ボーダーラインワーク3

その3)
ゲーム場のバイトも飽きたので違うバイトに挑戦したこともあった。お中元の配達である。Mデパートの配達だが、自転車で運ぶものだった。当日の朝、近くの配送所に出かけて行った。
そこでは荷台が普通より広く、そこに網の籠が取り付けられた自転車があてがわれた。僕はそこにある程度、荷物を積んだ。するとそこの従業員は「それだけでは足りないよ」と言って、更にうず高く積み上げた。
僕は支えているのがやっとの自転車に乗ろうとサドルに跨った瞬間、前輪が確かに浮いた。僕は体重が軽く、50kg台の半ばだったので後ろの荷台の荷重を支え切れなかった。危うく転倒しそうになった。
一つも配らずに撤退するのは気が引けたが、身の危険を感じた僕はうず高く積まれた荷物一杯の自転車を配送所に戻して、その場をそそくさと去った。敗北感は残ったが、転倒して荷物を弁償する羽目にならずに済んだ。
やはり僕にはゲーム場のバイトしかないと心に決め、再びロコモティブに舞い戻った。配属された先は大森ボーリング場であった。駅から少し離れていたためが常に客がまばらであった。ゲーム場が込むのは土日だけだった。
そのゲーム場での楽しみは少なかったが、ボーリング場前の道路を隔てて日本蕎麦屋があった。そこで僕は良くカレーうどんと半ライスを注文した。それが唯一の活力源だった。
午後から夕方にかけてのバイトだったが、ゲーム場に飽きて来ていた僕は新たな刺激を求めていた。遂に夕方以降のバイトを探し当てた。それはパン工場のバイトであった。
N製パンといい、場所は鶴川駅の近くだった。そこから送迎バスが出ていた。僕は大森ボールのバイトが終わるとすぐに鶴川に移動した。駅前の立ち食い蕎麦屋で早めの夕食を食べた。
その蕎麦屋は親子で経営していた。親と言っても老人夫婦だった。子はと言えば妙齢の女性だった。初め親子とは思えなかったが、会話の様子で親子らしかった。
僕は蕎麦を食べる為かその女性を見て活力を得る為か分からないまま、そこに通い続けた。その女性も僕を多少は意識しているようだったが、そこから何か進展があろう筈もなく、時は流れた。
蕎麦を食べて駅前で待っているとパン工場の送迎バスが到着した。僕はそれに乗り込んで工場へと向かった。仕事は夜9時から朝の5時までだった。9時前に着くと夜食が用意されていた。
夜食とはおにぎりとみそ汁のバイキングだった。食べ放題だった。初めパン工場でおにぎりとは変な取り合わせだと思った。しかし次第にその訳が分かった。パン工場で働くとパンが見たくなくなるからだ。
僕はおにぎりとみそ汁のぶっ掛け飯が好きだった。丼におにぎり二つを放り込み、その上にみそ汁をぶっ掛けるのである。それをすすり込むと幸福感に暫し満たされた。
ぶっ掛け飯を消化する間もなく、仕事が始まった。昼間、工場で作られた数々のパンを客先毎に仕分けして配送トラックに積み込むのである。細長い工場内にラインが二列に並んでいた。
新米は仕分けには加われない。先ずは積み込み作業をやらされる。4,5人が一グループとなり、ローテーションで積み込みが進められて行く。待機している間もただ休んでいる訳ではない。
工場内のラインからトラックまで橋渡しされているローラーの上に仕分けされたパンラックを流す。トラックの荷台の方が少し高くなっており、僕らが押してやらなければ、パンラックは積み込み者まで届かない。
積み込み者をサポートするのがトラックの真後ろにいる作業者だ。上り坂のローラー上を勢い良くパンラックを積み込み者に向けて流して行く。二人のタイミングが上手く合えば良い。さあ、いよいよ積み込みだ。
4に続く

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