人生の失敗3

第3回
罪意識に目覚める自我
前章のチョーさんはからかい半分だったので罪意識はなかったのだろう。だからまともに謝りもしなかった。いじめには罪意識が伴う場合が多いがそれでもいじめの誘惑には勝てない。相手の名誉を傷つけることに人は喜びを感じるらしい。
自我は外界に多くの敵がいることを知った。子供同士の世界でも敵はいる。子供は欲張りだ。相手の玩具を取りたがる。自分の玩具より相手の玩具がよく見えるのだ。これは人間誰しも持っている所有欲の始まりだ。
よし君という友達が近所に住んでいた。私は彼とよく遊んだものだ。遊んでいるうちに私は彼の玩具を欲しくなった。そして無理やり取り上げた。彼はそれを取り返そうとする。そこで喧嘩が始まった。体力に勝る私がいつも勝ち彼は泣きながら家に帰って行った。
私は悪いと知りつつも所有欲に負けて彼を泣かせては仲直りを繰り返した。自我は所有欲に振り回されて相手に立ち向かう。そして必ず衝突が起こる。負けた方は悔しいが勝った方も罪意識に悩む。罪意識とは主に勝者が抱く相手に対する感情から発する。
個人の所有が不明瞭な古代においては自然に熟成する果物を誰がとってもその行為は罪に当たらない。その行為は普通、動物・鳥によってなされているのと変わらない。ところが人間は土地を所有ことを覚えた。そして自分の土地に侵入する者に罰則を加えた。自然はその時点で楽園ではなくなった。
聖書は便宜的にイブが蛇に唆されて善悪を知る木からリンゴを食べたことから罪が発生したと記している。イブと共にリンゴを食べたアダムも神の楽園から追放された。その出来事で人間は善悪を知り、悪魔の存在を知ったと記されている。
欲張りな人間は縄張りを持ち、他者を排除することでその所有欲を満足させている。
4回に続く

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