースで仕事ができそうですねえ」
「全くその通りです。精神的プレシャーを余り受けなくて済みます。これで給料がもう少し高ければ言うことはないのですがねえ」
「それはAさん、贅沢と言うものです。バチが当たります。収入は他の手立てを考えるか、支出を削るしかありませんね」心理士は金に関してはキッパリとした言い方をした。
「それは分かりますが、支出に見合う収入を得るのはなかなか難しいことなんですよ」
「金にまつわる夢なども見られますか」
「いや、不思議と金に関係した夢は見ないのですよ。銀行預金はいつもマイナスで借金も2-300万円あるんですが、夢の中で金に困ることはないのです。起きている間も悩むのは一時だけで普段、あまり金の心配はしないのです」
「Aさんはお金に対して無頓着なのでしょうねえ」心理士は微笑んでA氏を見た。
「そうかも知れません。昨日も収入の道が閉ざされて一時はどうなるかと考えましたが、『何とかなる』と思い直したら心が落ち着きました。そしてほとんど夢も見なかったのです」
「夢を見られなかったら相談事もないと言うことですか」心理士は機器をセッティングする手を休めてA氏に向き合った。
「それがですねえ、確かな夢は見なかったのですが、朝のまどろみの瞬間、良く分からない心の動きがあったものですから、先生に解析をお願いしようかと思いました」A氏は心理士に対し言い訳をするように理由を話した。
「そうですか、分かりました。では今朝の夢の様子を見てみましょう」彼女は機器のボタンを操作してA氏の起床前の夢をモニターに映し出した。
するとモニターには彼が覚醒する前に見ていた夢が薄ぼんやりと映し出された。
「映像が余りにも薄くて本当に何の夢か分かりませんねえ」心理士も映像を全く判別できない様子だった。
「僕もこの時に見ていた夢はどう思い起こしても思い出せないのです。ところごあ4時過ぎに目覚めた時、意識が働き出し夢の世界とオーバーラップしてしまったのです」

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夢解析器28 後篇

後編
「これで昨夜の夢は終わった訳ですが、猫の話といいコーヒー間の話といい、何ともまとまりがなく意味不明で済みません。僕は今回の夢こそ、何のメッセージも読み取ることができないんです。どうでしょうか」A氏は哀願するように心理士を見つめていた。
「Aさん、あまり気になさらないで結構です。夢とは本来、論理的なつながりはないものですからね。あなたの記憶の内で特に印象に残った断片が単につなぎ合わされて出て来ただけなのですよ」
「先生のおっしゃる通りです。舞台は40年前の家の台所で登場人物は亡き母と猫。そして僕は猫に襲われながらも朝食の仕度をしていた。そこには何の関連性も見出されません」
「Aさん今、猫と言われましたね。それは『モモ』ちゃんではないのですか」心理士はA氏の一言が気がかりだった。
「はあ僕が猫と言ったのは今、突然、行方不明になった我が家の飼い猫『マル』のことを思い出したからです」
「え、『マル』という猫も飼われてたのですか」
「はい、オス猫で僕らが2階で飼ってました。1年程前に突然、家出してそれ以来、行方知れずです。その猫は野良で捨て猫だったのです。前から家を出たがっていたようです」
「そうですか。元気に暮らしていると良いですね」
「僕はさっきモニターで猫の姿を見た時、モモにはないジャンプ力だと言いましたよね。もしかしたらマルだったら、あの程度のジャンプ力はあったかも知れません。彼はスリムですばしこい猫でしたからね」
「そうですか。遠くにいるマルちゃんがあなたに会いたくなって夢の中に出て来たのかもしれませんねえ」
A氏はマルのいた頃のことを思い、胸が熱くなった。行方不明になる直前、A氏はやたらとマルを叱りつけていたことを思い出し、彼に済まなかったと思っていた。当時、マルは廊下や壁の至る所に尻からマーキングの液を振りかけていたからである。成人して早々に手術をしたので、しばらくマーキングはなかった。
ところが家内が入院して構ってくれる者がいなくなったためか、淋しく、しかも外に出られない欲求不満からか、いつしかマーキングに明け暮れるようになっていた。A氏と息子二人は彼のマーキングを見かける度に頭や尻を叩いたりした。そのため彼は彼らを見る度に尻尾を巻いて逃げ出したものだった。
「Aさん、どうされました。何か考え込まれてましたね」気になった心理士は尋ねた。
「はあ、今『マル』のことを思い出してた所です。僕は彼のマーキングを叱って、厳しくし過ぎたことを考えてました」
「彼をかつて無碍に扱ったことがAさんの胸にわだかまっていたのかも知れませんねえ。そのわだかまりが『マル』ちゃんからのあなたへの攻撃となって夢に現われたのでしょう」
「そうですか。そう考えると僕は夢で彼から攻撃されたことも当然のこととして受け止めることができます。ホッとしました」
A氏は尚も『マル』のことを思い続けている様子だった。

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夢解析器28前篇

第28日
前編
「こんにちは」A氏の挨拶は元気がなかった。
「こんにちはAさん、お疲れのようですね」受付嬢は彼の様子が気にかかった。
「ええ、少し疲れています。昨日、田舎から帰ったばかりです」
「Aさん、先週も帰られましたよね、二週間続けてですか。さぞお疲れでしょうね」
「はあ当分、車は運転したくないです」
「そうでしょうねえ。昨夜はゆっくりお休みになれましたか」
「はい、ぐっすり眠りました。でもまた変な夢を見たのです」
「運転の夢でも見られたのですか」
「いや全く違います。猫の夢です」
「え、猫ですか。詳しいことは奥でお聞きしましょう。さあどうぞ」
受付嬢はA氏を廊下奥の緑の扉へと導いた。
A氏は検査室の中でしばらく待つとドアにノックがあり、心理士が入って来た。
「こんにちはAさん、お待たせしました」
「こんにちは、先生はいつもお元気そうですね」
「挨拶で自分を元気づけているようなものですよ」
「いつもその元気さを分けてもらって有難うございます。僕も少し元気が湧いて来ました」
「Aさん、お疲れですか。どんな夢を見られたのですか」
心理士は手際良く機器をセットし終わった。
「一泊で田舎へ行ったもので少し疲れが溜まってました。昨夜は久々に夢に動物が出て来ました」
モニターにはやがて、やたら飛び跳ねる動物が映し出された。
「何ですか、この元気過ぎる動物は」心理士もその跳躍力に唖然としていた。
「これは猫ですよ。僕の姉が飼っている『モモ』という名の猫です」
「モモちゃんはそんなにも跳躍力があるのですか」心理士は事実を確認した。
「とんでもないです。メス猫で栄養がつき過ぎて、とてもジャンプなんかはできないのです」
「このモニターでは1-2mもジャンプしてますわ」
「それが不思議なのです。僕は椅子の上に乗って、彼女が飛びかかって来るのをよけようと必死なのですが、どうやっても飛びつかれて噛むは引っかかれるはしてしまうのです。現実では全くあり得ないことです」
「その猫とは普段から接触しているのですか」
「昨夜は姉が旅行中だったのでモモは一匹で部屋にいたのですが、淋しかったらしく僕らの部屋にまで入って来ようとしていました。そこで僕は彼女を抱き上げて猫缶を食べさせてあげたのです」
「それではモモちゃんと普段から係わりはあるのですね」
「そうですね。一週間に二度ぐらいは頭を撫ぜたり抱いたりしています」
「その猫が何故、Aさんを襲うようなことをしたのか不思議ですねえ」
「そうなんです。僕は彼女を一度もいじめた憶えはないんですがねえ。何故、夢ではいきなり凶暴になったんですかねえ」二人は頭を抱え込んでしまった。
しばらくすると台所のコンロが映し出された。
「あ、これは先の猫事件とはあまり関係がないのですが、建て替える前の僕の家です。一階に台所があり、僕は朝食の準備をしていたのです」
「この部屋はあなたがさっきモモちゃんに飛びつかれていた部屋に似ていますね」
「はあ、もしかしたら同じ部屋かも知れません。僕の夢には昔の家の台所が良く出て来るのです。そこで炊事したことなど殆どないのですが、夢ではお湯を沸かしてコーヒーをいれていました。それも空缶を容器にして作っていたのです」
「空缶に熱湯を入れたらさぞや熱かったことでしょうねえ」心理士は現実的な問い掛けをした。
「そう、その通りなんです。熱湯を注いだ空缶は熱過ぎて触れることもできない状態だったのです」
モニターには湯気が立ち上るコーヒー缶を左手で熱そうに押えながらも、右手のスプーンで中味をかき混ぜている様子が映し出されていた。

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夢解析器27 後篇

(後編)
モニターには古そうな電池が映り、それを選り分けているA氏が急にコピー機の部屋に呼び戻された。そこには既にメーカーの修理担当者らしき人がいた。
「僕はそこで彼らにコピー機の保証書があるかどうか聞かれたのです。僕はとっさにそれは病院の事務所に保管されていると判断し、病院に取って返そうとしたのです」
「Aさんが勤務されている病院はお隣りなのですよねえ」
「そうです。目と鼻の先です。普通なら歩いて5分もかからないのです。ところが夢の中では病院とグレイスは遥か遠くに隔たっていたのです」
モニターにはグレイスを出ると駅に向かって走る場面が映し出された。
「僕は初め駅から電車に乗って病院へ戻ろうとしたのです。ところが乗ってみると病院方向の路線ではなかったのです。時間は迫っているし僕は慌てました。最後の手段として空へ飛んだのです」
「ははあ、それで一番初めの場面につながるのですね」
モニターには地面が徐々に遠ざかり空高くから下界を見下ろす場面が映し出された。海岸沿いに線路が続いているので、線路に沿って飛んで行くには左方向に大海原が視界に入って来るのだった。
「Aさん、気持ち良さそうに線路に沿って飛んでられますね。それで上手く病院へは戻れたのですか」
「実は飛んだ方向が間違ってたみたいなのです。駅が近づいたのでそこに下りてみると、全く見知らぬ駅名でした」
モニターに映し出された駅名は全く未知のものだった。駅構内は作業場になっていて、そこでは機械の調整作業が行なわれていた。その場に向かうA氏の横にはうら若い女性が連れ添っていた。暫く作業場を巡回する内に彼女はくず折れるようにA氏の首に両腕をかけ、縋りつくように寄り添って来た。その様子を間近に見た作業員の何人かは不快な表情を顕わにしていた。
「Aさん、どなたですか、この女性は。そして何故、彼女はあなたに縋りついているのですか」心理士は驚きながらもA氏を若干、責めているようにも聞こえた。
「いや、僕も良く分からないんですよ。その作業者は僕が以前、勤めていたG工業の現場で働いていた人達のようです。Hさんの顔は思い出せます。僕に倒れかかって来た女性は当時、同じ職場にいたTさんに似ています。華奢な体つきがそっくりです。彼女は一時、僕に気があったらしいのです」
「それはAさんの思い込みではなかったのですか」心理士は疑いを差し挟んだ。
「そうじゃないですよ。僕だって若い時にはモテたんですって。彼女が僕に興味を示した素振りを見せたこともあったんですよ。そんな思いが残っていたのかも知れません。僕は彼女が夢で寄り添って来るのを快く感じていました」
「嫌ですねえ。鼻の下を長くして」
「僕らの様子を見ていた仲間の何人かは良い顔をしてませんでした。その中の一人は早く外へ出てけとまで言ってたのです」
「職場でそんなことをされたら誰だって不快になるでしょうねえ」
「僕は外に出て途方に暮れました。その駅は何と伊豆半島の先端近くにあったのです。僕はそんな所まで空を飛んでいたのです」
「それから病院へは戻れたのですか」
「いえ、戻ろうとしたところが夢から覚めました。不思議なことに夢を見た時間は10分程なのです。夢の中ではもっと時間が経ったように感じました。一旦6時に目覚めて寝直した結果、こんな夢を見てしまったのです」
「二度寝して夢を見ることは多いようですね。あなたの心の不安は仕事に関連していることが多いようですね」
「それでは空を飛んだのはどうしてですか」
「それはAさんが自力では解決できない局面に遭遇してすべてを天に任せたってことではないでしょうか」窓の外は夕焼けに染まっていた。

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夢解析器27 前篇

(前編)
「こんにちは、今日は冬晴れの穏やかな一日でしたね」A氏は入って来るなり明るく声をかけた。
「あら、こんにちは。Aさん、久しぶりですねえ。どうされてましたか。ここんとこ、お顔が見えないので心理士とも心配していたんですよ」受付嬢はびっくりすると同時に嬉しそうな声を上げた。
「はあ、少し風邪気味の時はありましたが、寝込むこともなく元気でした」
「それは良かったですね。暮れが近いので大分、お忙しいのでしょうね」
「そうですね、本業の他に夜バイトをしてますので、そちらが忙しいですよ。お歳暮関係の仕事ですからね。ここんところ、日中忙しくて取り立てて記憶に残る夢を見なかったんですよ。ところが今朝、久々に空を飛ぶ夢を見たんで、心に変化があったか心配になって来ました」
「そうですか。では早速奥へどうぞ」と言って受付嬢は廊下奥の緑の扉へと案内した。
A氏が部屋に入り暫く経つとノックと共に心理士が入って来た。
「あら、Aさん、お久しぶりですね。どうされてましたか」
「はあ、先ず先ず元気で過ごしておりました」
「そうですか。それはなによりですね。もうあと2週間で今年も終わりですね。今年中にAさんとお会いできて安心しましたわ。皆で噂してたんですよ」
「そうですか。僕のことを心に掛けてもらって有難いことです」
「今日は夢の解析ですか」
「はい、久々に夢を見ました。空を飛ぶ夢が壮大だったものでお話しに来ました」
「そうですか。では、さっそく画像を見てみましょう」心理士は手早く機器をセッティングし、センサー端子をA氏の額周辺に貼り付けた。画面には海を見下ろす上空からの風景が映し出されていた。
「あ、この場面は空に飛び上がった直後のものです。少し巻き戻して頂けますか」
映像が巻き戻ると事務所でA氏が電話の受け答えをしている場面が映し出された。
「あ、ここで良いです。この辺から始まりました。この時、コピー機かファックスの故障連絡を受けていたのです」
「普段、そのようなお仕事をされてるのですか」
「そうです。機器類の故障に対処するのも仕事の内です。そこで僕は隣りのグレイスと言う老人介護施設へ直行したのです」
画面には迷路のような通路が延々と続いていた。右へ曲がったり、左へ曲がったりしながら、その通路を突き進む内にある部屋に到着した。横には一人の若者が同行していた。
「その若い方はどなたですか」
「彼は同じ部署のS君です。彼が本来、この施設の担当者なのです。僕は普段、彼に同行することはないのですが、この時は特別だったのです」
「何か特別な事情があったのですか」
「そうですね。先週末、クリスマスパーティーがありまして、そこの施設のKさんとU所長と親しく話したのが心の隅に残っていたのかも知れません」
「はあ、それでAさんはグレイスの事が気に掛かっていたのですね」
画面上では部屋の右側にコピー機らしき物があったが、正面にはもう一つの扉があるようだった。二人はその扉の前に立つとA氏がいきなり掛け声を掛けた。「開けゴマ」
すると、その声に反応してその扉は左右に開いた。その向うには廊下が左右に走っており、そこを数人の看護師さんが行き来していた。
「僕が廊下に出ると左側の壁際に消耗品棚がありました。何故か僕はそこで単3の電池を8本探していたのです」
「Aさんは出庫のお仕事もされているのですか」
「はい、そうです。僕は倉庫管理をしているのです。単3電池は8本見つかりはしましたが、何と大半が使い古しだったのです。僕は消耗品担当のH氏に対し苛立ちを覚えました」

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夢解析器26 後篇

後編
「僕は、しまった、と思いました。取り返しのつかない事をしてしまったと後悔の念だけが湧き上がりました。先ず頭に浮かんだのは預金をしている銀行で良かったということと、果たして損害保険が効くのだろうかということでした」
「支払うお金の心配をされたわけですね」
「そうです。ところがその後、さらに悪い事態が続いたのです」
画面にはガラス窓が割れたビルの内部が映し出されていた。そこは2階であり、しかも銀行ではなかった。レストランの外に続く廊下だった。道路に面したガラス窓が粉々に砕けて、ガラス片が廊下に飛び散っていた。
母親らしき女性が泣き叫んでいた。
「内の子の眼にガラス片が刺さったの。誰か救急車を呼んで」
その画面を見たA氏も心理士も恐怖で引きつっていた。
「僕はこの時、大変なことをしてしまったと夢の中でも血の気が失せる思いをしていました。サッカーボールを思いっきり蹴ったことがこんな大惨事につながるなんて、全く想像できなかったのです。僕は恐怖に耐え切れず、この時、目を覚ましたのです」A氏は冷や汗を拭っていた。
「Aさん、大変な思いをされたのですねえ。目覚めたのは心が夢の恐怖に太刀打ちできなかったからでしょう」
「目が覚めて、夢であって本当に良かったと思いました」
「Aさん昨日、夢と関連する出来事はなかったのですか。記憶の時間を24時間ほど戻してみましょう」
モニターには会議の様子が映し出されていた。広い会議室に総勢20名ほどが集まっているようだった。
「これは診療連絡会議と言って月1回開かれています。各部署の代表が出席し、各委員会の委員長が最近開かれた会議内容を発表する場なのです。僕はその場で爆弾発言をしようかと手ぐすねを引いていたのです」
「どのような爆弾発言内容ですか」
「9月の医療収入が去年の同期比に比べ激減したことの責任を院長に追及してやろうと思っていたのです。と言うのは5月の時点で院長は9月に対して楽観的な見方をしていたからです」
「それで、あなたはその席で院長先生に鉾先を向けられたのですか」
「いえ、時間がなかったことと、その場で院長を追及するのは急に悪いように思い返して追及はしませんでした。個人的に話して詰めようと考えたのです」
「それでは、この会議では何の波瀾もなかったわけですね」心理士は何故か納得し切れていない様子だった。
「はい、会議では何も追及しませんでした。その分、終わってから欲求不満が溜まっていました。僕は診療部長に対して許せない思いがあったのです」
「院長先生の横に座られている方ですか」
「はい、そうです。彼は去年の今頃、極端な楽観論を唱えていました。医療改訂があっても、うちの病院の売上げは確保できると主張していました。僕が全体での人件費カットを提唱しても全く耳を貸しませんでした。事務職だけが犠牲になれば良いと言うほどの偏った発言をし、全く驚かされました。僕は高給を取っていて、売上げが落ちても年収が確保されている医師どもを敵対視する気持ちが急に高まりました」
「それですよ、Aさん。あなたの医師たちへの敵対心がサッカーボールを蹴り、ゴールにシュートを決めようとする夢を見させたのです。ボールを蹴ることで医師を攻撃していたのでしょう」
彼女はA氏の夢の端緒をやっと掴めて一安心していた。
「それでは強く蹴り過ぎてガラス窓を割ったのは何を表わしているのですか」
「あなたは医師攻撃にある程度は成功するかも知れません。ところが余りにも度が過ぎた攻撃をすれば、あなた自身がしっぺ返しを食う恐れがあるという事を暗示しているのです。強過ぎる攻撃は時として予期せぬ反動を呼び起こすものです。気をつけられた方が宜しいでしょう」
「はい、人を非難する時は充分、気をつけたいと思います」
「出来れば人を非難せずに友好的な雰囲気でお互いに繁栄を楽しみたいものですね。ところで子供さんの眼にガラス片が飛び込むというのは、どこから派生した連想なのですかねえ」心理士は関連性を掴めずにいた。
「あ思い出しました。僕は寝る前に下の子に目薬をさしてあげました。更に言えば昨夜、息子を泣かせました」A氏は少し悲しげな表情をした。
「子供さんを泣かせるとはAさんには珍しいことですねえ。子煩悩と聞いておりましたのに」彼女は納得できないでいた。
モニターにはA氏の息子がバイオリンを練習している場面が映し出されていた。
「僕はこの時、弓の角度についてアドバイスをしたのです。決して怒ったり、強く注意した訳ではなかったのです。ところが彼はすねて急に弾く気がしなくなったと言って、練習を止めてしまいました。彼は私がアドバイスした角度でいつも弾いていると言い張りました。僕はそれが彼の保身だと見抜いていたのです」
「その後、Aさんはどうされたのですか」
「僕は人のアドバイスを素直に聞けない頑なな心であれば、楽器を演奏する資格はないと判断したものですから、暫くしてゲームをしていた彼にこう言ったのです。『お父さんは君を導くのに自信を失った。これからは一人で練習しなさい』」
「それを聞いて息子さんは何か言われましたか」彼女は子供が可哀想に思えて来た。
「いえ、その時はキョトンとしていました。ですが相当にショックを受けたらしいのです。後で家内から聞いた話によると、息子は涙ぐんで、『お父さんは僕を嫌いになったんだ』と話していたそうなのです」
「それは息子さんには辛い思いをさせてしまったのですね」彼女もいたたまれない表情をした。
「その後、家内が僕と息子の仲を取り持って、和解させてくれたのです。息子も反省していたらしく、照れながらも、『ごめんなさい』と言ってくれました」
「それは良かったですね」心理士もホッとした様子だった。
「僕は彼の弾き方を非難したわけではなく、アドバイスしただけだと丁寧に説明しました。弓を右方向にねじって傾けるのは力学的に意味のあることも説明したのです。そうすることで力を入れずとも弓がバイオリンの駒に自然に近づくと、僕は先ほど直感していたのです。だからそれを息子にいち早く伝えたかったと話しました」
「息子さんは納得されてましたか」
「はい、すっかり分かったようです。その後、寝る前に目薬をさして上げたのです」
「Aさんと息子さんとの係わりと目薬をさされたことが、夢の中で子供の眼にガラス片が飛び込んだことと関連しているみたいですね」心理士はやっと溜飲を下ろした気がしていた。
「その夜、僕が息子に少し辛く当たったのも昼間のストレスが原因していたのかも知れません。彼は非常に繊細な子なのです。相手の心に敏感に反応するのです」
「ちょうど難しい年頃に差し掛かって来られたのかも知れませんね」
「僕もこれからは充分、注意して彼と接して行こうと考えています」
「良いお父さんですね。私にもその優しさを分けてほしいものですね」心理士はじっとA氏を見つめた。
「ええ、いつでもお分けしますよ」A氏はその言葉の意味することを勝手に想像して突然、顔を赤らめた。
高層ビルの窓からも照れた夕日が茜色の光を二人に降り注いでいた。

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夢解析器26 前篇

前編
「こんにちは、久しぶりです」A氏は秋の空のようにすがすがしい声で入って来た。
「Aさん、こんにちは、本当に久しぶりですねえ。お元気でしたか。心配してましたよ」
「いやあ、僕のことを心配してくれる若い女の子がいて嬉しいなあ」
「朝晩、冷え込んで来ましたから、お身体には充分気をつけて下さいね」
「有難うございます」
「昨日はどんな夢を見られたのですか」
「いや、かなり恐ろしい夢でした。恐ろしさのあまり飛び起きてしまったぐらいです」
「そうですか、それは深刻でしたね。ではどうぞ奥へ」
受付嬢はA氏を廊下奥にある緑の扉へと案内した。
窓の外には雲一つない秋空が広がっていた。やがてノックの音と共に心理士が入って来た。
「あらAさん、お久しぶりですねえ。元気にしてらっしゃいましたか。どうされてたのか心配してたんですよ」そう言いながら彼女はA氏の横に擦り寄って来た。二人の腕から腰にかけて快く触れ合った。
「先生まで僕のことを思っていてくれて感激だなあ。この青い空みたいに僕の心は急に晴れ晴れして来ましたよ」そう言いながらA氏はそっと右腕を彼女の肩に回した。
「さあ、そろそろ始めましょうか」心理士は切り換えが素早かった。
彼女は手際良く解析器をセッティングして行った。
「Aさん、昨日は夢を見られたのですね」
「はい、恐ろしい結果の夢でした」
モニターには数人の若者達がサッカーをしている様子が映し出されてた。A氏もそのメンバーに加わり、攻撃する側に回っていた。
「僕は初めなかなかシュートが打てなかったのです」
「前に立ちはだかっている方がいますね。どなたですか」
「名前は良く分からないのですが、僕がシュートをしようとすると邪魔をしたり、シュートに失敗するとほくそ笑んだりする嫌な相手だったのです」
「あなたを執拗にマークしているようですね」
「そうです。僕は彼のマークを払い除けようと意を決しました。そして積極的にボレーシュートに係わるようにしたのです」
A氏のボレーシュートが見事に決まり出した様子が見て取れた。先程の邪魔をした相手のマークを上手く外し、続けてシュートが決まるようになっていた。
「Aさん、調子が出て来ましたね。連続でいくつもシュートが決まっているではないですか」心理士もA氏の活躍に見とれていた。
「ところが僕は少し調子に乗り過ぎたようなのです」
「どうされましたか」
「良く画面をご覧になっていて下さい。もう少しで始まります」
右から高いロブが上がり、着地寸前のボールをA氏の右足がジャストミートした。それは弾丸のようなスピードでゴールポストの中を通過した。ところがボールの勢いが強過ぎて道路を隔てて向こうのビル目掛けて飛んで行ったのです。その瞬間、「ガシャーン」という大音響と共にM銀行の大きな窓ガラスが砕け散った。
「あっ」とだけ心理士は叫び声を上げた。
後編に続く

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夢解析器25 後篇

後編
「あれ、一体何でしょう」
心理士がモニターに目を凝らすと、こちらを向いてA氏の腕に抱かれた妙齢の女性がボンヤリと映し出された。
「一旦、少し巻き戻すことにしましょう」彼女は只ならぬ気配を察知したらしい。
前方にあるクリーム色の扉を押し開けるようにしてピンクの半袖白衣を着た、ほっそり目の女性が入って来た。ほっそりとはしているものの、下半身の要所での肉付きは男の気を充分そそる魅力を備えていた。顔も細面だが目鼻立ちがしっかりし、濃い目のアイシャドウにより目元がクッキリと浮き彫りにされていた。
「綺麗な方ですね。ナースですか」心理士はライバル意識を燃やしたらしかった。
「いえ、ナースではありません。病棟のクラークと呼ばれる事務職員です」
クリーム色の扉が彼女の後ろで閉まるやいなや、目線が急に彼女に近づいて行った。そして次の瞬間、画面右端から伸びた右腕が彼女の肩に回り、左腕が彼女の腰を支えていた。再びモニター横の性欲検知ランプが勢い良く点滅し始め、「ピーピー」音がけたたましく鳴った。
「ちょっと先生、その辺で止めて下さいよ」A氏はたまらずに叫び声を上げていた。
腕に抱かれたクラークは恍惚として目を閉じ、身体を引き離そうとする様子もなく、その身を委ねていた。どのくらい夢のような時間が続いた事だろうか。腕から解き放たれた彼女は再びクリーム色の扉を開けて廊下へと出て行った。開け放たれた扉から今度は男子職員が入って来た。そしてA氏の前を通り過ぎると前方のパソコン画面に向かいキーボードを叩き始めた。
「Aさん、ここはあなたが仕事されている事務所だったのですか。そこでいきなり大胆なことをされたのですね」
「はあ面目ないです。僕が憧れていた女性ではあったのですが、こんな大胆な行動ができるとは思ってもみませんでした」
「あなたの潜在意識も夢の中で徐々に解放され始めたようですわね。心の奥底に眠っていた思いがこうして実行された訳ですからね。あなたも見かけによらず勇気がおありになるのねえ」彼女は暫しA氏をうっとりと見つめた。「しかもあなたは未だ今の職場にも大分未練がおありのようですわね」
「そうでしょうか。それではもう暫く現職に留まることになりそうですねえ」
「その方が宜しいでしょう。未練を残して辞められる事だけはなさらない方が宜しいですわ」
「僕は未練を残してこの場所からも立ち去りたくないですね」
「それはAさんの勇気次第ですわ」そう言いながら心理士は窓辺に歩み寄り薄紅に染まり始めた西の空を見つめ、予感を確かめていた。
A氏も立ち上がり窓辺に近づき、彼女を背後からその豊かな身体全体を両腕に包み込んだ。モニター横のセンサーは激しく赤ランプの点滅を繰り返していた。
部屋の中には夕陽に照り映える二人のシルエットが一つになり、室内に長い影法師のように伸びていた。




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